3 カノジョ。
それから、ずっと考えている。
中学の頃に死んでしまった、あの子の事を。
何も知らない子供だった。なのにどうして、死ぬ事なんか選んだの。
あの子は何を見ていたんだ。
今までこんな事はなかったのに、やはり僕は変ってしまったのだろうか。人を求めて、人を殺して。
丸一日が経った。
そろそろ、警察が僕を訪ねてもいい頃だ。
自宅のマンションで、ダンボール箱に囲まれて待つ。
箱の中には、部屋中の物が全て詰め込まれていた。過去を暴かれ、職も失い掛けている。引っ越しを考えていても、おかしくない状況だ。
警察はきっと、この箱の山を気にも留めないだろう。実際は、身辺整理のつもりだったけど。
がらんとした部屋の隅で、ぼんやりと窓の外を眺めて過ごす。
やたらと空が青くて、いい天気だ。
ペットボトルのお茶を片手に、まるで呑気な休日みたいだと思う。
煙草でも、覚えて置けばよかった。少しは格好が付いたのに。それで雨でも降っていたら、最高に気分が出る。
床に下した尻のポケットで、携帯電話が着信を告げた。
『ママ、死んじゃったわ』
聞き慣れた、彼女の声。僕は何とか平静を装い、気のなさそうな返事をする。
「そう」
『驚かないのね』
「驚いてるよ」
どうして僕に、電話なんかしてくるんだろう。人が殺されたら、警察に任せるものじゃないのか。
頼んだからと言って、彼女の母親が僕と会う事を本当に誰も知らないはずはない。マネージャーだっているだろうし、お金を用意するには誰かが理由を聞いたかも知れない。
全ては僕に繋がるはずだ。
「どうして僕に、そんな事を教えるの」
『あなたが殺したのか、確かめたくて』
「殺してないよ」
『本当に? 殺してくれるって言ったのに』
それとも、警察にでも頼まれたのだろうか。彼女との電話なら、僕が口を滑らせると。
それはありそうな気がして、慎重になるべきだと自分を戒める。
「信じたの?」
『……信じたわ』
秘密めいた囁きで、彼女は言った。
「駄目だよ。信じちゃ」
『何で?』
「だって、僕等には嘘しかないじゃない」
『そうかしら』
「そうだよ」
認めるつもりはなかった。
完全犯罪を目論んで、失敗してしまったマヌケな犯人。多分それが、似合っている。
きっと僕は、どこか壊れているんだろう。自分の名前が刻まれたカードを、ソファの下に滑り込ませた時にそう思った。
彼女の母親を殺す事で、僕は彼女の一生に残りたいと願っていたから。
だから初めて、あの子の気持ちを解ると思った。解りたいと思った。僕のために、死んだあの子を。
どうして僕を選んだのかは、解らない。でもあの子は、死ぬ事で僕の人生に残ろうとしたんじゃないかとそう思う。
まだ子供だったのに。まだ何も知らなかったのに。自分達だけは、もう充分に大人みたいだって思ってたあの頃。
今になってやっと僕に解った事が、あの子にはとっくに見えていたのか。
『ねぇ、どうしたの?』
「ごめん。何?」
『聞いてなかったのね』
「ごめん」
『だから、大変だったのよ。パパに連絡して、来てくれるまでずっと人工呼吸したんだから』
「パパ?」
そう言えば彼女には離婚した父親がいると、記事でチラッと読んだ気がする。
『パパは病院経営してるの。だから、内緒で治療して貰えたのよ』
「……ああ、そう」
内緒で?
相槌を打ちながら、何かが引っ掛った。どうして、秘密にする事があるんだろう。被害者なのだ。堂々としていればいい。
それよりも死んでしまったら、内緒も何もないだろう。
「そう言えばテレビとかで何も言わないけど、警察が報道規制してるのかな」
『報道規制? そんなのしてないわ』
「だって、大騒ぎじゃないの? 女優が殺されたりしたら」
バチバチと眼を瞬く音が聞こえて来そうな、きょとんとした沈黙があった。
そして、むくれた声に責められる。
『もうっ、どこから聞いてなかったの?』
「知らないよ。聞いてなかったんだから」
怒り出すかと思ったが、それもそうね、と彼女は笑う。そしてさらりと。
『だから、私もいたのよ。お金を匂わせたらどんな男か解るから、見てなさいって言われて。隣の部屋にいたの』
「……それ、何の話?」
『あなたとママが、家で会った日の話よ』
どう、解った? と、勝ち誇る様に言われて、僕は目眩を覚えた。
「待って。じゃあ、見てたって事? 僕とお母さんが、話してるのを?」
『そうよ』
殺すのさえ。
「止めずに?」
『だってあなた、手際いいんだもの』
止める時間なんか、なかったじゃない。機嫌を損ねた様に言う彼女を、僕は理解できなかった。
「お母さんを殺した男と普通に話すなんて、どうかと思うよ」
『いいじゃない。私、ママよりあなたの方が好きだもの』
「あのねえ!」
そう言う問題じゃないと思うよと、説教めいた事を言おうとして、言葉を切る。玄関のチャイムが鳴ったからだ。
ギクリと、心臓が跳ねた。
覚悟していたつもりでも、やっぱり少し緊張が走る。
「ごめん、切るよ。警察が来たみたいだ」
『違うわよ』
いやにきっぱりと断言する。僕は玄関に向いながら、首を傾げた。
「どうして?」
カタン、と軽い音がして、郵便受けに何かが落ちた。確かめると、僕があの場に残して来たレンタルショップの会員カードだ。
『だってママ、死んでないもの』
玄関のドアを開く。
「ママが警察に言うって騒いだから、またマスコミが大喜びねって言ったの。そうしたら、黙って口きいてくれなくなっちゃった」
僕は携帯の通話を切った。目の前には、足元に大きなトランクを一つだけ置いて、電話片手に立つ彼女。
「やっぱり君、どうかと思うよ」
呆れた様に僕が言うと、彼女は意地悪そうな笑みを浮かべる。
「えぇ、あなたもね」
眩しいほどの太陽の下で、笑う彼女は初めて会う人みたいだった。輝く様に綺麗な人。
彼女は僕にトランクを任せると、さっさと靴を脱いで部屋の中へと上り込んだ。
どうやら彼女の一生に、僕は残りそこねたらしい。
でも代りに、僕の人生には彼女が飛び込んできたのかも知れない。
重たいトランクを運びながら、僕はそんな事を思った。
(レンタルID/了)
Copyright(C) 2010 mikumo/1979. All rights reserved.
最後まで読んで頂きまして、有難うございました。
ご意見などを頂ければ幸いです。