エピローグ_2/2
高価な家具が揃えられたリビング。そのフカフカのソファに腰掛けて、テーブルに置かれたティーカップへと手を伸ばす。カップに注がれた琥珀色の液体。それを一口だけ口に含み――
ノエル・マクローリンは満足して微笑んだ。
「やっぱり美味しいな。紅茶には何か拘りでもあるんですか?」
「拘りというほどでもないが、多少は産地など厳選させてもらっている」
カップをソーサーに戻し、ノエルは聞こえてきた声に碧い瞳を向けた。テーブルを挟んだ向かいに、一人の男性が車椅子に腰掛けてこちらを見ている。ブラウンの髪をうなじでまとめたブラウンの瞳をした中年男性。この屋敷の主でもある商人――
アーノルド・アーモンドだ。
慣れない車椅子に動きにくそうに体を揺らしつつ、アーノルドが肩をすくめる。
「以前はコーヒーに拘っていたのだがね。子供舌の娘はコーヒーが好かないようだ。コーヒーの拘りを失くした代わりに、紅茶に拘るようになったのだよ」
「ボクはコーヒーも紅茶も嗜みますが、この紅茶は格別に美味しいです」
「気に入ったのなら茶葉を持って帰るといい。使用人に包ませよう」
アーノルドがブラウンの瞳を細めて微笑みを浮かべる。その表情は疲労感こそ滲んでいるものの、寝込んでいた時のような苦しみの気配はいない。顔色も良くなり活力を取り戻しつつあるようだ。ノエルはそれを確認して、自身の金色の髪をポリポリと掻く。
「それにしても……すごい回復力ですね。怪我をしてからまだ一週間も経ってないのに」
「私自身驚いているよ。だがそれも君たちの魔工機器による治療のおかげだ。しかしあれほどの重傷も直してしまうとはな。今後は医療関連の魔工機器に力を入れるべきかも知れん。医療関連の魔工機器をレプリカとして製造できるようになれば高く売れるぞ」
「商売の話ですか?」
「私は商人だからな。人助けなどという綺麗ごとを並べるつもりはない」
強かなアーノルドに苦笑して、ノエルは首を左右に振る。
「魔工機器の性能もありますが、彼女のことも忘れないであげてください。この街に戻るまでの間、そしてこの屋敷に帰った後も、貴方のことをつききりで看病していたんです。お父さんのことが心配だったんでしょう」
「……もちろん娘には感謝している。だが皆のおかげで生き長らえることができたのだ。改めて礼を言わせてもらう。ありがとう」
深く頭を下げるアーノルド。彼の礼を受け取り、ノエルはやや表情を曇らせた。碧い瞳を僅かに落とす。車椅子に腰掛けたアーノルド。その足を一瞥してまた視線を上げる。
「命を助けることはできましたが、下半身不随という重い障害が残ってしまいました。こちらも尽力したのですが残念です」
「それは致し方ない。なにせ私は一度死んでいる身だからな。脳が損傷していてもおかしくない。むしろこの程度の障害で済み、幸運だと考えているよ」
頭を上げたアーノルドがそう話して、ほんの僅かだけ目を伏せた。
「……強いて我がままを言うのなら、私に使った『反転』の魔法を娘に使ってやりたかった。無論それは私が至らぬゆえのことだが、それだけが未だに悔やまれる」
「仕方ありません。仮にそれが選択肢にあっても、彼女自身がそれを選ばないでしょう」
「……そうだな。だがドラゴンが魔法を発動するには、数年から数十年と魔力をチャージする期間が必要だと聞いている。つまり『反転』の魔法はもう娘には使えないわけだ」
「……その辺りの事情は彼女から窺っています。その点でひとつお伝えしておきます」
眉をひそめるアーノルド。ノエルはやや口ごもりつつ、それを正直に伝えた。
「魔法はあらゆる願いを叶えます。ただし魔法で魔法の効果を打ち消すことだけはできません。つまり彼女に『反転』の魔法を施しても彼女の呪縛を解くことは無理なんです」
アーノルドが息を詰める。五秒ほどの沈黙を挟み、アーノルドが困惑気味に呟く。
「それは……本当か? 聞いたことがないが」
「元ドラゴンシーフのアーノルドさんが知らないのも無理ありません。魔法保有者自体が少ないうえ、その魔法を消そうとする人はさらに少ないですから。しかしボクはドラゴンの街に住んでいたこともあり、魔工機器や魔法には詳しいんです」
「……そうか」
「魔法保有者の魔法を解く方法は、ボクの知る限りひとつしかありません」
碧い瞳を尖らせて言葉を続ける。
「その人に魔法を組み込んだドラゴン。その施設で魔法を解除することだけです。彼女の呪縛を解くには世界のどこかにいる『転生』のドラゴンを探さないといけません」
ノエルの語る事実に、アーノルドが落胆したように肩を落とした。
「……難儀だな。ドラゴンを探すこと自体が困難だというのに、それが特定の一体だけに限定されるとは。娘が転生するまであと三年。果たして間に合うのか……」
「間に合わせます」
そう力強く宣言する。落としていた視線を上げてこちらを見つめるアーノルド。彼の不安に揺れるブラウンの瞳を自身の碧い瞳で見返して、ノエルは強気に笑った。
「そのためにボクたちは行くんです」
「……そうだな。そうだった」
アーノルドがふっと笑みを浮かべて、自身の足をパンパンと叩く。
「こんな脚でなければ私も付いていきたいところだが、大人しく留守番していよう」
「アーノルドさんには情報収集をお願いします。現場にはボクたちが向かいますから」
「分かった。こちらも君が探しているという故郷について情報を得たらすぐに伝えよう。それでこの件についてはお互い貸し借りなしということで宜しいかな」
「もちろん。期待していますよ」
「ところで話は変わるが――」
アーノルドが目をキラリと光らせてニヤリと笑みを浮かべた。
「君に感謝はしているが、娘との結婚の話はまた別の問題だ。その点において、私はまだ君を認めたわけではないからな」
「ええ……それはないんじゃないですか?」
眉尻を落とすノエル。アーノルドが笑いながら太い腕を窮屈そうに組む。
「大事な一人娘なんだ。そう簡単には認められんよ。見合いまでは許したがそれ以上は駄目だ。私の許可なく娘には手を出すなよ」
「結構頑固おやじですね。アーノルドさん」
「知ったことか。そもそも君はまだ女性なのだろ? 娘のことを本当に嫁に迎えたいというのなら、せめて男になってから私に改めて挨拶に来ることだな」
「そうしたらボクのこと認めてくれます?」
「安心しろ。拳銃片手に丁重に迎えてやる」
冗談めかしてそう言うアーノルドに、ノエルはやれやれと苦笑する。どうやら彼女との結婚は前途多難のようだ。だがそれはそれでやりがいがあるとも言える。
「ところで、その肝心の彼女はどこにいるんですか? 今日は姿を見ていませんが」
「旅立ちに備えて荷物をまとめている。だが何かと要領の悪い娘だからな。放っておくといつまでも時間を掛けてしまう。ゆえに先程使用人に命じて――」
「にぃやあああああああああああ!」
廊下から悲鳴が聞こえてきた。廊下に通じている扉を見やると、両開きの扉がバタンと開かれて、二人の使用人がリビングに入ってくる。表情のない使用人の二人。その彼らの手には、大きなリュックサックと――
全身を縄でグルグル巻きにされた赤髪の女の子が担がれていた。
「ちょっと! まだ支度が済んでないんだけど! まだまだ持っていきたいものがあるの! 可愛い服とか可愛い下着とか可愛いゴミクズとか可愛い壁のシミとか――」
赤いポニーテールを振り乱しながら女の子がそう絶叫する。だが使用人は聞く耳ないようで無表情であった。レプリカの魔工人形である彼女たちは感情に乏しいのだ。
使用人が赤髪の女の子をポイっと床に放り捨てる。顔面から床に落下する女の子。その姿に何となく既視感を覚える。だが今回はさらに追い打ちをかけるように、女の子の上に巨大なリュックサックが落とされた。
「むげぇ!」
赤髪の女の子から奇妙な声が鳴る。これで用が済んだと廊下に姿を消す二人の使用人。ぽかんと目を瞬いていると、アーノルドがひどく淡々とした調子で呟いた。
「ようやく来たか。呼ばねば来ぬとは、相変わらず手のかかる娘だ」
「これは呼んできたというより、拉致してきたという表現が正しいんじゃ?」
とりあえずそう呟いて、ノエルはソファから立ち上がり、リュックサックに潰された赤髪の女の子のもとまで歩いていく。そして巨大なリュックサックを女の子からどかし――かなり重たい――、女の子を拘束している縄を手早く解いてやった。
体の自由を取り戻した赤髪の女の子が、ガバリと立ち上がりアーノルドに唾を飛ばす。
「ちょっとパパ! あたしを呼ぶのにあの使用人を使うの止めてくれる!? レプリカで彼女たちに感情がないのは分かるんだけど、それにつけても乱暴が過ぎるのよ!」
「はっはっは。そう怒るなハンナ」
笑い飛ばすアーノルドに、赤髪の女の子――ハンナ・アーモンドが「むきい」と怒りを顕わにする。プンスカと憤慨する自身の娘に、アーノルドがことも何気に言う。
「彼女たちを責めないでくれ。彼女たちがあのような行動を取るのは全て私の指示だ」
「元凶はお前か!?」
ぎょっと赤い瞳を丸くするハンナに、アーノルドがまたカラカラと笑う。
「獅子は我が子を千尋の谷に落とすと言うだろ。だから物理的に落としてみたわけだ」
「絶対に解釈違うからソレ!」
「因みに使用人には、私の指示に従わねばバラバラにして捨てると脅してある」
「ごめんなさい使用人のみんな! あたし勘違いしてた! 悪魔はここにいたのね!」
どこからが本音でどこから冗談なのか、よく分からないやり取りをする二人。祈るようなポーズをしていたハンナが――使用人に謝罪している?――大きく溜息を吐く。
「もう……どんな顔して合えばいいのかって部屋で悩んでいたあたしが馬鹿みたい。パパってホント、デリカシーがないんだから」
「そんなことだろうと思っていた。だがそれを気にする必要などない」
アーノルドが可笑しそうに笑い、あくまで気楽な調子で言葉を続ける。
「私たち親娘にしみったれた別れなど似合わないだろう。今生の別れというわけではないのだ。私はいつものように娘を送り出し、お前もいつものように家を出て、そしていつでもこの家にまた帰ってくればいい」
「……そうだね」
アーノルドの微笑みにつられるように、ハンナもまた微笑みを浮かべる。大きなリュックサックを重そうに背負い、ハンナが最愛の父親であるアーノルドに――
ビシリと親指を立てた。
「それじゃあ行ってくるね。『転生』の魔法だか何だか知らないけど、そんなものすぐ解いて戻ってくるから、パパもあたしがいないからって寂しくて泣いちゃ駄目だよ」
「よく言うな。私が少し席を外しただけでピーピーと泣いていたのは誰だったか?」
「それは記憶を失くしてすぐの時でしょ? あたしはもう子供じゃないし、それにノエルたちも一緒だから寂しくなんかないもん」
「それは何よりだ……ハンナ」
アーノルドがテーブルに置いていた物をハンナに放る。慌ててアーノルドの投げた物をキャッチするハンナ。それは黒い鞘に収められた異国の武器――
一振りの刀であった。
「それを持っていきなさい。メリッサの形見でありお前の武器だ。だが忘れるな。魂は同じでもメリッサとお前は別人だ。お前だけの人生を精一杯生きるんだ。いいな」
「……分かってる」
アーノルドの言葉に力強く頷いて――
ハンナがこちらに振り返る。
「それじゃあ行こう、ノエル」
笑顔を咲かせるハンナ。その彼女の表情はとても眩しく力強いものであった。彼女の笑顔に一瞬見惚れてしまい、そんな自分に気付いてノエルは胸中で苦笑した。
(ほらね、ボクは人を見る目があるんだから)
そんな自画自賛をして――
「ああ行こう、ハンナ」
未来の花嫁に力強く頷いた。




