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アルスの在り処  作者: 北織 依茶祢/衛炉 寧亜
-編章-
14/14

あとがき


 はじめまして、(ある)いはお久しぶりです。

 北織(きたおり) 依茶祢(えとね)/衛炉(えいろ) 寧亜(ねいあ)です。


 あとがきで何かを書こうとは思ったのですが、あまりまとまってません。なので、本作の始まりから引用しようと思います。


 『いざ、アルスの在り処を問う』

 ーー名前をもたなかった市民「あの日を想って」より


 結局のところ、タイトルにもなっているのでこれが本作の根本です。

 本作のきっかけは、あのラストを書ききる一年程前に(さかのぼ)ります。

 あらゆる世代の人。あとは学生の頃に、いえ、学生の頃からこそ考えてほしいと思うテーマの作品を創ろうと考え、プロットの一文字目を書き始めました。


 大きなテーマは二つ。


 自分を変えること。

 そして自覚と覚悟。



 一つ目の「自分を変えること」は、踏み出す一歩とも捉えられます。

 型通りにはまって、守ってくれる(・・・・・・)伝統に従って、さも常識通りに選択したつもり(・・・)になる。

 それは確かに悪くはないけど。悪くないだけかもしれない。可能性はいつだって捨てたら、拾うのが難しくなってしまう。


 読者の分身たる主人公、フロムはいわば受け身。何事においても、何かを受けて初めて行動するタイプ。だから受け身。

 重ねてですが、彼は自分から行動を起こす積極的主人公ではありません。理解しようとする人なんです。

 分かりたい。そして何が自分の意見なのか考える。何度も何度も。それでも何が正解か、それでも分からない。

 マリンやオーナー、マスター、エリオなど様々な価値観と視点を持つ周りの人間にこそ影響されるのが"観測者(フロム)"という役割。

 フロムについては後程詳しく。

 ともかく、彼は"揺れ動く人(フラクチュアル)"であるということ。当然、彼は現代人のアイデンティティーの分散や青年期特有の悩みを抱える読者の写し身と言えるでしょう。

 でも彼は現代人特有の思考放棄や問題の先送りや無視をする癖はありません。彼はあくまでも考える人で、そして"揺れ動く人"であるのですから。


 フロムが自分を変えるとき、それはどんな選択であったのか。それは作品のラストをじ~っくりと味わっていただいて考えてほしいところです。



 二つ目の「自覚と覚悟」。

 これは先程挙げた、アイデンティティーの分散にまつわるようなお話。

 自分がいったい何者なのか。何のために生きるのか。そも意味があるのか。その"自覚"。

 フロムの周りの人間は彼よりは自立した大人。だからそれぞれに悩みはあれど、自分の中の"基準"に従って言葉を扱うし、物事を見つめている。


 マスターやアルス公王辺りは為政者らしい視点と価値観が裏にある。

 オーナーやエリオは揺れつつも譲れない部分の自覚がある。この二人は葛藤を抱えるフロムに近しい立場にあって、でも大人としての価値観を捨てない人。

 ショウは他国の出身もあってか、どこかフロム以上に第三者の立場でもある。なにより、ショウは踏み出すことで理解をするタイプであって、フロムの理解してから決めるタイプとは正反対に位置する。つまり最もフロムが選ばないであろう思考の持ち主。

 ディーラは物語冒頭のフロムの嘆きに近しく、芸術を縛ることなど、人を縛ることなどできないのだと、彼からみれば愚王であるアルス公王に抗う人。純粋で、希望も絶望もどちらも捨てない人でもある。


 そう、フロムは"揺れ動く人"=この自覚が足りず、未だどの(みち)を往くのかが定まっていない。

 自分の時間を何に使っていくのか、それを知ることは生きているだけで気付けるわけではない。


 マリンは唯一、この作中ではフロムと同年代であり、同様に"揺れ動く人"。彼女の勝ち気な性格もあってか、どこか一本の芯を持っているかのようにみえる。でも彼女もまた迷う者。

 ただ、フロムと違うのは彼女は決めきってから動くのではなく、自分の信じるところを()り所に立てることを自覚していること。

 マリンの諸々については、いつか外編で語ろうと思ってます。


 ともかく。

 この物語の中で、フロムは直接の表現こそなく、半ばマリンに引きずられる形ではありますが、"自覚"の段階をすっ飛ばして先に"覚悟"を据えます。

 この不完全なフロムこそがやはり読者の皆さんに、あの前述した問いかけを投げつけるには一つの適解だったのかもしれません。



 以外からはややネタバレを含みます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「アルスの在り処」の最後部、【アルスの在り処】のエピソードで、あれは第■章となっています。

 そして裏タイトルも是非とも確認しなおしてもらえば、あの言葉の羅列が一体どのような未来を示しているのか、楽しんでいただけるかと。


 それはそれとして、あれは(うた)なのです。

 そして最後の一文。


 『いざ あなたの在り処を問う』


 あの【】で表される部分。【アルスの在り処】という歌だけは物語を書き始める前から完成していました。

 ただ後半の全てが、彼らの物語を受けて後追いで足したものです。

 本来はこの言葉もなく、あの歌はアルスの讃美歌らしく終わってしまうはずでした。


 

 何者でもなく、頼るところのない少年。

 読者の写し身であった彼は、彼自身の意思で読者からは思考の読めない他人になります。これこそが他人への理解不可能さであり、自身とは違う存在であるという証。

 名字を得たのもその一環。

 ただし、それは拒絶ではなく先往く者であるというだけ。


 正直に告白しますと、あのフロムらの物語の終わりは解釈が多数に分岐します。

 それでも読者とフロムの距離が離れることで、はじめて問えることがあの言葉であり、この作品そのものの存在意義である。筆者ながらそう思ってます。



 きっと世の中にはいろんな間違いと、キレイにみえる生き方がある。

 だけどその全てを選びきることはできないし、全てが間違いであるわけでもない。

 ただ一人一人が自覚して選んで。できれば覚悟の後に進んでいくことができればまだマシには思う。


 だからこそ。

 この作品のタイトルであり、群像劇の描き方なのです。

 故に。最後はこの言葉で締めようと思います。




 これはあなたが感動するためのものでない。

 あなたにこそ、問いかける物語。

『アルスの在り処』あとがき:2026年4月19日



追記:

 どこかで登場した彼らのプロフィールやイメージ、モチーフをまとめたものを上げます。


 あとは"ここまでが"本編。

 外編、書きます。

 5~6本分はプロットがあるので、少しずつ進めていければと思います。

 これからも『アルスの在り処』をご愛読のほど、よろしくお願いいたします。願わくば、貴方へのエイロネイア(衛炉 寧亜)となれることを祈って。

 そして北織 依茶祢への感謝を込めて。


 またどこかで会いましょう。

 名も顔も知らぬ、それでも()き未来で。

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