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魔王を倒した後に始まる物語  作者: にめ


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memory 85 分かれる判断

## memory 85 分かれる判断


 分岐点は、唐突だった。


 石でできた扉の残骸を越えた先、通路が二つに裂けている。

 片方は狭く、天井が低い。壁が近く、空気が重い。曲がりくねって先が見えない。

 もう片方は広い。視界は通るが、床が不自然に平らで、何もないのが逆に気味が悪い。


 どちらも“行ける”。

 どちらも“嫌だ”。


 アズルは立ち止まり、剣の柄に指を置いた。

 抜かない。

 抜かないまま、見て、考える。


 頭の奥に、薄い膜のような既視感が触れてくる。

 どこかで見た気がする。

 どこかで選んだ気がする。


 ――けれど、答えが出ない。


「……精霊の流れ」

 ヴェールが小さく呟いた。

 手のひらを宙に浮かせ、目を閉じる。

「狭い方が……自然。だけど」


「だけど?」

 ルージュが促した。


「削られる感じがする」

 ヴェールは言葉を探しながら言った。

「空気が、細くなる。息が浅くなる。そこに合わせて、私たちの気持ちも……小さくなる」


 ノワールは広い方を見たまま、目を細めた。

「広い方は、逆だ。何もないのに、見られている」


「見られてるって……誰に?」


「分からない」

 ノワールは即答した。

 それが、このパーティではもう当たり前になってきている。

 分からないと言えることが、弱さではない。


「私は広い方、嫌い」

 ルージュが言った。

 いつもの快活さより少しだけ硬い声。

「こういう“何もないところ”って、だいたい後から取り返しつかなくなる」


 彼女は狭い方を見やり、続けた。

「でも狭い方も嫌。退路が作りにくいし、逃げ道が一本って、結界を張るタイミングが難しい」


 ヴェールは頷いた。

「狭い方で私が“使いすぎたら”、逃げる余地がない」


 アズルはその言葉に、少し胸が締め付けられる。

 “使いすぎる”。

 ヴェールがそれを自覚して言えるようになったことが、嬉しい。

 同時に、怖い。


 ノワールが、ぽつりと言った。

「どちらも正解には見えない」


 ルージュが笑う。

「正解って、そもそもあるの?」


 その笑いは軽い。だが、空気は軽くならない。


 アズルは口を開きかけ、閉じた。

 昔なら、こういう場面で“決めてしまう”ことができた。

 既視感が背中を押してくる。

 判断が速い。


 ――でも、それを今は信用しない。


「……結論が出ないな」


 言ったのはアズル自身だった。

 それを口に出した瞬間、胸の奥が少しだけ楽になる。


 結論が出ない。

 それは、失敗ではない。


「決めなくてもいいんじゃない?」

 ルージュが、あっさり言った。


 アズルが目を向ける。


「どういう意味?」


「分かれる」

 ルージュは肩をすくめた。

「二人ずつで、少しだけ見て、戻る。致命的に離れない距離で」


 ノワールが頷く。

「偵察としては合理的だ。ただし、危険も増える」


「危険は増える」

 ヴェールが静かに繰り返した。

 それから、アズルを見た。


 背中を押す目ではない。

 “選べ”という目でもない。


 “どうする?”と並ぶ目だった。


 アズルは息を吸う。


「……分かれよう」


 言葉は、重くなかった。

 決断は、独占ではない。


「ただし、戻れる距離。合図の取り決めを先に」


 ノワールがすぐに頷く。

「音は使えない。光も目立つ。なら、床に残す印。左壁に三つ刻む。異常があれば、二つ」


「了解」

 ルージュが即答する。


 ヴェールは頷き、精霊を一体だけ呼び寄せた。

 小さな灯りのように漂う精霊。


「これを、合流地点の目印にする」


 アズルはそれを見て、思う。

 “使う”ことを否定せず、必要最低限にする。

 ヴェールは、ちゃんとそこに立っている。


 ◆


 組み合わせは自然に決まった。


 アズルとヴェールが狭い方。

 ノワールとルージュが広い方。


 誰が誰を守る、という形にならない。

 それが、今の彼らの距離だった。


「死なないでねー」

 ルージュが軽口を叩く。


「そっちこそ」

 アズルが返す。


「ふふ」

 ヴェールが笑った。

「屋根がないから、ラブコメは禁止だよ」


「えっ、禁止なの?」

 ルージュが目を丸くする。


「ルール」

 ノワールが淡々と言う。


「えー、じゃあ帰ったら屋根探そ」


 軽い声。

 その軽さが、今はありがたい。


 ◆


 狭い通路は、息が詰まりそうだった。

 壁が近い。天井が低い。

 曲がり角が多く、先が見えない。


「……削られる感じ」

 ヴェールが小さく言った。


 アズルも分かる。

 言葉が減る。

 呼吸が浅くなる。

 考えが“短く”なる。


 これは、ただの閉所ではない。

 気持ちを小さくする仕組みがある。


 足元の石が、わずかに沈む。


「――止まって」


 ヴェールの声。

 精霊が小さく揺れ、空気の流れが変わる。


 床が沈む。

 沈んだまま戻らない。


 罠。


 だが、落とし穴ではない。


 次の瞬間、壁が“寄ってくる”。


 石の壁が、ほんの数センチ。

 ゆっくりと狭くなる。


「閉じ込める罠……」


 ヴェールが息を呑み、手を伸ばしかける。

 精霊の気配が膨らむ。


 ――使いすぎる。


 アズルは反射で、彼女の手首を掴んだ。


「ヴェール。待って」


「でも……」


「まだ、使わなくていい」


 言いながら、アズルは壁の動きを見る。

 速くない。

 今なら、身体をねじ込んで抜けられる。


「ここ、戻れる」


 アズルは体を横にし、壁と壁の間を抜けた。

 そのままヴェールに手を伸ばす。


「来い」


 ヴェールは一瞬迷い、それから頷いた。

 精霊を引っ込め、アズルの手を取る。


 二人が抜けた瞬間、壁の動きが止まった。


 ――罠は、閉じ込めるものだった。

 でも、閉じ込められなかった。


 ヴェールが息を吐く。


「……ごめん。使うところだった」


「止めた」

 アズルは言う。

「でも、止めたのは俺じゃなくて、今の俺たちだ」


 ヴェールは、少しだけ笑った。

「うん。……ありがとう」


 アズルは首を振る。

「謝るな。報告でいい」


 その言葉に、ヴェールの目が柔らかくなる。


 ◆


 一方。


 広い通路は、音がよく響いた。

 足音が遅れて戻ってくる。

 壁が遠いのに、気配が近い。


「見られている」

 ノワールが呟く。


 ルージュは舌打ちをする。

「こういうの、ほんと嫌」


 何もない。

 罠もない。

 魔物もいない。


 ――そのはずなのに、視線だけがある。


 ルージュが幻術を薄く張る。

 だが、空間がそれを弾く。


「効きづらい……?」


「ここ、魔力が“平ら”だ」

 ノワールが言う。

「波がない。幻は波を作る。だから弾かれる」


「最悪」


 ルージュが眉を寄せる。

 彼女が焦るのは珍しい。


 そのとき、床が“影”を伸ばした。


 影が、走る。


「来る」


 ノワールの声。


 影から、小型の魔物が湧いた。

 数は少ない。

 だが、姿がはっきりしない。


「幻じゃないのに、幻っぽい!」


 ルージュが魔法を放つ。

 衝撃は当たる。

 だが、手応えが薄い。


「当たってるのに……」


「核が別だ」

 ノワールが短く言う。

「追うな。引く」


「え?」


「引く」


 ノワールは迷わず後退した。

 ルージュは一瞬、反射で前に出そうになり――踏みとどまる。


 その瞬間、影の魔物が床に沈み、消えた。


 追えば、足元を取られていたかもしれない。


 ルージュが息を吐く。


「……今の、危なかった?」


「分からない」

 ノワールが言う。

「でも、追うべきじゃなかった」


「分からない、で引くのって……ずるい」


「生き残る方が、ずるい方がいい」


 ノワールの淡々とした言葉に、ルージュが笑った。


「……それ、ちょっとかっこいいじゃん」


「屋根がない」


「わかってる!」


 ◆


 合流地点は、分岐点から少し戻った小さな踊り場だった。

 ヴェールの精霊の灯りが、そこに漂っている。


 先に来ていたのは、アズルとヴェールだった。


 ノワールとルージュが現れると、四人の息が揃う。


 無事。

 それだけで、今日は勝ちだと思えた。


「そっちは?」

 ルージュが訊く。


「閉じ込め罠」

 アズルが答える。

「壁が寄ってきた。ヴェールが使いすぎそうになったけど、戻れた」


 ヴェールが頷く。

「報告。……使う前に止まれた」


 ノワールが広い方を指す。

「影。幻が効かない空間。追えば危険だった」


 ルージュが肩をすくめる。

「焦った。珍しく」


 ヴェールが小さく笑う。

「焦っても、戻れた」


 アズルは頷く。


 そして、口に出す。


「……で。どっちが正しかった?」


 沈黙。


 誰も答えない。


 ノワールが言う。

「分からない」


 ルージュが続ける。

「どっちも嫌だった。どっちも嫌なまま、戻った」


 ヴェールが静かに言った。

「正しさを揃えなくても……戻れる」


 アズルは、その言葉を噛みしめる。


 正解を揃えなくても、戻れる。

 結論を出さなくても、進める。


 以前の自分なら、耐えられなかった感覚だ。


 アズルは広い通路と狭い通路を見比べる。


 既視感が、また薄く触れてくる。

 でも、そこに従わない。


「今日は、もう無理しない」


 その言葉に、誰も反対しなかった。


「じゃあ、戻ろ」

 ルージュが言う。

「屋根のあるところで、ラブコメ解禁してから考えよ」


「考えよ、が後ろにくっついてるのが怖い」

 アズルがぼそりと返す。


 ルージュがにやりと笑う。

「怖がってる?」


「……怖い」


「へえ」


 ヴェールが、くすっと笑った。


 ノワールは淡々と先に立つ。


「帰還線を優先する。議論は屋根の下だ」


 四人は歩き出す。


 次の階層への入口は、まだ見えない。

 嫌な気配は、増している。


 それでも。


 正解を揃えなくても、彼らは進めるようになっていた。


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