第五話 若葉に包まれ空へ還る
「オト様、トト様。この生贄と引き換えに、どうか我が国に御加護を……」
青白い炎が宿る松明を片手に、竜渦はゆっくりと祭壇へと登っていった。その後ろには目隠しをされた少女が乱暴に引きずられて、確実に近づく死に怯えていた。祭壇の四隅には松明と同じように炎が灯り、その真ん中にそびえ立つ丸太を不気味に照らしている。
共に竜宮で過ごしてきた巫女たちは慣れた手つきで少女を丸太に縛った。ときどき潮の流れが強くなり、生贄となった少女の羽衣をひらひらと泳がせる。
いつ自分が生贄になってもおかしくない。それは明日かもしれないし、もっと先かもしれない。巫女の仕事は成人した時点で終わるため、生贄にならずに済んだ巫女もたくさんいるのもまた事実なのだ。だからこそ余計に、大好きな友の命が奪われる瞬間は他の巫女の心をずたずたに切り裂いていった。
竜宮の裏手、切り立つ崖の上から奏海はこの様子を見ていた。本来なら祭事の最中は立入禁止になっている場所だが、ここがすべての行為を見るには一番良い所だった。みんなは今もこうして心を削り落としながら巫女としての運命を受け入れているのに、奏海は逃げ出してしまった。そして、その道中で体力が切れて鎌倉の浜に打ち上げられてしまい、運良く美波と出会った。
奏海は強烈な罪悪感からは逃げられず、また竜宮に戻ってきてしまった。目を凝らして見ると、祭事の補助をする巫女はみんな奏海の大の仲良しの子たちだ。今、彼女らは奏海のことをどう思っているのだろうか。そんなことを考えるたびに、奏海は胸がきゅうっと締め付けられように苦しくなった。
たがらこそ巫女は決してこの役職から逃げ出さない、いや、逃げ出せないのだ。
剣が通りやすいように、補助の巫女たちが生贄の羽衣のお腹の部分を緩めていく。水色の羽衣の下に着ている若葉色の和服が少しずつほどけていった。
崖の上から竜宮までは多少なりとも距離があったため、幅の広い目隠しで顔の半分を隠されていては誰が生贄となっているか分からなかった。しかし、若葉色の和服を見た瞬間、奏海は誰が命を奪われようとしているのか分かってしまった。頭の中で血がふつふつと沸くような感覚に襲われ、何も考えることができなくなった。
「澪!」
奏海は無意識のうちにその少女の名を呼んでいた。
「そこにいるのは誰だ!」
気づいた時には遅かった。祭壇付近の警備に当たっていた海兵隊が槍を構えて美波の方へ泳いでいく。
「か……奏海? 奏海なの!?」
竜宮に集まっていた大衆はざわめき始め、また澪と呼ばれた少女も声を荒げて奏海を呼んだ。
「澪! 待っててください!」
奏海は、数十の海兵に怖気づくことなく迫っていった。手首には漆黒の勾玉が巻きつけられており、構える短剣の青白い刀身と共に不気味な光を帯びている。
圧倒的な戦力の差に、その場にいる誰もが奏海の死を思った。勝負は一瞬だった。
奏海が兵の列に突っ込んだその時、奏海の勾玉から強烈な閃光が放たれた。突き出した短剣の先端から衝撃波が生じ、爆発音とともに辺りの敵を一掃した。奏海の背後では力尽きた兵士が海底へと沈んでいった。
色のついた勾玉はそれ単体でも強大な力を持つ。特に、漆黒の勾玉と月白の勾玉は珍しい分、他の色とは比較にならないほどの性能をもつ。勾玉は所有者の運動能力を高め、手にする武器の殺傷力を跳ね上げる。これらの能力は、所有者の想いの強さに比例するのだ。
奏海はこの事実だけは美波に告げなかった。 美波を"決して恐がらせることがないように"。
祭壇に護衛の兵はもう残っていない。
「澪! 今助けてあげますから!」
ついに奏海は祭壇へと降り立った。手首に巻きつけた勾玉を竜渦に見られないように懐に隠した。奏海の持っている漆黒の勾玉は竜渦もまだ手にしていないものだったからだ。
補助役の巫女は驚きのあまり言葉を失っている。奏海は縄を解くために丸太へ急いだ。
「お前、何をしている……」
怒りがこもった声に、奏海は身をびくっと震わせ、丸太にきつく結ばれた縄を切る手を止めた。竜渦は自らの背丈ほどの大剣を引きずりながら、奏海の方へとゆっくり近づいていった。
「竜渦! こんなこともう止めにしてください! こんなことしても七色の勾玉は集まりません!」
竜渦の眉間がぴくっと動いた。
「勾玉……? 俺はオト様とトト様の怒りを沈めるために生贄を捧げているだけだ」
「確かにそれもあるかもしれません。でも、竜渦は何らかの願いを叶えたいという私欲を絡ませて大量の生贄を捧げているんじゃないですか?」
「……」
「今すぐ澪を開放してください! しないなら私が竜渦を殺します」
「黙れ」
竜渦が口を開いたと思った時には、奏海の白い和服の表面に大きな切り傷が入っていた。
「大した力もない奴が」
奏海の腕や足を迅速の刃が襲う。竜渦はわざと奏海に小さな傷をつけていった。奏海には自分を傷つける剣の残像さえ見えなかった。巨大な剣を光速で振るう竜渦の手首には五色の勾玉が巻かれている。5色の光が舞う中、奏海の和服は三秒もかからない内にボロボロになった。
奏海は痛みのあまり立っているのが辛くなり、とうとうその場にしゃがみこんでしまった。
「もう立てなくなったのか。海兵隊は倒せても、俺を倒すことなどできぬ」
再び剣を握ろうとしたが、腕にうまく力が入らず落としてしまった。
「なんだ? まだやるのか? 次はその細い腕を肩から切り落としてやろうか」
奏海は肩で息をしていた。永続的な痛みを必死に耐えることしかできなかった。
「奏海! どうしたの!」
「おっと、こいつを忘れていたな。たしか名を澪と言ったな。こいつの最期を一番近くで見てやれ」
「か……奏海? 何が起こってるの?」
「澪……。ごめん……」
奏海は澪のもとに少しでも近づこうとした。しかし、海水が滲みてくる痛みで足に力が入らない。竜渦が奏海に与えた傷は、その一つ一つは微々たるものだが、それらすべてに塩が入り込む痛みは奏海も経験したことがないほどであった。
「生贄を捧げる時が来た。オト様とトト様の御加護を我が国へ!」
竜渦は大剣を構えた。補助役の巫女たちは、友の命が消える瞬間を見ないように皆が下を向いていた。
「そこのお前、これが幼馴染の血だ」
竜渦は笑みを浮かべ、奏海を一瞥した。そして、唸るような突きで大剣を澪の腹部に押し込んだ。一旦引いて、もう一突き。真っ赤に染まった大剣を抜いた時、瓶から水を注ぐように血が流れ出た。僅かに残る脈拍に合わせて傷口から血が湧き、その量は次第に少なくなっていった。
巫女から奪った勾玉の力を使って、また新たな巫女を殺す。このやり方を知った奏海は竜渦をひどく憎んだ。それなのに止めることすらできず、目の前で幼馴染を失ってしまった。
「ねぇ……みお? 」
悲しみが湧いてくる以前の問題だった。大好きな幼馴染が簡単に殺されたショックでもはや絶望感すら失っていた。思考は完全に停止し、今の奏海には、澪が死んでいるのかさえも判断できなかった。
そこには、かつて澪であった「物」が丸太に縛り付けられているだけだった。
そこから流れた血が水に溶けて、呼吸の際に奏海の口の中にも入り込んできた。
奏海にとってこの世で一番経験したくなかった味だった。
竜渦は若葉色の和服の中から勾玉を探り当て、それを自らの懐に隠した。竜渦は奏海に聞こえるように舌打ちをした。澪の勾玉は、すでに竜渦が手にしているものだったのだ。
「どうだ? 幼馴染の血の味は?」
「お願い澪……。返事してください……」
奏海は何も見えていないような目で、澪の方へ手を伸ばした。目を潰された人間が捕まるものを探すように。
「……まだ言うのか。それならこれでどうだ」
竜渦の手首に巻き付いた5色の勾玉が光を帯び始めた。竜渦はそのまま剣を高く持ち上げ澪の体を縦に切り裂いた。水の中に血以外の体の内容物が漂い始めたところから奏海は何も覚えていない。
それからすぐに、竜渦の隙をついて誰かが気を失った奏海をひょいと持ち上げ、そのまま鎌倉の浜まで運んだ。
そして今に至る。
「美波……。私どうしたらいいのでしょうか……」
奏海は縁側で大泣きしながら海での一部始終を話した。
美波は汗と涙でぐしゃぐしゃになった奏海をそっと抱き寄せた。奏海は体を預けて止まらない涙を何度も拭った。
「辛かったのに無理させてごめんね……。ホントは砂浜で話した時に気づいてあげるべきだったのに」
「美波は海のことに無関係だから、迷惑かけないようにって。でも結局こうして心配させてしまって……」
自分が嫌い、と奏海は声を上げて泣いた。ずっと一緒に育ってきた澪を目の前で殺され、無関係の美波に迷惑をかけて。
子供よりもっと大きな声を上げて泣く奏海。抱き寄せてくれた美波の肩に顔をうずめたまま、泣き疲れてそのまま眠ってしまった。
炎天下の下、奏海の体重がかかり辛かったかが、美波はじっと耐えた。奏海の腕や足にできた大量の切り傷に手を当てながら、美波も涙を拭った。
夏の空気は色んな物を吸い込んで、重く湿っていた。
第五話「若葉に包まれ空へ還る」




