32話 気持ちを知った瞬間
「な、んで……」
動揺のあまり、声が震えた。
手紙に書かれていたのと、目の前の光景があまりに違っていたから。
「ふふ、どういうことか訳がわからないって顔をしているわねぇ」
母はそう言うと、メロリーのそばに寄り、後ろから彼女の肩をそっと抱きながらソファへと誘った。
メロリーはされるがままソファへと腰を下ろし、薬が入った鞄がソファの肘掛けにもたれかかるように置かれた。
メロリーの隣にはラリアが、ローテーブルを挟んだ向かいのソファには両親が腰を下ろす。
その様子は、何も知らない者が見たら、さほど珍しくない家族の日常に映るだろう。家族が仲良く団欒しているとそう思うはずだ。
けれど、それとは決定的に違う。
メロリーは困惑と緊張から冷や汗をかいた手で、ワンピースが皺になるくらいにギュッと握り締めた。
「メロリー、単刀直入に言う。この書類に名前を書きなさい」
「え……?」
ずいと手渡された書類を受け取り見ると、『薬』『販売』『売上』などの単語が目に入ってくる。
しかし、この状況を理解できていないメロリーには書類の内容を瞬時に理解することは珍しく、両親達を見ながらメロリーは目を丸くした。
対してラリアは、楽しげにふふっと笑い声を零した。
「お父様ったら、いくらなんでも説明が少なすぎるわよ〜。ほら、メロリーお姉様が困ってるじゃない」
「いやぁ、気が急いてな。それにしても、お前は相変わらず優しいなぁ、ラリア」
「本当に、ラリアは優しい子ねぇ」
「あの……!」
両親がラリアを褒めるのは今に始まったことではないが、さすがに説明が欲しい。
家族たちの会話をメロリーが遮れば、ラリアはメロリーの顔を覗き込み、上目遣いで見つめてきた。
「ふふ、私はとっても優しいから、お姉様に分かるように説明してあげるね?」
「っ、待って! ラリア、貴女怪我は……!?」
「見て分からないの? 怪我なんて一つもしてないわ? お姉様をここに呼び出すための口実に決まってるじゃない!」
「!」
悪びれず話すラリアは、まるで人形かと思えるほど美しく笑った。
背筋がぞわりと粟立つ中、どういうことなのかメロリーが問いかけようとすれば、ラリアが先に口を開いた。
「あのね、お姉様がケイレム伯爵家の娘に余計な薬を渡すから、社交界での私の立場が脅かされてるの」
「? どういう……」
以前、ケイレム伯爵令嬢からもらった手紙に書いてあったように、彼女はメロリーの薬を飲んだことで人前に出られるようになった。ラリアの口ぶりからして、おそらく社交界にも参加したのだろう。
(でも、それが何?)
メロリーは引き立て役として、社交場では誰よりもラリアの近くにいた。
多くの男性がラリアの可愛らしい見た目に、そして魔女であるメロリーを大切にする優しい性格に虜になっていたことを知っている。
(それなのに、ケイレム伯爵令嬢が社交界に出ただけで、ラリアの立場が脅かされるなんて、あり得る?)
メロリーは違和感を抱いた。
けれど、自分の美貌や人気に対しては尋常じゃないほどのプライドを持っていたラリアが、これまでずっと馬鹿にし続けていたメロリーに現状を吐露したのだ。
理由はどうあれ、社交界での立場は思わしくないのは確かなのだろう。
「それで、前みたいに……ううん、前よりも私が輝くためには、お金が必要でね? ほら、美しいドレスや宝石を買うのに大金が必要なことくらい、お姉様でも分かるでしょう?」
そう話すラリアの装いに目をやれば、メロリーがまだ実家にいた頃には見たことがなかったドレスを着ていることに気付いた。
胸元で光り輝くダイヤモンドのネックレスも、耳元で揺れるルビーのイヤリングも初めて見る。
先程のラリアの口ぶりからして、おそらく窮地に立たされたラリアが両親に買ってと強請ったのだろう。
今身に着けているもの以外にもたくさん強請ったことも、想像に容易かった。
「私たちもね、お金を集めるために色々したのよ。でも、我が家のお金も底をついてしまったの。そこで、お姉様の噂を聞いたってわけ! 今、お姉様が作る薬が貴族たちに大人気なんでしょう〜? 羨ましいわ〜」
ニヤつきが抑えられないのか、ラリアの頬がピクピクと動いている。見たところ、両親も同様のようだ。
「……まさか」
メロリーはすとんと視線を下げて、手元の書類に目を通す。
ラリアの説明と、家族たちの厭らしく緩んだ顔。
それらも含めると、ザッと読むだけでこの書類の意図するところが理解できた。
(なんだ、そういうことだったんだ)
書類には、メロリーが作る薬の収益を、シュテルダム伯爵家当主に一任するという旨が書かれていた。
これにメロリーがサインすれば、薬の収入は父に入ることになり、おそらくはラリアを着飾るために使われるのだろう。
(家族に何を言われたって、何をされたって、もう傷付かないと思っていたけど……)
ほんの少しだけ期待してしまったから、その反動で胸がチクチクと痛んだ。
よくよく考えれば、今更家族が素直に薬を欲してくれることなんて、メロリーを頼ってくれることなんて、あるはずがなかったのに。
(だめだ……。ちょっと泣きそう)
ツンと鼻が痛くなるような感覚と、わずかに歪む視界。
メロリーが必死に涙が流れないよう堪えていると、父が口を開いた。
「何故かは分からんが、お前の薬が国の審査に通った。そのせいで、本来私に入るはずの薬を販売した際に生じる利益がお前に入るようになったと通達があった。……国も愚かだなぁ。お前のような出来損ないの魔女が作る役立たずの薬を認めるなど。……だが、考え方を変えればお前が作る薬に箔が付いたということ。お前が署名さえすれば何の問題もない」
「ようやく役立たずの貴女でも、家の役に立てる時が来たの。喜びなさい? メロリー」
「良かったわねぇ、お姉様っ!」
メロリーを除く三人が、楽しそうに見つめ合っている。まるで、直ぐそこに幸せが落ちているかのように。
(私は、涙が落ちそうだけど。ああ、でも、ロイド様なら泣いてもいいって言ってくれるかな)
以前、ケイレム伯爵令嬢からの手紙に感動し、嬉し涙を流すメロリーに、ロイドは無理に涙を止めなくても良いと、幸せの涙が見られて嬉しいと言ってくれた。
そのことを思い出したメロリーは、ぐっと唇を噛み締めて、涙が零れてしまわないよう必死に我慢した。
何故ならこれは、幸せの涙じゃない。こんな涙を流したら、ロイドが悲しむかもしれない。
(だって、ロイド様はとても優しいから。審査のこともそう)
メロリーの薬が人気になって直ぐの頃、ロイドから薬の販売事業として国に申請し、審査してもらおうと言われたことがあった。
その方が、多くの人にメロリーの薬が届くようになるから、と。
しかし、どうやら理由はそれだけでなかったようだ。
ロイドは、メロリーの作った薬が、それにまつわる利益が、家族に搾取されないように手を回してくれていたのだろう。
「ロイド様……」
自分のことしか考えてない家族たちとは違う、誰よりも優しい人。是が非でも毒見役をしたいという、薬への興味が強い人。
(とても私を大切にしてくれて、私を天使なんて呼ぶ独特な感性を持つ、不思議な人。……そして)
メロリーはロイドと過ごすうちに、彼の笑顔を見るだけで嬉しさを覚えるようになった。
手が触れるだけで胸が躍って、彼の事を考えるだけで胸が締め付けられて、今だって、家族に心をズタズタにされたのに、結局はロイドのことを考えてしまっている。
(……誰よりも、私が大切にしたいと思う人。ああ、分かった。これが、恋なんだ。私、いつの間にかロイド様のことが、好きになってたんだ──)
お読みいただき、ありがとうございました!
ようやくメロリーが恋心を自覚しました。長かった……!
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