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序章

 ギルバートの囚われの人生は、必然のように思われた。

 喧騒から隔絶された森の奥。深い緑に飲み込まれるようにして、その石造りの館は沈黙していた。かつて孤児たちの安息地であったその場所から、慈愛の記憶が失われて久しい。近隣の村が廃村となって以来、主を失った建物は、人身売買の拠点へと成り果てていた。

 薄暗い廊下を、二人の男が一つの灯りを頼りに進んでいく。

 先を行くのは、紺碧の軍服を纏った若い警吏だ。魔導灯の青白い光を掲げ、周囲を鋭く警戒している。その背後には、くるぶしまで届く黒い外套を翻した大柄な壮年の男が、不遜な足取りで続いていた。

 数日前、この施設に子供が監禁されているという通報が魔導警察に寄せられた。そして通報者本人が、こうして警察の案内で現場を訪れている。

「例の子供は見つかったのか」

 壮年の男――フィニアスが、先導する警吏に問う。

「先行した部隊が乗り込んだ直後です。子供たちの安否については、まだ報告が入っておりません」

 警吏は振り返りこそしなかったが、額には脂汗が滲んでいた。灯りをあちこちへ向けては、暗い廊下を落ち着きなく照らし出す。

 その廊下の先から、怒号と足音が近づいてきた。

 数人の警吏に両脇を固められ、数人のならず者どもが連行されていく。若い警吏が彼らを険しい視線で射抜く傍らで、フィニアスは一瞥をくれただけで通り過ぎた。

 彼の目的は、ただ一つ。この穢れに沈んでいるはずの「高魔力の少年」だけだった。

「子供たちは、この奥にいるはずです」

 警吏の掲げた魔導灯の光が漆喰の壁を這い、奥に鎮座する重々しい鉄扉を照らし出した。その扉に掛けられた錠前を手に取り、警吏が詠唱を囁くと、錆びた音を立てて扉が開いた。

「足元が悪いようです。お気をつけて」

 警吏の忠告を、激しく翻る外套の音が遮った。裾を忌々しげに跳ね上げたフィニアスは、ささくれた床に触れるのを拒むように、大股で奥へと踏み込んでいく。その勢いのまま、彼は手近な扉を無造作に押し開けた。

 室内には、子供の背丈ほどもない鉄格子の檻が上下左右にひしめき合って積まれていた。そこから覗く無数の目が魔導灯の光を反射し、侵入者である二人へ一斉に向けられた。

 フィニアスはその視線を意に介さず、室内をひとなめしただけで即座に踵を返した。

「ここにはいないな」

 吐き捨てて去るフィニアスの背を追うこともできず、警吏は怯えた子供たちの視線の中に取り残された。遠ざかる非情な靴音を背に受けながら、彼はたまらず子供たちの方へ向き直る。

「待っていろ。すぐに仲間が助けに来る」

 警吏はそう言い残し、子供たちから視線を剥がしてフィニアスの背を追った。

 任務の目的は子供たちの救助ではない。山一つを消し去りかねない「高魔力の少年」の確保。それがフィニアスと共有する、絶対的な優先事項だ。

 いくつかの部屋を捨てた末に、フィニアスはついに目当ての子供を見つけた。施設の最奥の扉を開けた瞬間に、フィニアスの足が止まった。

「ここだ」

 奥の檻から、ぱちぱちと弾けるような音が途切れ途切れに聞こえていた。

「……なぜ、わかるのです?」

「君は感じないのか。封印を噛み千切らんとする、この魔力の奔流が」

 傍らで警吏が怪訝に眉を寄せ、魔導灯を檻へ向けた。

 その光が、檻の奥でうずくまる影を照らし出した。か細い手足に鉄の輪が嵌められ、震えに合わせて鎖が床を叩く乾いた音が響く。その粗悪品の封印具が、内側から噴き出す彼の魔力に悲鳴を上げ、火花を散らしていた。

 フィニアスは外套が床に触れるのも厭わず、檻の前に膝をついた。彼が短い呪文を紡ぎ出すと、軽い金属音が鳴り、鉄の戸がゆっくりと開いた。

「無知な賊どもだ。この価値さえ判じられんとは」

 檻の中に無遠慮に伸びてきた手に怯え、少年は弾かれたように後ずさった。背後に待ち構えていた鉄格子が逃げ場を奪い、手首の封印具と触れ合って虚ろな金属音が響いた。

「おいで」

 暗がりの中で、少年の翡翠色の瞳がぼんやりとフィニアスを捉える。

「君がギルバート・アッシュフィールドだな」

 フィニアスが問い掛けると、少年の目にわずかに光が宿った。しかし、彼は唇を固く引き結んだままだ。

「君を救いにきた」

「……ぼくを……?」

 少年の声は掠れていた。まるで言葉を失って久しいかのように。

「そうだ」

 少年が固唾を呑む。

 差し出された掌へと、少年の小さな手が彷徨い出た。

 フィニアスはその手を強く掴み、少年を檻から引きずり出した。よろめく少年の肩を支えるでもなく、強引にその細い手首を引き寄せた。

 少年の鼻先に突きつけられた魔導灯の白光が、少年の弱った網膜を焼き切った。

 苦痛に顔を逸らす少年の傍らで、フィニアスは火花を散らす封印具だけを冷たい目で凝視していた。「救い」という言葉の余韻を噛み締める暇すら、少年には与えられていなかった。

「だれ」

 少年の弱々しい声が火花の弾ける音に混じる。

「これを外してあげよう」

 少年の問いには答えず、フィニアスは封印具の鍵を開けた。かちっという小さな音と同時に、少年が短く息を呑む。解放された魔力と共に、研ぎ澄まされた五感が激しいうねりとなって彼を襲い、その小さな肩が大きく波打った。

「これは……」

 二人の様子を脇で見ていた警吏が驚嘆の声を上げた。少年の魔力が生んだ風に、警吏の髪が吹き上がる。溢れた魔力は部屋を満たし、渦を巻いて周囲の檻をガタガタと震わせた。

 警吏の目に映ったのは、「守るべきか弱い子供」ではなく、「危険な高魔力の少年」そのものだった。

「この子をどうするおつもりですか」

 警吏はフィニアスに問い掛ける。

「これからは、私がこの子を管理する」

 フィニアスは満足げに目を細め、少年の手首から指を離した。

 少年は目をちかちかさせながら、掴まれていた手首に一度視線を落とし、それからそっと男の顔を見上げた。

「ぼくは、どこに行くの?」

 フィニアスは浮かべていた笑みを消し去り、神妙な顔で少年を見下ろした。

「君のいるべき場所だ」

 少年は言葉の意味を測りかねたようにフィニアスを見つめていた。フィニアスが歩き出せば、それに抗う術もなく、小さな足が追従した。

 その日、ギルバートは後見人となるフィニアスに手を引かれ、新しい居場所に辿り着いた。碧い屋根瓦と赤黄色の壁に彩られた、選ばれし魔導士たちの学園。彼はそこを、新しい檻と呼ぶことになる。


 ――数年後。その少年は、誰もが一目置く優等生として学園に立っていた。

 背の高い痩せた身体に、わずかに余る制服のシャツ。跳ねた黒髪の隙間から覗く、左目の下の泣きぼくろ。片田舎からやって来た転校生の目には、彼こそが都会の洗練を体現する存在として映った。

「高等部二年のギルバートだ。君たちの案内役を任されてる。わからないことがあったら、なんでも聞いてくれ」

 春の陽光が差し込む回廊で、彼は二人の転校生に笑いかけた。柔らかく細められた翠の目。外光を反射するその淡い色彩は、初心な少女の心に、突如として浮足立つような甘い羨望を呼び起こす。

 一行を寮へと導くギルバートの背後で、天を突く学び舎が陽光を浴びて輝いていた。貴族の子弟が集うこの帝都魔法学園は、不可視の結界に守られた、眩しいほどに安全な箱庭そのものに見えた。

「ギルバート先輩も、戦術科なんですか?」

 ギルバートの背を追う少年の歩調は、どこか頼りなく乱れていた。ようやく絞り出した問いかけも、恐怖を隠しきれずにわずかに上ずっていた。

「ああ、そうだよ」

 ギルバートは振り返ることなく答える。春の風が吹き抜けるような、どこまでも涼やかな声だった。

 その響きに誘われるようにして、少女が弾む心地で問いを重ねた。

「戦術科って、どんなことを勉強するんですか?」

 その問いを、彼の涼やかな声が迷いなく引き継いだ。

「実戦を想定した魔法技術だよ。魔獣の討伐や、結界術とか」

 澱みなく差し出されたその言葉の重さに、二人の転校生は思わず顔を見合わせた。平和な世界で育った彼らにとって、その言葉はこの美しい学園にはあまりに不釣り合いな、物々しい響きを帯びていた。

「危ない目にあったりはしないんですか……?」

「きっとないよ。先生たちは皆優秀でいらっしゃるし、上級生が見守ってる。課題は実力に応じて割り振られるしね」

 少女が安堵の吐息を漏らすのを、ギルバートは背中で聞いていた。

「ギルバート先輩って、すごく優秀だってお聞きしました」

 はにかみながら告げられた称賛が、彼の足を一瞬だけ止めさせる。

「……そう言われることもある」

 それだけ言うと、彼はまた歩き出した。謙遜も、照れも、誇りもない。ただ事実を処理するだけのような、無機質な返答だった。

 少女はその背中を、うっとりと見送った。翻る制服の袖口、そこから覗く白い指先にまで、完成された美しさがある。

 けれど彼女は気づかない。かつてその指を、男が「救い」という名の下に強引に引きずり出したことも。袖の奥、固く巻かれた包帯が、今も皮膚にこびりついた痣を――彼が今なお「檻」の中にいる証を、隠し続けていることにも。

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