~てるてる坊主を逆さにつるしたことがある?~ *3*
翌日の雨は前よりも強かった。
灰色の雲が覆う。湿った地面を踏むたびに砂利の音がする。
公園に辿り着いて、東屋を見ると。天井から逆立ちになった人影が見えた。
ルテ! 叫んでから姫子は走った。そこへ近づかずにはいられない。
「姫子だったのね、私を呼び出したのは?」
ルテが意地悪そうに聞いてくる。何もかも知っている癖して、そんなことを言うのだから苛立たしくなる。
そうでなくても姫子は彼女から聞かなければならない。
あすなろくんにいったい何をしたの。
姫子はルテに肉薄する。
「こう言っただけよ、もし照乃とやり直したいのならダムに飛び込めって」
「あんた、なんてことを言って……」
ルテは死んで償わせるようあすなろに仕向けたのか。
姫子の怒りが燃え上がるのを察したかルテは、首を横に振る。
「何か勘違いしてるようだけど、私は死ねとは言ってないわ。もう一度言うけど『やり直したいのなら』と言ったの」
「どういうことなのか説明して!」
「……あなたの大好きなあすなろくんにチャンスをあげたのよ」
これ以上荒げてもそれは徒労になるとわかっていた。だから姫子は息を整えて落ち着こうとする。
「最初はぼやけていたけど、最近になってようやく記憶の輪郭が明確になってきた」
あすなろがルテを照乃の記憶そのものと言っていたのは、おそらくそういうことか。
緋村照乃は記憶の抜け落ちて呆然としている。病院の先生から詳しいことを聞いたわけではない。だがおそらく記憶喪失の一種だろうと姫子は思っている。彼女はあすなろに関することをいまひとつ理解できていないから。
「姫子、私はあすなろくんのことを完全に思い出した。だから、あすなろくんを試してみたくなったの」
雨を降らせたらあすなろは女の子のために傘を持っていってくれるだろうか。
女の子のことをちゃんと思ってくれているだろうか。
それを試してどうするつもりだったのか。
「私には傘を持ってきてくれなかった。そして私のことをちゃんと思ってくれていなかった」
「ルテ?」
「私は、あすなろくんのことが好きだった」
それを聞いて、姫子は耳の中がちくっ痛くなる。ルテも姫子と同じ気持ちだったのか、と。
「でも私はあすなろくんのことが大嫌い。私の好きな感情を大きく裏切ったあのあすなろくんが大嫌いになったの」
あれは彼にとっていわば優しい男の子になれたか知るためのテストだったのだ。
姫子は手のひらが潰れそうなほど右手を握り込める。
「私はね、姫子。それが許せなくてダムに飛び込んだのよ」
「えっ」
「だから私は、あすなろくんに私と同じ目に遭わせて、深く反省する覚悟があるか、試したくなったのよ」
「なんて酷いことを……」
「それくらいあのあすなろという男は最低な男なのよ、あなたもあんな男のことを忘れなさい」
確かにあすなろは、ルテ、緋村照乃に酷いことをしたかもしれない。それでも。
「それでもあたしはあすなろくんのことが好き!」
確かに最低の人間だと思う。確かに試されてあすなろが姫子に対して、あの気持ちを示してくれたのかもしれない。だけど。
「上出来じゃない、あれは試験として合格だったわよ。このあたしがそう思うから……」
ルテ、あんたの知らないあすなろくんのことを教えてあげる! 姫子はそう言った。
「あんたにあすなろくんがどれくらい素敵な人間なのか教えてあげる! あたしはあすなろくんのことがいまでも大好き。たとえ、あんたが、照乃がどれだけ嫌って嫌いまくっていたとしても、あたしはあんたに全力で反論する」
「ふうん、じゃあ教えてよ姫子。あんたのその身をもって、私に示しなさいよ」
風が吹き荒れ始める。周りの空気が様変わりしたように思えた。
「私はあすなろくんに言った。自分自身の行ないで、私への懺悔する気持ちの大きさを教えて、とね」
それがダムに飛び込めということだったのか? 姫子は呟いてルテに聞いたが、その考えに対しても、ルテは首を振る。
「別にあの男への懲罰として飛び込ませたわけじゃないわ」
それなら、なぜ?
「あすなろくんには行ないをもって、その反省と人間性を確かめる。あなたもそれに協力するのなら、その身でもって証明しなさい。織田姫子!」
吹きすさんだ風で、東屋で逆さになったてるてる坊主が激しく揺れる。
糸が切れて地面に落ちた瞬間、押してくる風の体当たりで姫子は後ろに倒れた。
その瞬間、世界がホワイトアウトしたかのように見えなくなった。
◆
「……大丈夫?」
姫子が再び目を開けるとそこには、手を差し伸べてくる少年がいた。
「あんた、誰?」
ぼやけた視界で物を見るのは辛かった。けれど、どこか聞き馴染みのある声である。
目がだんだん見えてきて、あすなろの顔が倒れた自分の眼前に現れた。
手を借りて姫子は立ち上がる。
場所は公園の東屋で、天気は晴れ渡っている。
「大丈夫? 君の名前は?」
「え、織田姫子だけど」
「そっか、大丈夫だったかな。姫子さん」
ん? と姫子は違和感があった。
「僕は彦坂あすなろ、本当に大丈夫? 救急車呼ぼうか?」
「いや……」
やはり彼はあすなろくんなのか、訝しげに彼を見るが何かが違う。
背が少しだけ低くなって、本当に少年の成りと顔をしていた。
そして制服を見ると、それは高校の制服ではなかった。
彼が着ていたのは、隣町の私立中学の制服だった。
「ここはいったい……あたしはどこにいるの?」
するとルテの声が響いてきた。耳の奥に針が刺さったかのように、また痛くなる。
――その身でもって証明しなさい。織田姫子!