第二章(1)
「ヴィー! レイ! 飯行こうぜ!」
食堂から夕餉の匂いが漂う日暮れ。高等部の石造りの廊下に、よく通る声が響いた。赤毛の少年が、前を歩く二人の少年少女に飛びつき、肩に腕を回した。
ヴィンセントとレイチェル。二人が高等部に編入してから、すでに一月が経とうとしていた。
「もう、アトラ。こういうの、やめてって言ったじゃん」
大げさな口ぶりで、レイチェルが肩に回された腕を外す。アトラと呼ばれた少年は、どこ吹く風だ。謝るどころか、堰を切ったような勢いで別の話をまくし立て始めた。
「悪いって! でも聞けよ。今晩はステーキが出るらしいぜ!」
「え、ほんと?」
レイチェルの口元に、かすかに期待の笑みが浮かぶ。
「だから早く! ヴィンセント、お前も」
レイチェルの視線がヴィンセントに向くより早く、アトラの腕が強引に彼の肩を引き寄せた。二人の間に割って入ったアトラは、至近距離からヴィンセントの顔を覗き込み、ふと動きを止めた。
「どうした? 腹でも壊したか?」
「ううん。違うよ」
ヴィンセントは、アトラのあけすけな質問にかすかに笑った。
「ステーキなんて初めてだ。お腹が空いてきたね」
彼はそう言って、逃げるように二人の間をすり抜けた。
アトラとレイチェルは、出かかった言葉を飲み込み、同時に足を止める。
不意に、開け放たれた食堂の扉から、重たい肉の焼ける匂いと、熱気を孕んだ雑踏の音が溢れ出してきた。
二人の戸惑いは、その巨大な喧騒の渦にあっけなく呑み込まれていった。
高等部の寮は、一年生から三年生の各学年二人ずつが、一つ屋根の下で暮らす、六人一組の共同生活が基本となっていた。
しかし今、寮の談話室には七人の生徒が集まっている。三年生が二人、二年生のギルバートとジャック、そしてヴィンセント、レイチェル、アトラ。
「全員、来ているな」
場を仕切るのは、三年生の男子だった。
「お前がいるなんて珍しいじゃん」
茶化すように言ったのは、二年生のジャックだった。というのも、ギルバートは授業外の『任務』で留守にすることが多く、寮の集まりに顔を出すほうが珍しいからだ。
ギルバートは苦笑する。その横顔を、談話室の隅の長椅子から、うっとりと眺めている者もいた。レイチェルだ。
「なんだよ。スカしてていけ好かないな」
彼女の肘が、小声で毒づいたアトラの脇腹を小突いた。
「いってえ」
思いのほか強かったのか、脇腹の弱点に刺さったのか、彼は大げさに身を捩った。
「ちょっと」
レイチェルは構うことなく叱責する。
「だってあいつ、不良だって」
「不良?」
レイチェルの喉から、険のある声が飛び出した。口をとがらせ、疑いを孕んだ目でアトラの顔を睨みつける。
「ちょっと、そこ。何してるの? 演習の説明、ちゃんと聞いてた?」
鋭い声と視線が、小競り合いに夢中になっていた二人を射抜いた。アトラは慌てて口を噤み、レイチェルは気まずそうに視線を泳がせる。怒られている二人を見て、ジャックが愉快そうに笑い声を漏らした。
「ジャック、笑わないで。こういうのは二年生が――」
彼女は誰が見てもわかるほどに顔を顰め、今にも小言が始まりそうだった。
その時、輪から少し外れた一人掛けのソファで、細く白い手が上がった。場の視線が、自然とその手に吸い寄せられる。
「俺から説明します」
ギルバートは、睫毛をわずかに伏せたまま、諳んじるように説明を始めた。
高等部では、月に一度、寮ごとに集まって実戦に近い訓練を行うことが決まっていた。今回は、一年生も加わる初めての月例演習だった。学園の管理区域での模擬的な魔獣討伐任務だ。生徒による無益な殺生を避けるためか、訓練用の魔獣を維持するためか、殺さずに制圧すること、という条件が付け加えられていた。
アトラは不服そうな顔をしながらも、黙ってその説明を聞いていた。
「ていうか今回の演習、お前がいるなら楽勝じゃん」
ジャックがぽろりと口走った。その発言を耳ざとく聞きつけた三年生の女子に睨まれ、彼は口元を手で覆った。しかし、ギルバートに向けられたその囁きは、談話室の全員の耳に届いていた。




