第一話 終わる日を知っている
あと七十八日で、わたしの世界は終わる。
レティシア・ヴァレンヌは窓枠から指を離した。石の縁は冷たく、離したあとも冷たさだけが残っている。
指先から冷えていく。
秋の光が、回廊の床を白く見せていた。
その先に人だかりがある。学院の生徒たちが、書架へ向かう二人を遠巻きに眺めていた。
王太子アルベールと、書物を抱えた男爵令嬢。ミレイユ・ダンヴィエ。
覚えていないはずがなかった。
二人は短く言葉を交わし、それぞれの方向へ分かれていく。それだけのことだ。
ミレイユがこちらに気づいて、遠くから会釈をした。
レティシアは淑女の笑みを返した。
────順番どおり。
秋に二人が近づいて、冬至の夜会で公爵令嬢が断罪される。前世で読んだ物語は、そういう順番で進んでいた。
順番が狂っていないなら、こちらの支度も狂わせずに済む。
レティシアは踵を返した。次の講義には、まだ間に合う。
公爵邸に戻ったときには、日はもう傾いていた。
自室の机の上に、細い手帳が置いてある。表紙は無地で、鍵もかけていない。
誰も開けないと知っていた。
開いた頁には、縦の線が並んでいる。八十本引いてから、朝ごとに一本ずつ潰していく。
今朝で二本目を潰した。残りは七十八。
冬至の夜そのものは、もう済んだことのように遠い。近いのは、そこまでの七十八日のほうだった。
この顔のまま、歩き通せるかどうか。
────あと七十八回、この顔を作ればいい。
机の脇には、麻布をかけた箱が三つ積んである。
一つ目は学院の図書室へ寄贈する本。二つ目は外した装身具。三つ目はまだ空だった。
書棚から一冊抜いて、寄贈の箱へ移す。
頁の間に押し花が挟まっていたので、それだけ抜いて暖炉に落とした。
紙の焼ける匂いが、少しだけ立った。
置いていくものが減れば、置いていかれる側も減る。そういう計算のはずだった。
寄贈の札を探して、戸棚を開けた。
上段に、平たい包みが五つ積んである。藍色の紙に銀の紐で、どれも解かれていない。
冬のはじめに、毎年ひとつ届く。差出人の名は書かれていないが、書かれていなくても分かった。
今年も、そのうち六つ目が届くのだろう。
届いたら、この上に重ねればいい。重ねるだけなら、こちらは何も困らない。
────数が増えるだけのこと。
レティシアは戸棚を閉めた。
扉が鳴って、侍女のアンナが入ってきた。
箱の山を見て、わずかに足を止める。
「お嬢様、こちらは」
「これは要りません」
淑女の笑みでそう言った。
アンナは何か言いかけて、やめた。箱の角を少しだけ揃え直し、頭を下げて出ていく。
理由は訊かれなかった。
一度も、訊かれたことがない。
────訊かれたら、答えられないのに。
誰も訊かないのは、誰も気に留めていないからだ。
そう置いておくのが、いちばん簡単だった。理由は一つ。そういう筋書きだから。
しばらくして、アンナが湯の支度を告げに戻ってきた。
「ありがとう、アンナ」
淑女の笑みは、鏡を見なくても作れるようになっていた。
装身具の箱の蓋を閉めた。留め金がうまく噛まなくて、三度やり直した。
暖炉は焚いてある。部屋は充分に暖かい。
それなのに、蓋に触れていた指の先だけが、遅れて冷えていく。
指先から冷えていく。
レティシアは両手を組んで、袖の中に入れた。
寝る前に、もう一度手帳を開いた。
線を数える。指で追わなくても数えられるのに、それでも一本ずつ、上から順に指を置いていった。
七十八日。数えられる数だ。数えられるうちは、まだ立っていられる。




