短歌ツアー・ 歌会始め3
私が初めて短歌に接したのは次の一首です。
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」
(正岡子規)の作品ですが、小中いずれか覚えていませんが、教科書に載っていたものです。
但し、当時は短歌という意識はなく、作者が寝床から見た花の在り様を表現した一文という程度の感想でした。
ただ、覚えやすく後々まで記憶に残り、自分の頭の中では、明治以前主流であった伝統的な和歌を、短歌に名称を変えて改革を主導した人物の代表作となってしまいました。
彼は近代俳句の先駆者でもありましたが、若くして吐血し寝たきりとなり、家族や文人仲間に見守られながら三十四歳で亡くなりました。
母親の『もう一度痛いと言っておくれと』という言葉が脳裏に焼き付いております。
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同時期には様々な歌人が排出していますが、最もセンセーショナルな作品を創出したのは(与謝野晶子)でした。
なかでも、
「やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
は有名ですが、その内容からみると、当時の女性としては大胆過ぎるのではないかと思ったものです。
平安時代の代表的歌人である和泉式部の再来といわれるほど数々の話題作を発表し、更には反戦の詩『君死にたまうことなかれ』を、国を挙げての戦勝気分の最中に出したことは特筆すべき事柄です。
様々な批判や中傷を受けても、彼女の名声、評価を損なうことはありませんでしたし、女性誌への参加、夫の『与謝野鉄幹』とともに渡欧し、生涯活動的だった女性です。
更に十二人の子供を産んでおり大切に育てましたが、現在の少子化に悩む国家からすると母親の鏡のような存在であり、個人的な意見ですが新しいお札には彼女の肖像と周りに子供たちの顔があってもいいのではないかと思っています。
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次は(石川啄木)の登場です。
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」
彼の人生そのものを表した一首です。
貧困、挫折、早逝もまたその代名詞といっていいのでは。
なにしろ二十六歳で病没しますが、短い人生の間に就職活動、転居、交流、家族生活、そして創作(歌、詩、文筆等)等々に携わっていくのは驚くべきことに思えます。
彼の作品は没後に評価され、最も我々の感情に訴えかけるものとして読み継がれています。
他に亡くなった後で評価された文芸上の偉人としては、宮沢賢治、樋口一葉が挙げられます。
いずれも、もう少し長生きしてほしかったと、誰もが思うことでしょう。
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一方で、生涯にわたって各地を旅しながら短歌を残した人物は(若山牧水)です。
「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」
酒をこよなく愛し1日に一升以上飲んだそうです。
更に自然や旅が大好きで日本全国、朝鮮まで出かけて行き、各地で歌を詠んでは揮毫したことは有名です。
牧水歌碑が各地にあり、おそらく訪れた地で歓迎されたことでしょう。
日頃の生活に手一杯の人々からすると羨ましい限りですが、飲みすぎが祟り肝硬変により、43歳で亡くなりました。
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そして、短歌をより高いレベルに引き上げた(斎藤茂吉)の功績は大きい。
「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」
正岡子規、伊藤佐千夫の歌の流れを引き継ぎ、五感を重視した写生が特徴となっています。
彼は東大医学部を卒業した医師でもあり、また、書や絵も一流の多才の知識人でもありました。
短歌の最大会派アララギの歌人として歌集を次々と刊行したが、太平洋戦争中に戦意高揚の歌を多く作成したこともあった。
但し、戦中に疎開を経験。東京の自宅は空襲で全焼している。
戦後は真っ先に歌会始の選者に選ばれました。
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兵役に応召し戦争の悲惨さを題材にしたのは(宮柊二)である。
「自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつ振り返り見ず」
日中戦争で中国を5年間転戦。
そこで目にした真実を歌っているが、悲しい光景は度々あったものの、それに構う余裕がなかった悲壮感が滲み出ています。
彼は戦後在野を貫き多くの著名歌人を育てています。
また、歌会始の他、多数の歌壇の選者もしています。
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戦後の短歌界において、従来の保守的、伝統重視の作風からの脱却の動きが始まった。
『短歌研究』は一般からの公募を行うことになり、一位に選ばれたのは(中条ふみ子)であった。
「唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる」
彼女は若くして乳がんにかかり、死を覚悟したが亡くなる直前まで短歌に情熱を注ぎ、歌集『乳房喪失』を刊行し全国歌壇に波紋を呼んだ。
なお、彼女の生涯を作家の渡辺淳一が『冬の花火』のタイトルで描いたことでも有名である。
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第二回の公募で特選となったのが(寺山修司)であった。
「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
彼は演劇界の革命を起こした『天井桟敷』を主宰したことでも有名で、職業欄には歌人、劇作家、詩人、映画監督、評論家等々マルチに活動した人物です。
テレビにも出演しあらゆるジャンルに精通した才能豊かな知識人ではありましたが、彼も47歳という若さで亡くなってしまいました。
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新しい短歌のトップランナーとしては戦後生まれの(河野裕子)が挙げられます。
「たとえば君ガサッと落葉すくふように私をさらって行ってはくれぬか」
現代的、新鮮な言葉で心情を表現し、相聞の短歌が有名である。新時代の幕開けを感じさせるような作風で青春恋愛歌を詠んだが、乳がんを発症した後は闘病の短歌を書き綴った。
夫の永田和宏も歌人で夫婦揃って歌会始の選者になっている。
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そして短歌を一般大衆に広めたのは(俵万智)であった。
「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」
この歌を含めた歌集は280万部と異例の大ベストセラーとなった。
日常会話で使われる言葉を短歌に取り入れ、親しみやすい雰囲気は多くの人々、特に若者の心を掴んだ。彼女がもたらした歌風は短歌を従来の高年層中心の鑑賞から、若年層にまで裾野を広げることとなった。古来伝統の和歌から引き継がれた短歌の基本概念からすれば、様々な意見はあるものの、大衆化を果たした貢献は大きく彼女の名は後世に残ることになるでしょう。
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更に新時代の短歌を取り上げるとすれば、(穂村弘)が代表です。
「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」
短歌のスタイルにはなっていますが、人によっては単語が並べてあるだけで、意味が明白ではないと思われるかもしれません。
けれども斬新的な感覚表現は、戦後現れた前衛短歌の影響を受け、ニューウェーブ短歌として位置づけられています。
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歌会始 2025年
お題は「夢」で国内外から1万6千首の応募があったそうです。
歌会始の歴史は古く、和歌と呼ばれた江戸時代から催されており、明治天皇即位後も開かれ一般の詠進も認められるようになったのです。
今年も天皇をはじめ皇族方、選者、召人の方々の詠進歌が披講されましたが、一般10名の選歌も読み上げられました。
いずれも見事な作品ばかりで、代表して最高齢(77)と最年少(16)の歌を取り上げております。
私が応募した短歌は次のようなものでした。
『予告なき懐かし昭和夢景色 残影眺めつ鶯声聞こゆ』
私が夢に見た子供の頃の情景を思い浮かべ、古語も取り入れて綴ったものですが、抽象的でありすぎた嫌いがありました。
多数の優れた応募作品の中で、私の凡作が埋没するのは当然ではありますが、次年度も懲りずに参加したいと存じます。
2026年のお題は『明』であります。
よく目にする文字で簡単そうに見えて、短歌として容易には表すことが出来ません。
なかなか難儀なお題であることを実感しました。とりあえず今まで創った短歌(狂歌)を参考にしようと思いました。
*絵馬に書く願いが心飛び立てば 残る溜息明日から仕事
*お勤めを無事に済ませて明日からは 好きな服着て前途洋々
*今作は苦し紛れの手抜きかも 心引き締め明日より臨む
*中脳も前後大小棚卸 決意新たに明日に備えよ
いずれも明日といった月並みな文字が入っており、ありふれた歌となってしまい、且つ、権威ある歌会への応募には相応しくありません。
そこで、初期の小説、川柳の中で同文字が入ってある語句を抽出することにしました。
*昨日今日明日
*夜が明けて 台風一過 ハロウィーン
*クレーン車が粉雪散らす夜明けかな
*明智光秀供養塔
*意味不明の信号
*明日帰る 明日昼過ぎ
*正体不明のまま
*嘘のように明るい
*賢明だよ
*説明する
*本音を明かす
*弁明する
*歯切れの悪い説明
*さわやかで明るい性格
*明らかな
以上、目を通して一首のみの作成にこぎつけました。
過去二年は7,8首の作品の中から選びましたが、今回はこの短歌を詠進の対象とすることにしました。とにもかくにも参加することに意義ありの心境です。




