memory 130 思い出しただけ
# memory 130 思い出しただけ
白い光が、完全に消えた。
玉座の間に戻ってきたのは、音だった。
衣擦れの音。誰かの呼吸。遠くで、風が窓を叩く微かな音。
さっきまで世界を満たしていた光が嘘だったみたいに、城はまた静かになった。
誰も、すぐには動かなかった。
記憶が戻った――という一言では片づけられないほど、頭の中に流れ込んできたものが多すぎる。
戦い。
選択。
剣を振るった理由。
そして、振るってしまった後の光景。
アズルは、無意識のまま自分の剣を見下ろしていた。
いつもと同じ重さ。
いつもと同じ形。
なのに、まるで違うものに見える。
剣は嘘をつかない。
だからこそ、今はひどく重かった。
「……思い出した」
ぽつりと、アズルが言った。
誰に向けた言葉でもない。
それでも、全員が顔を上げる。
「魔王は……敵対してなかった」
言葉が、喉に引っかかる。
「……なのに、俺は……」
最後まで言えなかった。
「討った」と言えば事実になる。
「間違えた」と言えば、すべてが一色に塗りつぶされる。
どちらも、今は言えない。
アズルは、ただ剣を握りしめた。
その腕に、温度が触れる。
ブランだった。
いつの間にか、彼女はアズルの腕にぴったりと身体を寄せていた。
離れる気配はない。
離れる理由も、見当たらない。
まるで、そこが最初から自分の場所だったみたいに、自然に。
アズルが一瞬、戸惑って視線を落とすと、ブランは当然の顔で言った。
「なにじゃ?」
「……いや」
それ以上、何も言えなかった。
言えば、この距離を否定することになる気がした。
ルージュが、その様子を見て小さく咳払いをした。
「……で?」
視線が、明らかにブランとアズルの距離を刺している。
「話、続けていい?」
ブランはちらりとルージュを見て、首を傾げた。
「よいぞ?」
そのまま、アズルの腕に抱きついたまま。
ルージュの額に、うっすらと青筋が浮く。
「……離れる気、ないのね」
「ないが?」
即答だった。
ヴェールが困ったように微笑む。
「ブ、ブランさん……あの……」
「ヴェールも来るか?」
「い、いえ! 私はその……」
ノワールは何も言わないが、視線だけが鋭くなっている。
アズルは、会話の流れを戻そうとした。
「……ルージュ」
「なによ」
少し棘のある返事。
「お前も……思い出したんだろ」
ルージュは肩をすくめた。
「ええ。全部じゃないけど、大体ね」
自分の手を見つめる。
「全属性の魔法。元々、使えた」
淡々とした口調。
「魔力も時間も食うけど……転移魔法も、できる」
自慢はない。
誇示もない。
むしろ、少し面倒そうだった。
「便利だけどね。だからこそ、扱いづらい」
アズルは頷いた。
それが、彼女の本来の姿だ。
「ヴェールは?」
話を振られ、ヴェールは少し躊躇ってから口を開いた。
「私も……思い出しました」
指先を胸元で絡める。
「支援と補助……ほぼ、全部」
そして、小さな声で付け足した。
「妖精王召喚も……」
言ったあとで、顔を伏せる。
「でも……怖いです」
視線を上げる。
「癒せるから……止められてしまう」
戦いも。
迷いも。
誰かの決断も。
温泉街で学んだことが、ここで言葉になる。
ノワールは短く言った。
「……私も」
一拍。
「錬金術、使える」
それだけ。
だが、その一言には重みがあった。
正しく戻せてしまう。
壊れたものを、なかったことにできてしまう。
ノワール自身が、それを一番恐れている。
アズルは全員の顔を見回し、低く言った。
「強くなったわけじゃないな」
誰も否定しない。
「……思い出しただけだ」
その言葉に、全員が静かに頷いた。
そして、アズルはもう一つの疑問を口にする。
「でも……なぜ、今だ」
視線が、自然とブランに集まる。
ブランは、アズルの腕から離れないまま、少しだけ真面目な顔になった。
「お父様が、命じたのよ」
静かな声。
「私と、また再会できるように、って」
それだけ。
世界のためでもない。
和平のためでもない。
勇者を導くためでもない。
ただ、父が娘に会わせるためだけの命令。
ルージュが、ゆっくり息を吐いた。
「……管理者じゃなかったのね、あの人」
ヴェールが小さく頷く。
「守るためでも、支配するためでもなく……信じて、待っていた」
ブランは少し誇らしげに言った。
「お父様は、そういう人じゃ」
そして、ふっと表情を和らげる。
「私の力も……思い出した」
全員が、今度こそブランを見る。
「私の力は、戦うためのものではない」
胸元のペンダントに指を添える。
「世界の“余白”に触れる力じゃ」
言葉を選びながら、続けた。
「誰かが信じた可能性を、消さない力」
「壊れそうな選択肢を……まだ残す力」
アズルの腕に、さらに体重を預ける。
「だから、私はここにいた」
「誰にも見つからず、誰にも縛られず……待つために」
ルージュが思わず言った。
「……べったりしながら説明する内容じゃないでしょ、それ」
「む?」
ブランは首を傾げ、ぎゅっと抱きつきを強めた。
「こうしていた方が、落ち着くのじゃ」
アズルの腕が、完全に塞がれる。
ルージュのこめかみが引きつる。
「……あのねぇ」
ヴェールも、少し視線を逸らす。
「ブランさん……その……距離が……」
「近いか?」
「ち、近いです……」
ノワールが、ぽつりと呟いた。
「……監視しづらい」
ブランはきょとんとした。
「なぜじゃ?」
「……いや、なんでもない」
アズルは苦笑しながら言った。
「少し……離れてくれないか」
ブランは、少しだけ考える素振りを見せてから。
「断る」
即答だった。
ルージュが叫ぶ。
「でしょーね!!」
場の空気が、ほんの少しだけ緩む。
だが、現実は待ってくれない。
ルージュが、表情を引き締めて言った。
「……これから、どうする?」
「王都に、報告しに戻る?」
アズルは、ブランを腕に抱えたまま、少し考えた。
「ブランを、国王には渡せない」
即答だった。
「でも……報告は、必要だ」
責任からは、逃げない。
それだけは、決めている。
ルージュは、にやりと笑った。
「……ならさ」
一歩、前に出る。
「いい考え、あるんだけど」
その言い方が、やけに軽い。
軽いのに、軽くできない話だと全員分かっている。
アズルは眉をひそめた。
「?」
ブランは、アズルの腕に顔を埋めたまま呟いた。
「楽しそうじゃな」
その一言に、ルージュがぴくりと反応する。
「……楽しそう、って言う状況じゃないでしょ」
「わたしは、アズルと一緒なら楽しい」
ブランは顔も上げずに言った。
当然だ、と言うみたいに。
ルージュの口元が、引きつる。
「そ、そう……。あんた、ほんと、遠慮ってものを……」
ノワールが小さく肩を落とした。
「遠慮は、技能じゃない」
「技能じゃないわよ!」
ルージュが思わずツッコミを入れ、すぐに自分で咳払いをした。
「……とにかく。ここ、玉座の間だし。落ち着いて話せる場所、移動しましょ」
ヴェールが控えめに頷く。
「はい……ここ、空気が固いです」
ブランはむっとした。
「ここはお父様の場所じゃぞ」
その言い方が、少しだけ子どもっぽかった。
アズルは静かに言う。
「……今は、ブランの場所だ」
ブランが顔を上げ、ぱっと笑った。
「うむ!」
その笑顔が、胸を刺す。
うれしいのに、苦しい。
アズルは視線を逸らした。
逃げたわけではない。
息を整えるためだ。
四人は玉座の間を出て、少し奥の小さな部屋へ移った。
そこは生活の匂いがする場所だった。
小さな卓と椅子、窓、壁際に簡素な棚。
豪奢ではない。
けれど、ここなら言葉が落ちる。
ルージュが卓に手をつき、ため息をついた。
「……ねえ、アズル。さっきから顔色悪い」
アズルは首を振る。
「大丈夫だ」
「大丈夫って顔じゃない」
ヴェールがそっと近づき、掌をアズルの胸元のあたりにかざしかけて――止めた。
癒しはできる。
できるから、止める。
その迷いを、ブランが横から覗き込む。
「ヴェールは優しいのう」
「……優しい、ですけど……」
ヴェールは困ったように笑う。
「今、勝手に整えたら、アズルさんが自分で立つ余白がなくなってしまう気がして」
ブランが頷いた。
「余白、大事じゃ」
言いながら、ブランはアズルの腕に、さらにべったりと寄りかかった。
余白を語りながら、余白を潰している。
ルージュの目が細くなる。
「……その余白の使い方、合ってる?」
「合っておる」
ブランは自信満々に言い切った。
ノワールが、机の端に小さな金具を置いた。
指先で触れると、それはすぐに形を変え、布を留める留め具になる。
ルージュが目を見張る。
「……それ、今作ったの?」
「うん」
ノワールは短く頷いた。
「錬金術。思い出した」
留め具は、見た目は地味だ。
しかし、その地味さが怖い。
世界を派手に変えないまま、必要なものを作れる。
正しく戻せる。
正しく直せてしまう。
ルージュが、ふっと笑った。
「相変わらず、便利すぎて腹立つわね」
「……腹立つなら、使わない」
「使うわよ。腹立つだけ」
言い合いのテンポが、少しだけ戻る。
戻る、という言葉が胸に刺さる。
戻る。
戻れる。
戻れてしまう。
アズルは、その言葉を飲み込み、代わりにルージュに視線を向けた。
「お前の“全属性”って……」
「はいはい。言うと思った」
ルージュは両手を広げ、指先に小さな光を灯した。
炎。
水。
風。
土。
雷。
そして、影みたいな薄い闇。
それらが一瞬で生まれ、次の瞬間には消える。
派手に見せるための演出ではない。
確認のための最小限。
「ほら。ある」
「……あるな」
「元々あったの。忘れてただけ」
ルージュは指先を擦り合わせ、嫌そうに言った。
「便利って、嫌い。便利なほど、誰かが“正しさ”に使うから」
ヴェールが小さく頷く。
「分かります……」
ヴェールも指先を胸元に当て、目を閉じる。
空気が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
温度が一枚、下がる。
息が通る。
それは癒しではない。
支えるだけ。
立つための余裕を作るだけ。
「……これも、元々できた」
ヴェールが呟く。
「でも、全部はやりません。必要な分だけ」
その“必要”を決めるのが怖い。
だから、彼女は慎重だ。
アズルは頷いた。
慎重でいい。
慎重なまま、進めばいい。
――問題は。
自分だ。
アズルは視線を落とし、二本目の剣の感覚を探った。
腰の位置。
そこに、確かに“空白”がある。
かつてそこにもう一本あった。
抜いて戦った。
二刀。
思い出しただけで、身体が覚えている。
今はまだ、抜かない。
抜いた瞬間、戻りすぎる。
戻りすぎれば、管理になる。
それでも次の戦いでは――必要になる。
必要なときにだけ。
アズルは自分に言い聞かせる。
その横で、ブランがじっとアズルの顔を覗き込んでいた。
「アズル」
「なんだ」
「眉間にしわ。困っておるな」
言いながら、ブランは両手でアズルの眉間を押し広げようとした。
近い。
近すぎる。
鼻先が当たりそうだ。
ルージュが机を叩いた。
「ちょっと! 顔いじらないで!」
「なぜじゃ?」
「なぜって……! いや、理由はあるけど、そうじゃなくて!」
ルージュの言葉が迷子になる。
ヴェールが小さく笑ってしまい、すぐに口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい……」
ノワールは目を逸らしたまま、ぽつり。
「……見てるだけで、疲れる」
「ノワールも、抱きつくか?」
「……いらない」
即答。
しかし、その即答が少しだけ早い。
ルージュはその「早さ」に気づいて、さらに苛立つ。
「ほら! 嫌がってるでしょ!」
「嫌がってるのか?」
ブランが本気で分かっていない顔をする。
アズルはため息をつき、ブランの頭にそっと手を置いた。
「……ブラン」
「うむ」
「少しだけ、落ち着いてくれ」
「落ち着いておる」
「……そうか」
落ち着いてこれなら、落ち着いてないときはどうなる。
ルージュが、唇を噛む。
噛みながらも、視線がブランのペンダントに吸い寄せられていた。
「……さっきの光」
「うむ」
ブランは胸元を撫でる。
「ペンダントは、鍵じゃ」
「鍵?」
「閉じているものを開ける鍵。忘れられていたものを、思い出せるようにする鍵」
説明が、やけにまっすぐだった。
ブランは、言葉を選んでいる。
選びながらも、余計な正しさを入れないように。
「わたしの力は、世界の余白に触れる」
「余白は、壊れた隙間じゃない。選べる隙間じゃ」
「誰かが“こうしたい”と思った可能性を、消さない」
ブランは机の上に置かれた、小さな欠けた器を指差した。
欠けた器。
昨日までの部屋にも似たものがあった。
この城には、欠けたまま使われるものが多い。
ブランはその器を持ち上げ、欠けた縁に指先を当てた。
ペンダントが、ほんのりと淡く光る。
強い光ではない。
白い火花でもない。
ただ、薄い光が指先から器へ移る。
欠けた縁が――戻る。
音もなく。
継ぎ目もなく。
まるで最初から欠けていなかったみたいに。
ルージュが息を呑む。
ヴェールも、ノワールも、言葉を失う。
アズルだけが、胸の奥が冷えるのを感じた。
正しく戻る。
正しく戻せてしまう。
「……直したのか」
アズルの声は、少しだけ硬い。
ブランは器を机に置き、首を横に振った。
「直したのではない」
「“まだ残っていた”だけじゃ」
「欠けたまま捨てられていない。使われ続けていた。誰かが、これを“まだ要る”と思っていた」
「だから、残っていた可能性が……形になっただけ」
ルージュが眉を寄せる。
「……つまり、誰かが捨ててたら?」
ブランはあっさり言った。
「残らぬ」
その一言が、やけに重い。
ブランは続ける。
「わたしは、奪えぬ。足せぬ。押し付けぬ」
「残っているものを、消さないだけ」
「それが、お父様の望んだ“余白”じゃ」
ヴェールが小さく息を吐いた。
「……管理じゃない」
「うむ」
ブランが頷く。
「だから、わたしは隠れて待てた。誰かを縛らず、誰かに縛られず」
そして、さらりと付け足す。
「……ただし、アズルは縛る」
「縛るな」
アズルが思わず突っ込み、ブランが笑う。
「冗談じゃ」
言いながら、腕に絡みつく力は強い。
ルージュがじとっとした目で見てくる。
「冗談のやり方が、冗談じゃないのよ」
ブランがきょとんとした。
「ルージュは……妬いておるのか?」
「はぁ!?」
ルージュの声が裏返った。
「や、妬いて……! 誰が!?」
ヴェールがあわてて手を振る。
「え、えっと……ルージュさん、落ち着いて……」
ノワールがぼそり。
「……分かりやすい」
「分かりやすくない!」
ルージュが机を叩く。
その勢いで、さっきブランが戻した器が震えた。
ルージュは慌てて手を引っ込め、気まずそうに咳払いをする。
「……とにかく」
言い直す。
「これから、どうする?」
「王都に、報告しに戻る?」
アズルは、ブランの重みを腕に感じたまま、少し考えた。
「ブランを、国王には渡せない」
即答だった。
「でも……報告は、必要だ」
責任からは、逃げない。
それだけは、決めている。
ルージュは、その答えを見て少しだけ目を細めた。
納得ではない。
確認でもない。
ただ、受け取る。
そして、にやりと笑った。
「……ならさ」
「いい考え、あるんだけど」
アズルが眉をひそめる。
「?」
ブランはアズルの腕に顔を埋めたまま、満足そうに呟いた。
「うむ。よい。王都へ行こう」
「勝手に決めるな」
「わたしは当事者じゃ」
その言葉に、ルージュが小さく笑った。
「……そうね。当事者だわ」
答えはまだ出ない。
けれど、逃げないという選択だけは、全員の間で揃っていた。
強くなったわけじゃない。
ただ、忘れていた自分たちに、ようやく追いついただけだった。




