第1話 歯無し男の倅
とある海に面した寒村に位置する桃色の屋根の小さな家に、ベネと呼ばれる男が住んでいた。
ベネは本名ではなく、彼の機嫌がいい時に「ベネッ!」と賛辞を贈ることから、名づけられたあだ名だ。
ベネには、妻アンヌと一人息子タブラがいる。
いつからか妻との折り合いが悪い。
夜には、タブラを連れ出しては賭け試合を観戦するのが日常だ。
なかなか勝てずに苛立ち、安いエールを煽り、ごろつき共に絡んでは叩きのめす日々を送っていた。
雪がしんしんと降る夜だった。
ベネとタブラは、ぼろきれの様な靴を履き、玄関に向かった。
「おゥ、ちょっくらいってくるわ」
ベネは振り返ることなく玄関を出て、右手を挙げた。
目に残る桃色のガウンのフードを目深に被りだした。
派手だ。
「……なるべく、早く帰ってくるから」
タブラは少しだけ申し訳なさそうに、アンヌを見て言う。
「期待していないから、いいよ」
アンヌはボソッと言うと、自らの身体を擦りながら、そそくさと扉を閉めた。
村道に柔らかな軽い雪が積もり、二人が歩く度にシャクシャクと鳴く。
「なぁ、アイツ、感じ悪くねーか?」
ベネは白くて熱い息を吐きながら言う。
「……へへ、そうっすね」
タブラは身震いしながら、控えめに肯定した。
その返事にベネは気を良くしたように、肩の力を抜いた。
「うーんベネッ! 俺がいねーと、アイツぁだめなんだ! な?」
「えぇ、ほんとそうです」
賭場は後五分ほど歩けば着く。
寒い。
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賭場に着いた。
ランタンが怪しく照らす室内、軋む木で出来た床、酒のにおい、剣戟音。
賭場の湿り気を帯びた熱気は何よりの暖となる。
いつも座る席に先客がいた。
ベネは肩を怒らせ、席へズンズンと近づいて行く。タブラはそわそわしながら、観葉植物の陰に隠れた。
「よう相棒、ここ俺ん席なんだ。悪んだけど他いってくんねーか?」
ベネは努めて笑顔で怒りを隠した。
目は笑っておらず、歯はヤニと酒で黄ばんでおり、凶悪な印象。
「あン? なんで俺がどかなきゃいけねーんだ? 席に名前でもかいてあんのか?」
先客の男は脚を組み、気怠そうに振り向いた。
男は左手のロザリオを握りしめた。
首にかけている銀のアミュレットがランタンで照らされる。
亀の意匠をしていた。
「おめーのも書いてねーじゃねーか」
「ないぜ? だから早い者勝ちさ」
ベネは男の隣にどかっと座り、ジロジロと睨む。
「じゃあ、俺もここに座らせて貰う。おゥ、タブラァ! おめえここ座れ」
ベネは、観葉植物に隠れていたはずのタブラを正確に捉え、声を張り上げた。
「……あ、はい」
示す席は、テーブルでは男の対面。
そこに、身体の大きなタブラが腰掛けると、ロザリオ男は賭け試合が見えなくなる。
タブラは冷や汗をかいた。
そんな気も知らず、試合場の剣戟音は激しさを増す。
ーーガインッ、ガインッ
刃引きされた鋼がお互いを鍛えるかのように叩き合う。
タブラが席に座ると、ロザリオ男は背伸びをしたり、席を立たない様に試合を見ようとしたが見えない。
テーブルにはもともと四席あったが、ベネは一つを荷物置きとして使っている。
「……ちッ!」
ロザリオ男は諦めて他の席に移って行った。ベネがそれを横目で見届けると、タブラに向かって拳を突き出した。
「ベネッ! やったなタブラ!」
「……えぇ、そうですね」
タブラは控えめに、大きな拳を突き出すと、ベネが叩いて来た。
歪んだ男の友情。
次の賭け試合から、賭けることにした。
闘技場には、赤い騎士と青い騎士。
オッズは赤騎士が1.05倍、青騎士が5.8倍となっている。
「よし、俺ぁ赤に1,000z! おい、タブラは?」
「……自分は、えーと、青に50zで」
掛け金を渡す。
運営から文字が書かれた札が渡された。
ベネはエールを飲み、タバコを咥え、至福の笑顔。
その笑顔には、上の前歯が二本無い。
そこから煙を心地良さそうに吐き出す。
闘技場に目をやると、激しい剣戟。
かと思えば、あっけなく青騎士が勝利を収めた。
「ふざっけんなァ、金返せェ! てめェそんなんだから嫁子どもに逃げられるんだよォ」
ベネは負けるとがなり立てた。
周りのガヤの中、ベネの声はよく通る。
赤騎士は、ベネはチラリと見て、口をへの字に曲げた。
それからしばらく賭け続けて、ベネは負けに負け、タブラは少し勝った。
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二人で帰りの雪道を歩く。
雪は降り止み、分厚い雲の切れ間から満月が覗いていた。
ベネは少ししかめっつらでタバコの煙を吐き出し、ガニ股で歩く。
タブラはその横を小股で歩く。
「ちッ! 随分と高いシケモクになったなぁ」
ベネは、タブラの大きな肩をバシバシと叩く。タブラはぺこぺこする。
家が見えて来た。
桃色の屋根は、月明かりで黒く見えた。
ベネは、アンヌのために好物の魚の干物とエールを買っていた。
それを粗雑に革袋に詰め、タブラの大きな背嚢に入れている。
ふと、ベネは玄関先の下部分をジッと見ていた。
「なぁタブラ」
「はい、なんですか?」
ベネはタバコを雪道に捨てた。
雪が熱で少し溶ける。
「……いや、なんでもねぇ。俺になんかあったらアンヌのこと頼んだぞ」
「? ええ、もちろんです」
扉の前の雪道には、男の足跡がいくつかあった。それは、ベネとタブラの物ではなかった。
月光が足跡を照らす。
ベネはどこへ?




