リンデンの異名
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陽の光が差し込む王城の廊下を、一人の青年が歩いていた。
深い蒼のマントを翻しながら進むその姿は、騎士としての壮麗さと貴族の風格を兼ね備えている。艶やかな漆黒の髪は風にさらりとなびき、深紅の瞳はまっすぐ前を見据えていた。
リンデン・ド・ルードヴィング、王弟であるルードヴィング公爵の嫡男にして、帝国騎士団の副団長だ。その名を知る者が抱く「冷徹で近寄りがたい人物」という印象どおり、騎士団へ向かう彼の佇まいは、冷然高潔としたものだった。
ただ、整った顔立ちと涼やかな眼差しが妙な色気を帯びるせいか、すれ違う侍女たちが思わず頬を染める。しかし、当の本人はそんなことを一切気にする様子もなく、淡々と歩みを進めるだけだった。
「リンデン! おい、リンデン!」
突如、廊下の奥から弾むような声が響いた。
振り返ると、小柄な青年が快活な笑みを浮かべながら、ひらひらと手を振って駆け寄ってくる。
バロン・キングズリー、帝国騎士団の一員であり、リンデンの数少ない友人のひとりだった。
リンデンはその軽快な声に足を止め、バロンをちらりと一瞥する。
「バロン、ブランデーケーキを食べただろう。」
「ぶっ……!」
バロンは思わず吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。
「な、なんで分かるんだよ……。」
「口の端に甘い香りが残っている。ついでに言えば、紅茶はアールグレイか?」
「…………。」
バロンは無言のまま、そっと口元を拭う。
「さすがは猟犬……お前の嗅覚は相変わらず化け物じみてるな。なんで、こっそり食べたケーキの種類まで分かるんだよ……。」
「ふっ。お前の好みが単純だからだ。」
リンデンは淡々と返すと、体ごとバロンに向き直り、先ほどの呼びかけに応える。
「そういえば、俺に用があったんだろう?」
「ああ、そうそう。団長から伝言だ。お前、陛下に呼ばれてるぞ。午後の訓練はいいから、王城の執務室へ行けってさ」
「叔父上が? 何の用だ?」
リンデンは、帝国の国王レオポルトの甥にあたる。騎士団に関わる報告であれば騎士団長と共に王のもとへ赴くことはあったが、単独で呼び出されるのは珍しい。
「さあな。でも、アッシュ殿下の件で、お前に飛び火してるんじゃないか?」
「アッシュ? なぜアッシュの名が出てくる?」
リンデンは眉をひそめる。
「うーん……」
バロンは曖昧に唸りながら、目の前の友人を見上げた。
(こいつ、まったく社交や政治に興味がないからな……。それに、プリマヴェーラの警備は城外指揮だったから直接見てないのか…。)
リンデンが不審そうにバロンを見つめるが、彼はそれに答えず、代わりにぼりぼりと頭をかく。
「まあ、行ってみれば分かるさ。じゃ、俺は訓練場に行く。団長には言っとくよ」
「ああ」
リンデンの背を見送りながら、バロンはひとりごちた。
(陛下は、リンデンが王位に興味を持ってくれたらって思ってるんだろうな。でも、あいつは本当に政治には興味がないからな……。)
幼少期からの付き合いで分かる。
リンデンの頭脳は、時に恐ろしく鋭い。
(あとは、あいつの前に素敵な女性でも現れてくれればいいんだが……。ま、無理か。)
そんなことを考えながら、バロンは午後の訓練へ向かった。
──
王城の奥、重厚な扉の向こう。
黄金色の髪を持つ国王、レオポルト・グレイス・ハミルトンは執務机に向かい、書類をめくっていた。その鋭い眼光には、疲れの色がにじんでいる。
「リンデン、来たか」
「ただいま参上しました、陛下」
蒼いマントをはためかせ、リンデンは深い一礼をする。
「そんなにかしこまるな。今日は副騎士団長として呼んだのではない」
「では、いかなるご用件で?」
姿勢を崩さぬまま尋ねると、レオポルトは僅かに視線を逸らし、重い口を開く。
「知っているかもしれないが…アッシュがまた問題を起こした。内容は聞いているか?」
「どんな問題を起こしたかまでは知りません」
リンデンは淡々と答えながら、バロンの言葉が脳裏をよぎる。
「これだけ噂になっているのにか。お前の社交への関心のなさは病的だな」
レオポルトは苦笑しながらも肩を落とす。
「アッシュが、マルヴァーニャ侯爵令嬢との婚約を、一方的に破棄した」
「マルヴァーニャ?ああ、西領の。そのご令嬢がアッシュと婚約していて?この度破棄されたと?」
帝国の未来を左右する一大事にしては、あまりに無関心な反応。レオポルトは思わず頭を抱えた。
(こいつは、どこまで国の情勢に疎いのだ……)
──彼が、王座を求めることはあるのか。
レオポルトは、甥の紅い瞳を見据えながら、深く息をついた。
「お前は、どうしてアッシュの婚約者の令嬢の名前すら知らぬのか。貴族社会の動向に、少しは関心を持ってくれ…」
国王レオポルトは、呆れたように嘆息した。
しかし、リンデンは微動だにせず、穏やかだがどこか冷淡な口調で答える。
「私の本分は、国防と王権の安全です」
「それは確かにそうだが……仮にも王位継承権があることは自覚してくれ」
「アッシュが継ぐでしょう」
リンデンはあくまで淡々とした態度を崩さない。
レオポルトは一瞬、言葉を切り、深い憂いを帯びた声で呟いた。
「アッシュは単純だ。王たるもの、時には単純明快な決断が求められるが、奴はあまりにも未熟なまま動きすぎる。国の未来を背負うには……。しかし、問題はアッシュだけではない。お前もまた、後継者の一人として名が挙がっている自覚が足りない。それに…」
レオポルトが何か言いかけた瞬間、リンデンは静かに、しかし毅然と口を開く。
「王はアッシュになるでしょう。私はただ剣を振るう騎士であり、評議会にも、社交界にも、無縁で生きていきたい。」
レオポルトは、深くため息をつく。
「だが、お前の的確な洞察力は、騎士団でも頼りにされているだろう?山間の防衛線強化の提案書を読んだ。国の未来において、お前の存在は極めて重要だ。もし、我々に何かあったら……」
「特別なことはしていません。ただ現場を見て、最適な判断をしただけです。」
「…うーん。まぁ、よい。お前が玉座に興味のないことはよく分かった。ただ、いつの日か、私は決断しなければならん。その時までに、お前の気が変わったら教えてくれ。気が変わったらな。」
レオポルトは静かに念をおした。
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