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魔王を倒した後に始まる物語  作者: にめ


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memory 138 今と約束のあいだ

# memory 138 今と約束のあいだ


 王女が部屋を出ていくと、扉は静かに閉じられた。


 音は小さい。

 だが、その音が、この部屋を外界から切り離した。


 残されたのは、アズルと、ブランと、セレフィアと、そして三人のヒロインたち。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 怒鳴り声もない。

 剣に手が伸びることもない。


 それでも、空気は張り詰めている。


 戦闘よりも、よほど神経を使う沈黙だった。


 最初に動いたのは、城の使用人だった。


 ノックもなく、そっと扉が開き、若い女官が顔を出す。


「お茶をお持ちしました」


 視線を伏せたまま、彼女は銀のワゴンを運び入れた。

 茶器と、簡単な菓子。


 監視のためではない。

 逃がさないためでもない。


 ただ、“時間を与える”ための配慮だった。


 女官はすぐに下がり、再び扉は閉じられる。


 その行為が、逆にこの場を落ち着かせた。


 ――管理されていない。


 アズルは、その事実を噛みしめる。


「……座ろうか」


 彼が言うと、全員が無言で頷いた。


 椅子の配置は自然だった。


 アズルを中心に、右にブラン。

 左にセレフィア。


 ルージュ、ヴェール、ノワールは、少し離れた位置。


 誰も場所を取り合わない。

 誰も、相手を押しのけない。


 だが、その距離が、それぞれの立場を雄弁に語っていた。


 湯気の立つ茶を前にしても、誰もすぐには手を伸ばさない。


 沈黙を破ったのは、セレフィアだった。


「……ごめんなさい」


 その一言は、場違いなほど静かだった。


 全員が彼女を見る。


「突然で、驚かせたわよね」


 王女の娘。

 そう呼ばれる立場に慣れているはずの彼女は、今はただ一人の女性だった。


「でも……言わずにはいられなかった」


 セレフィアは、両手を膝の上で組んだ。


「私は、待っていたから」


 ルージュが眉をひそめる。


「……待ってた、って」


「ええ」


 セレフィアは否定しない。


「アズルが勇者として旅に出たあとも。

 魔王を倒したと聞いたあとも。

 姿を消したと聞いたあとも」


 その言葉に、ヴェールが息をのむ。


「……ずっと?」


「ずっと、ではないわ」


 セレフィアは、少しだけ首を振った。


「待つことを選んだだけ」


 その言い方が、重かった。


 待たされたのではない。

 縛られたのでもない。


 自分で選んだ、と言い切る声だった。


「約束はね」


 セレフィアは続ける。


「破ったら罰を受けるものじゃない」


「忘れても、消えないだけ」


 ブランが、その言葉を噛みしめるように視線を落とした。


 ペンダントが、かすかに揺れる。


 忘れられたものを、思い出せる状態にする鍵。


 ブランの力と、セレフィアの言葉が、奇妙に重なった。


 ルージュが口を開く。


「……じゃあ、どうして今?」


 鋭い問いだ。


「今まで、姿を見せなかったのに」


 セレフィアは即答しなかった。


 少し考え、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「王女の娘として生きている間は……

 出られなかった」


「出れば、私は“政治”になる」


「約束じゃなく、取引になる」


 その言葉に、ノワールが小さく頷いた。


「……正しい判断」


 セレフィアは微笑んだ。


「ありがとう」


 ヴェールが、優しく尋ねる。


「それで……今は?」


「今は」


 セレフィアは、アズルを見た。


「アズルが、戻ってきたから」


 戻ってきた。


 それは、記憶だけでなく、立場でもある。


 アズルは、息を吸い、吐いた。


 逃げない。


 ここで言葉を選ばなければ、剣を抜くことになる。


「……俺が、話す」


 全員の視線が集まる。


 アズルは、真っ直ぐセレフィアを見た。


「約束は……覚えている」


 セレフィアの目が、わずかに揺れる。


「でも」


 その一言で、空気が変わる。


「俺は、あの時」


「世界を平和にしたいと思っていた」


「結婚の約束として言ったわけじゃない」


 嘘ではない。


 だからこそ、痛い。


 セレフィアは、すぐには反論しなかった。


 その代わり、問いを返す。


「……それは、今も同じ?」


 アズルは頷く。


「今もだ」


「ただし」


 一拍。


「今は、一人で平和を作る気はない」


 ブランが、顔を上げる。


「ブランも?」


「もちろんだ」


 アズルは迷わず答えた。


 ブランの表情が、少しだけ柔らぐ。


 セレフィアは、そのやり取りを見てから言った。


「……なら」


 彼女は、微笑んだ。


「今のあなたを、見てから決める」


 その言葉は、意外だった。


 押し付けない。


 責めない。


 縛らない。


 ただ、見る。


 ブランが一歩前に出る。


「ブランは、隠れない」


 短いが、強い言葉。


「魔族をまとめるのも」


「アズルの隣にいるのも」


「どっちも、選ぶ」


 その宣言に、ルージュが小さく笑った。


「……相変わらずね」


 ヴェールが頷く。


「逃げないのは、強さだよ」


 ノワールが一言。


「……譲らないのも」


 その空気を切り替えるように、再び扉がノックされた。


 今度は、使者だ。


 新国王からの正式文書。


 アズルが受け取り、目を通す。


「……魔族統一への介入はしない」


「ただし、交渉の場は王国が用意する」


「王都の家は、拠点として提供」


 管理しない。


 だが、逃げ道も塞がない。


 絶妙な距離感だった。


 夜。


 王都の家――まだ家具も少ないその場所で、アズルはテラスに出た。


 風が気持ちいい。


 ブランが隣に座る。


 少し離れた位置に、セレフィア。


「……まだ、決まらないね」


 セレフィアが言う。


「ああ」


 アズルは頷いた。


「決めなくていいよ」


 ブランが、当たり前のように言った。


 その言葉に、セレフィアは少し驚き、そして笑った。


「……強いね」


「強くない」


 ブランは即答。


「怖いだけ」


 アズルは空を見上げる。


 星が、きれいだ。


 平和そうに見える。


 でも、魔族はまだばらばらで。

 四天王は動き始めていて。


 そして、名前だけが、先に歩き始めている。


 今と、約束のあいだ。


 その狭間で、アズルは思う。


 剣を抜かずに進む道は、いつも一番険しい。


 だが――


 だからこそ、意味がある。


 ***


 しばらく、誰も言葉を発しなかった。


 テラスを渡る風が、ブランの白い髪を揺らし、セレフィアの金髪を撫でる。

 同じ風なのに、触れ方は違う。


 ブランは、その違いをぼんやりと感じていた。


 ――待つ人。

 ――今を歩く人。


 どちらが正しいかなんて、決められない。


 決めてしまえば、余白が消える。


 ブランはペンダントを握った。


 これは、思い出させる鍵だ。

 縛る鍵じゃない。


「……ブランね」


 不意に、セレフィアが声をかけてきた。


「なに?」


「怖くない?」


 その問いは、意外だった。


「アズルが、昔の約束を持っていたこと」


 ブランは少し考えた。


「怖いよ」


 即答だった。


「だって、ブランは過去を知らない」


「アズルがどんな子だったか、知らない」


 セレフィアは静かに聞いている。


「でも」


 ブランは、アズルを見る。


「今のアズルは知ってる」


 アズルは、驚いたようにこちらを向いた。


「一緒に歩いて、一緒に迷って、一緒に怒って」


「それは、ブランの時間」


 セレフィアは、目を細めた。


「……なるほど」


 納得したような、悔しそうな声音。


「あなた、強いわ」


「強くないって言ったでしょ」


 ブランは少しむっとする。


「ブランは、怖いだけ」


「奪われるのが」


「管理されるのが」


「決められるのが」


 セレフィアは、その言葉を噛みしめるように息を吐いた。


「……私も同じ」


 小さな告白だった。


「王女の娘として生きるって、全部決められることだから」


「立つ場所も、言葉も、未来も」


 だから、とセレフィアは続ける。


「約束だけは、私のものだった」


 それは、ブランのペンダントと同じ重さだった。


 アズルは、二人の会話を聞きながら、胸の奥が締め付けられるのを感じていた。


 誰も、間違っていない。


 だからこそ、選択は重い。


「……俺は」


 アズルは、ようやく口を開いた。


「どっちかを切り捨てる気はない」


 ルージュが、テラスの柱にもたれかかりながら言う。


「それが一番、難しい選択ね」


「分かってる」


 アズルは苦笑する。


「だから、旅に出る」


 ヴェールが、静かに頷いた。


「逃げじゃないね」


「決めるためだ」


 ノワールが短く言う。


「……観測される」


「されるな」


 アズルは言った。


「見せる」


 誰かに裁かせない。

 誰かに決めさせない。


 自分たちで、歩いた結果を見せる。


 その言葉に、セレフィアは小さく笑った。


「やっぱり、変わってない」


「悪いか?」


「いいえ」


 セレフィアは首を振る。


「だから、待てる」


 待つ、という言葉が、もう重くならなかった。


 ブランは、アズルの袖を引く。


「ブランも、行く」


「分かってる」


 アズルは頷いた。


 ルージュが肩をすくめる。


「全員、行くに決まってるでしょ」


 ヴェールが微笑む。


「置いていかれる気はないよ」


 ノワールは短く。


「……準備する」


 その言葉が、現実を動かした。


 夜は深い。


 だが、止まってはいない。


 この静かな夜の裏で、

 世界は確実に、次の段階へ進み始めている。


 今と、約束のあいだ。


 そこに立つことを選んだ者たちの旅が、

 静かに、再び始まろうとしていた。


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