真実
奏海が加速するほどに、太刀は勾玉の力を帯びていく。刀身が不気味な黒に光り、莫大なエネルギーを放つその周りには渦ができている。
「配置に付け! 横列、一斉攻撃!」
奏海の前から、残った海兵隊が武器を構えて突進してきた。奏海は美波を守るように背後につかせて、敵をなぎ払うように太刀を振った。
「私の邪魔をしないでください!!」
一瞬、音が消えた。奏海の太刀は敵に全く触れていない。だが、実体を持たない黒い刃が敵を次々と切り裂いていく。本当に一瞬だった。
「美波はその塀の近くで隠れておいて下さい!」
「……」
突然、美波が悲鳴を上げて離れの方を指差した。異様な音を聞いて出てきた竜渦が怒りと殺意に満ちた目で奏海たちを睨んでいた。
「早く隠れて!」
奏海は美波を塀の方に押して、太刀を握る手に力を込めた。
「またお前か」
「今日で地獄に落ちてもらいます!」
「できもしないことをほざきやがって」
鼻で笑いながら、竜渦は巨大な剣を構えて奏海と同じ高さまで浮き上がった。竜宮から本来警備には当たっていない海兵隊までもが駆けつけようとしていた。
「お前たちは来るな!」
竜渦の太い声が海に響く。海兵隊は怯んだ様子で、武器を手にしたまま距離をおいた。
「これで邪魔者はいない。馬鹿な巫女は殺されることを知らしめてやる」
「馬鹿なのは竜渦の方です。何もそこまでして叶えたいのか知りませんが、七色の勾玉は絶対に渡しません!」
竜渦の剣が徐々に黒と白を除く五色の光に包まれ始めた。
「竜渦。私はこの前、"勾玉の力を使っていませんよ"」
そう言って、奏海は一気に距離を詰めた。竜渦はひらりとかわし、背後から奏海を突き刺そうとした。奏海も目にも止まらぬ太刀さばきで竜渦の攻撃を避けながら、攻撃していく。柔と剛、勾玉の力同士がひしめき合って至るところで爆発が起こった。
「お前の漆黒の勾玉を手に入れれば、あとは月白だけだ!」
「私は絶対に渡しません!」
真っ黒な光と共に一際巨大な爆発が起こった。奏海が起こしたそれは、五色の勾玉の力に匹敵するほど巨大なものであった。
二本の剣が嫌な音を立てながらぶつかり合う。単純な剣の耐久力でいうと奏海が圧倒的に不利であった。少しずつ竜渦が優勢になってきているのは奏海も分かっていた。重い一振りを受け止めるたびに腕に疲労感が溜まっていく。
「俺は七色の勾玉を集めて真の海の王になる!」
攻撃を繰り出しながら竜渦は言った。
「陸をすべて海に沈めてやる。陸の人間がいなくなれば俺はこの世界の王になれる!」
連続して攻撃を受け続けていた奏海に一瞬の隙ができた。竜渦をそれを見逃さず、大きく剣を振り下ろした。
「お前はここまでだ!」
金属音が響く。呆然とする奏海の目の前を折れた太刀が回転しながら沈んでいく。
「その勾玉をよこせ!」
目も眩むほどの光とともに強力な力を帯びた大剣を奏海のお腹めがけて突き刺した。とてつもない爆発によって奏海は吹き飛ばされる。
「奏海! 逃げて!」
「出てきちゃダメです!」
奏海は血の流れる腹に手を当てながら必死で叫んだ。
刺される瞬間、奏海は折れた太刀を起点に爆発を起こし、その爆風で攻撃を避けようとした。本能的とも呼べるほどとっさの判断だった。大剣が左腹部をかすったが、怪我は最小限に抑えられた。しかし、海水が染みる痛みが奏海を襲う。
もう本当に後がない。わたしが殺されたら美波も殺される。漆黒と月白の勾玉が奪われる。それだけは絶対にあってはならない。奏海はその想いに駆られ、腰に隠してあった短剣を取り出した。
「美波! 助けて下さい!」
そう言ったあと、大きく弧を描くように潜り美波のもとへ泳いだ。
「手を繋いでください! 勾玉の力を合わせればどうにかなるはずです」
美波は奏海の腹から流れ出る血を見てしまった。近くで見ると想像以上に量が多く、奏海の体に対する不安、そして竜渦に対する怒りがこみ上げてきた。
「許さない……。奏海を傷つけた竜渦を絶対許さない……」
「一人増えただけか。一緒に殺してやる」
竜渦が余裕の表情で近づいてくる。
「美波。これで終わりにしましょう」
血がついた奏海の左手、震える美波の右手。二人の少女は、優しく、そして力強く手を握り合った。
短剣を構える。黒と白の光が螺旋状に二人の体まで包み込む。海底を蹴って、二人は竜渦の腹へと突進した。
幾重にも重なる光が竜渦を貫いた。
「終わった……の?」
後ろを振り返ると奏海の短剣、竜渦、そして五色の勾玉が潮に揺られて浮かんでいる。
「はい……。これで、これでようやく」
平和な日々が戻ってくるね、と美波は言ったが、奏海はそれを無視して五色の勾玉を回収した。結び目を解いて、そこに漆黒の勾玉を連ねた。美波には奏海の行動の意味がわからない。
奏海は腰からもう一本の短剣を取り出した。そして、その切っ先をゆっくりと美波に向けた。
「後は美波を殺すだけです」
「……え? 」
「だから、後は美波を殺すだけです」
短剣が六色の光を帯びていく。美波は目の前で起こっていることがまだ受け入れられなかった。
「そんなわけないよね? 本当に奏海だよね?」
「私は奏海です。月白の勾玉を手に入れるために、わざと砂浜に打ち上げられた奏海です」
美波の心の中にあるのは、不安でも、恐怖でもなく、戸惑いであった。
『私……海の子なんです』
『海では甘いものはとっても貴重で、あまり食べたことないんです!』
『みなみ、こんなところで寝てたら風邪引きますよ』
『美波は私の命の恩人だからです!』
奏海との記憶がどんどん溢れてくる。美波が見ていたのは確かに、優しくて、素直で、笑顔がきらきらしている奏海だった。
裏切られてしまった。いや、最初からずっとこうなることを計画していたのかもしれない。そう思うと、美波は想像を絶する喪失感に襲われた。夏のはじめに知り合い、そこから悲しみを共有し、共に乗り越えて友情を深め合ってきたと思っていたのに。ずっと奏海の計画に乗せられていた……。
「おかしいと思わなかったんですか? すぐ手の届く範囲に勾玉が落ちていて、話せる余裕があるのに手に取らないって」
奏海は毎日鎌倉の街に通い続け、祖母である鶴子を、勾玉だけを頼りに探して当てた。そこに住む美波という高校生を知ったのもその時だった。ちょうど夏休みは塾の夏期講習があるため、定刻に砂浜の近くを通ることも判明した。わざと見つかりやすいような格好で砂浜に倒れ、美波が近づいてきた頃に勾玉を手放したのだ。
奏海は陸にいる時でも和服である限り、いつも腰に短剣を二本隠し持っていた。時折歩くと金属音が鳴ったが、美波は気づかなかった。
奏海は、竜渦によって巫女の友達を殺されていく悲しみに耐え切れなくなり、この計画を考えた。鶴子から美波経由で月白の勾玉を手に入れ、竜渦を殺して残りの勾玉を手に入れる。平和が訪れたところで殺された友達を生き返らせる。これが全てであった。
淡々と面倒くさそうに説明する奏海の前で、美波は気を失いそうになっていた。心では逃げ出さないと殺されると分かっていても、体が硬直して動いてくれない。
「でも、美波。私はこの夏楽しかったですよ。それだけは本当の気持ちです」
さようなら、と付け加えて奏海は切っ先を美波の腹にゆっくりと押し込んでいった。奏海は、もがき続ける美波の首にかけられた月白の勾玉をそっと奪い取った。水中では勾玉なしでは息ができない。
美波は自分の首を押さえながら最期を迎えた。
七色の勾玉がついに一本の紐に通された。奏海は、何でもひとつだけ願いを叶えることができるようになった。それならば澪を生き返らせて欲しかった。他の巫女よりも澪に生き返ってほしかった。それが今の奏海の純粋な願いだった。
奏海の真っ直ぐな想いに反応するように勾玉は光を放ちはじめた。
「平和で幸せな日々が待っています……。それならば迷いも悔いもありません」
奏海は勾玉を高く持ち上げた。
「澪を生き返らせてください! これが私のたったひとつの願いです!」
漆黒の勾玉だけが手元に残った。他の勾玉は溶け合って、球状の勾玉結晶となってしまった。静寂が訪れる。奏海さえも体験したことのないほどの凪だった。しばらくして勾玉結晶は海へと溶け込んでいった。
「伝説は正しかったはずです」
だが、いつまで待っても澪は現れない。あたりを探しまわってもどこにもいなかった。名前を呼んでも返事はない。
「伝説は正しいはずです! 絶対正しいはずです!」
二時間経っても澪は現れなかった。奏海の中で焦りと苛立ちが見え始めていた。
「どうして現れないんですか!」
苛立って攻撃的になった奏海は竜宮に向かって、怒りに任せて短剣を振った。黒い刃が竜宮めがけて一直線に飛んでいき、神殿が大きく崩落した。やけになって竜宮を壊し尽くした。何度も爆発を起こし、岩は崩れ、砂の海底はえぐられた。
「海を荒らすな」
突然海底が大きく揺れた。奏海は主の分からない声に驚いて身構えた。後ろから何かが迫っている。巨大な影を生み出す、巨大な何か。その声の主。
強烈な威圧感を含むその声に、震えが止まらなかった。後ろを振り向くことさえ怖くてできない。体が危険を察知している。
「これは罰。海を荒らしたお前たち人間への制裁だ」
逃げ出そうとした時だった。再び声がしたと思うと、街全体が炎に包まれた。海底には大きな割れ目が何箇所にもできて、そこに壊れた街が沈み込んでいった。海の神、オト様トト様が、奏海と竜渦の激しい戦闘によって目覚めてしまったのだ。そこに奏海が刺激を与えてしまった。
千年前と同様に街が消えた。漆黒の勾玉と月白の勾玉はそこから生まれたにも関わらず、人間は何一つ対処することができなかった。
炎に包まれる瞬間、奏海は伊織を見つけた。無事で良かったという気持ちと、何を言いたかったのか気になる気持ちが相乗して、早く話がしたかった。そして何もかも炎に飲まれた。
楽しい気持ちも、悲しい気持ちも、お互いに想い合う気持ちもすべてが水の中に溶けてしまった。確かにすぐそばにあるかのように感じられるのに、何もかも見えなくなってしまった。
海の子も、海の街も、もう何も残っていない。
月がよく映える雲ひとつない夜空。波と砂がこすれ合う音。鎌倉の海は穏やかだった。一人の少女が長い眠りから覚めたように体を起こす。若葉色の、浴衣に近い和服を来た女の子。その上に水色の羽衣を羽織っている。
その女の子は生まれ育った街を見るため夜の海に潜った。一人取り残されたことにも気づかず、永遠に探し続けることになるのであった。
おしまい




