第1話 天賦なし?
「朝倉悠真。天賦……なし」
開示水晶の傍らに立つ神官は、水晶の表面に浮かび上がった文字を一瞥すると、素っ気ない口調でそう言い渡した。
その言葉が途切れるよりも早く、礼拝堂の中には案の定、嘲笑混じりのざわめきが広がった。
「なし? ははっ、やっぱりな。思ったとおりだ」
「成長適性がたったの4だぜ。六つのステータスを全部足したって、あいつらの一項目にも届かねえ。そんな出来損ないに、どんな天賦が宿るってんだよ」
「せめてDランクくらいは出るかと思ってたのに、まさかの『なし』かよ。笑い死ぬわ」
「しっ、声が大きい。一応、クラスメイトだぞ」
「何ビビってんだ。あいつ、どうせ何も言い返せやしねえよ」
声を潜める気すらない嘲りの数々は、祭壇の上に立つ痩せた少年の耳にも、はっきりと届いていた。
だが少年は、依然として微動だにしない。
その手のひらは今なお、開示水晶の表面に押し当てられたままだった。
乳白色の結晶内部を泳ぐ銀色の筋は、一本として光を帯びていなかった。
「朝倉悠真」
神官は眉をひそめ、もう一度その名を呼んだ。
声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいる。
それでも少年は動かなかった。
「おい、ゴミ。呼ばれてんだよ!」
「まさか、ビビって固まっちまったんじゃねえの?」
「馬鹿かどうかなんてどうでもいい。これ以上、時間を取らせんなよ。後ろにはまだ二十人以上も待ってんだぞ」
「ははっ、朝倉。お前がそこで日が暮れるまで突っ立ってたって、水晶は相手にしちゃくれねえぜ――」
朗らかで、よく通る声だった。
礼拝堂全体を貫いたその声の主――三枝拓真は、白い礼装のポケットに両手を突っ込み、顎を上げて屈託なく笑っていた。
言い終えると左右を見回し、周囲の連中が一緒に笑い出すのを待つ。
「拓真、いじめるなよ」
久世直哉が前へ進み出た。
その顔には、いかにももっともらしい困り顔が浮かんでいる。
「朝倉だって、好きでこうなったわけじゃない。こういうのは、努力でどうにかなるものじゃないだろ? なあ?」
最後の「なあ」を口にしたとき、久世が見ていたのは三枝ではなかった。
その視線は列の先頭、胸元に金色の飾り房を垂らした数人へと向けられていた。
笑い声が、さらに大きくなる。
祭壇の上で、朝倉悠真はようやく水晶から手を離し、ゆっくりと顔を上げた。
漆黒の瞳が、並んだ生徒たちの上を撫でるように滑っていく。
その視線が三枝拓真を捉えた瞬間、上機嫌に響いていた笑い声が、喉を締め上げられたかのようにぴたりと止まった。
なぜ自分が固まってしまったのか、三枝には分からなかった。
あの瞳には、怒りがなかった。
屈辱もなかった。
衆目にさらされ、辱められた人間が浮かべるはずの感情が、そこには何ひとつなかった。
悠真の視線は、ただ静かに、ほんの一瞬だけ三枝の顔に留まり――すぐに逸れていった。
それだけだった。
にもかかわらず、隣に立っていた久世直哉は、思わず半歩後ずさった。
「て、てめえ――」
三枝の顔が真っ赤に染まる。
誤魔化すように勢いよく一歩踏み出し、怒鳴り声を上げた。
「何を気取ってやがる!? お前が何様だってんだ! 水晶にすら相手にされねえくせに、そこで澄ましたツラしやがって!」
「ただのゴミの分際で!」
「三枝くん」
澄んだ少女の声が、その言葉を遮った。
椎名綾音が列から歩み出て、三枝と祭壇のあいだに立ちはだかる。
「神官様を、これ以上お待たせしないで」
三枝の顔色が幾度か変わった。
言葉が喉につかえ、結局、それ以上は何も続けられない。
「……別に、間違ったこと言ってねえだろ」
三枝はそう呟くと、憮然とした表情で列へ引き下がった。
久世直哉は苦笑しながら両手を広げ、「だから騒ぐなって言ったのに」とでも言いたげな仕草をして、その後に続いた。
椎名綾音はそこでようやく振り返り、祭壇の上に立つ少年を見上げた。
「朝倉くん」
先ほどよりもいくらか低い、周囲に聞かせるためではない声だった。
「天賦が、すべてじゃないから。レベルは鍛えれば上がるし、スキルだって身につけられるって、教官も言ってた。それに、開示水晶だって絶対に正確とは限らないの。去年、聖王国でも――」
「ああ」
少年はただ一言そう答え、小さく頷いた。
そして祭壇を降りると、列の最後尾へ向かって歩いていった。
椎名綾音はその場に立ち尽くし、遠ざかっていく背中を見つめた。
なぜか、冷水を浴びせられたような感覚に襲われた。
何がおかしかったのか、言葉にはできない。
彼は俯いていた。
肩をすぼめ、声だっていつもと変わらなかった。
それなのに――今の「ああ」という一言は、どうしようもなく奇妙に感じられた。
外見上の静けさとは裏腹に、朝倉悠真の頭の中は、この瞬間、鍋の中身をぶちまけたように混乱していた。
(俺、まさか……生き返ったのか?)
三分前まで、俺は三本の黒い骨の棘で、岩壁に縫い留められていた。
口の中から溢れた血が喉へ流れ込み、気道を塞いでいた。
黒衣をまとった七人の旧神教徒が俺を取り囲み、その先頭に立っていた一人が、俺の前にしゃがみ込んだ。
氷のように冷たい指が、俺の額に押し当てられる。
そして――世界は暗転した。
再び目を開けたとき、俺はこの場所に立っていた。
手のひらを開示水晶に押し当て、耳にはクラスメイトたちの嘲笑が満ちていた。
とっくに忘れたと思っていた記憶が、今になって一斉に込み上げてくる。
三枝拓真の「日が暮れるまで突っ立ってたって、水晶は相手にしない」も。
久世直哉の「努力でどうにかなるものじゃない」も。
一字一句、一度目の人生で聞いたものと同じだった。
あのときも俺は同じ場所に立ち、同じ連中に笑われた。
そして祭壇を降りる途中で足をもつれさせ、無様に床へ倒れ込んだ。
今日は、天賦開示の儀式。
確か、この世界に召喚されてから八十七日目だ。
俺は死んだ。
自分が死んだことだけは、はっきりと覚えている。
それなのに、俺は今、二年前のこの場所に立っている。
列の最後尾へ戻った俺は、俯いたまま、乾いた喉を鳴らした。
(ステータス)
心の中でそう念じる。
淡い青緑色を帯びた半透明のパネルが、音もなく目の前に浮かび上がった。
【ステータス】
名前:朝倉悠真
種族:人間/異界人
レベル:1
成長適性:4
称号:『異界人』『オルドランの信徒』
主職業:なし
副職業:なし
筋力 STR:7
敏捷 DEX:16
体質 CON:7
知力 INT:16
精神 WIS:28
魅力 CHA:5
HP:24/24
MP:59/59
固有天賦:【終焉回帰】S+[発動済み/永久ロック]
効果:最初の死亡時に一度だけ、この天賦に覚醒した時点へと回帰する。
備考:使用不可/鑑定不可
スキル:なし
俺の呼吸が止まった。
固有天賦の欄を、上から下まで三度も読み返す。
【終焉回帰】。
ランク、S+。
一度目の人生で、俺は何千回、何万回とこのパネルを開いた。
だが、天賦の欄はいつだって空白だった。
その空白のために、俺は二年間、無能だと罵られ続けた。
誰も選びたがらない戦士職を押しつけられ、常に戦場の最前線へ立たされた。
副職業には運び屋を選ばされ、挙げ句の果てには、撤退戦のしんがりまで押しつけられた。
何もかも、突き詰めれば俺に天賦がなかったせいだ。
それが――蓋を開けてみれば、俺には天賦があった。
しかも、最高位のS+。
幾度もの死線をくぐり抜けてきた俺でさえ、思わず口元に笑みが浮かんだ。
もっとも、この天賦は一度きり。
しかも、すでに発動済みで永久ロックされている。
開示水晶が読み取れなかったのも当然だ。
この天賦は二年後の死の瞬間に効果を発揮し、俺をこの時間まで送り返した。
そして今、この世界で俺がS+級の天賦を持っていると知る者は、おそらく俺一人だけだ。
この天賦が与えてくれた二度目の命は、すでに使い切っている。
三度目はない。
次に死ねば、それで終わりだ。
俺は俯き、自分の手を見つめた。
まだ一度も実戦を経験していない手だ。
爪はきれいに整い、親指の付け根には剣だこもない。
手のひらにも、傷ひとつ残っていなかった。
レベル1。
成長適性4。
スキル欄は真っ白。
これが、今の俺だ。
だが俺には、ほかにも持っているものがある。
一年半後、第三次神戦が始まる。
正神連合軍は辺境の全戦線で崩壊し、敗走を余儀なくされる。
そして、そこへ至るまでの一年あまりのあいだに、この世界では、次から次へと特別な「モノ」が表舞台へ姿を現す。
三日後、神谷玲司は北部辺境へ向かう。
灰骨迷宮の最深部で隠し通路を発見し、その先に潜む隠しボスから、彼を一気に成り上がらせるほどの代物を手に入れる。
三か月後、王都南西のカラウ通りで、邪教の拠点が発見される。
だが王国軍の捜索は空振りに終わる。
その時点では、教団はとっくに拠点を移したあとだからだ。
一年後には、辺境にある三つの迷宮が同時に暴走する。
被害は瞬く間に広がり、冒険者協会は前線へ補給物資を回すことすらできなくなる。
これらの出来事は、今はまだ何ひとつ起きていない。
だが、そのすべてが俺の頭の中にある。
一つ残らず。
今度こそ、俺は誰よりも先に動く。
まず、最優先で決めなければならないのは職業だ。
一度目の人生と同じように、自分に合わない戦い方を選ぶわけにはいかない。
だからといって、ほかの職業を適当に選んでいいわけでもない。
それに、あの祭壇のこともある。
袖の中で指先を握り込む。
俺の頭の中では、これから先の成長ルートが猛烈な勢いで組み上がり始めていた。
「うおっ、S+ぅ!?」
裏返った素っ頓狂な叫び声が、まだ起きてもいない未来の中から、俺の意識を現実へ引き戻した。
あとがき
はじめまして。この作品を開いてくださって、そしてここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
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・更新は毎日18時に投稿します。
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