1話
リョウは森の端、茂みの奥深くに身を沈めていた。
彼は令和の地球から転生した男だった。
彼が目を覚めたとき、彼はミミズのような無数の触手を持つ怪物になっていた。
それから意味も分からず一年の間、ただ生き残るために、森の中でただひたすらモンスターと戦い続けた。
その結果彼は、いつのまにか、その森の食物連鎖の頂点に君臨していた。
彼が今ここにいるのは、森で食物連鎖の頂点に立ち、余裕ができたことによって、森の外に何があるのか、知りたくなったというただの好奇心によるものだ。
そして、今、隠れている彼の視線の先では、人間の集団がモンスターの群れに襲わるという光景が広がっている。
男たちがモンスターに抵抗するために棍棒を振り回し、女たちが子供の手を引いて必死に逃げ惑う。
中には足元が悪くて転ぶ者もいる。
そんな彼らを、十匹近くの狼型のモンスターが、牙を剥き出しながら追いつめていた。
その中で一人の少女が、リョウの隠れる茂み近くまで逃げ込んできた。
彼女はティアという名前の、十歳くらいの少女だ。
黒い髪は肩まで伸びて乱れ、土や葉が絡まっている。
小さな顔に大きな瞳、子供らしい柔らかい鼻と口。
頰は赤らみ、額に汗が浮かんでいた。
やせ細った体は獣の皮を粗く縫った服に包まれ、袖や裾は破れて汚れている。足は裸足のままだ。
ティアは息を荒げ、近くの木陰に身を寄せた。
彼女はまだリョウの存在に気づいていない。
一匹のモンスターが、彼女の気配を嗅ぎつけて近づいてきた。
低く唸り、ティアの隠れている木陰に狙いを定めて、飛びかかろうとしている。
リョウはなんとなく、触手を伸ばした。
伸ばした触手はモンスターの体に絡みつき、締め上げる。
モンスターは体をくねらせて抵抗したが、ごきりっ! という音のあと、痙攣し徐々に動きが止まっていく。
ティアは目を見開いてそれを見つめていた。
やがて触手の出所に気づき、体が小刻みに震え始めた。
自分を襲っていたモンスターよりずっと巨大で、無数の触手がうねる存在。
そんな存在がそこにいるのだとわかった瞬間、彼女の恐怖が限界を超えた。
恐怖が一気に限界を超え、ティアは恐怖からその心を守るために崩壊し、目の前の存在を自分を守ってくれる存在と定義し、人間にはどうすることもできない自然現象を崇めるような……、そんな純粋な信仰心が彼女の心に湧き上がった。
ティアは地面に膝をついて這いつくばるように頭を下げた。
「神様……」
声は小さく、震えていた。
リョウは内心で苦笑した。
(え、神様? マジで言ってるのか。恐怖で頭がおかしくなったのか? ふむ、悪くないな。神様ごっこ、今まで意味も分からず戦い続けだったし、なんだか面白そうだ。それっぽくやってみるか)
リョウはそう思った。
彼は触手を優しく動かしてティアの体をそっと持ち上げた。
一本で腰を、もう一本で背中を支えるように抱える形だ。
ティアは一瞬体を固くしたが、すぐに安心した表情を浮かべた。
リョウは彼女を抱えたまま、モンスターの群れの方へ進み出した。
他の人間たちを助けるためだ。
近くで一匹のモンスターが男に襲いかかろうとしていた。
触手を素早く伸ばし、絡め取って頭から地面に叩きつける。
モンスターは頭から潰れて、動かなくなった。
男は息を飲み、後ずさった。
三十代くらい、髭を生やした男だ。
リョウの姿を見て震えたが、ティアが抱かれているのを見て口を開いた。
「ティア……!」
ティアは触手に包まれたまま、男の方を向いた。
「この方は神様です。助けてくれたんです!」
男は眉を寄せた。
内心では触手だらけの化け物を警戒していたが、ティアの真剣な目を見て言葉を飲み込んだ。
リョウはさらに別のモンスターへ向かった。
触手を何本も同時に伸ばし、二匹のモンスターを絡め取って、二匹をぶつけ互いをめり込ませるように、へしゃげさせて、前衛芸術のような肉塊に変える。
女が一人、子供を抱えて立ち尽くしていた。
二十代前半、疲れた顔をしている。リョウを見て後ろへ下がろうとしたが、ティアがすぐに声をかけた。
「神様が守ってくれます。皆、こっちに来てください」
女は警戒の目をリョウに向けたながらも、ティアの言葉に押されるように一歩前へ出た。
リョウはティアを抱えたまま動き回り、触手を伸ばしてモンスターを次々と葬っていく。
一匹のモンスターが女に飛びかかろうとした瞬間、リョウの触手がそれを絡め取り、遠くへ投げ飛ばした。
男たちが集まってきていた。
彼らは棍棒を握ったまま、リョウの様子をうかがいながら近づく。
皆、内心で異様な存在に恐怖を抱いていたが、ティアが神様と呼ぶ姿を見て、逆らわずに様子を見ることにした。
「神様? こんな化け物が本当に……?」
深い皺が刻まれた年配の男が小声で呟いた。
リョウはティアを抱えた状態でモンスターから守る様に人間たちの前に出る。
そして、彼は触手をゆっくり動かし、残りのモンスターを一掃する。
最後のモンスターが倒れたところで、触手を少し縮めて待機する。
ティアはリョウの触手に包まれるように抱かれながら、皆を見回した。
「神様が私たちを守ってくれました。もう逃げなくていいです」
男の一人が慎重に近づいてきた。彼は地面に落ちた棍棒を拾い上げながら、警戒を隠せずにいた。
他の大人たちも少しずつ集まってきた。
彼らは互いに顔を見合わせ、不安を押し殺しながらティアの言葉に耳を傾ける。
リョウはティアを抱えたままその場に留まる。彼は人間たちを観察しながら、内心で楽しんでいた。
(よしよし、神様ごっこはそこそこ順調かな? みんな少し警戒してるけど、逆らう気配はない感じだな)
人間たちはモンスターの死骸を遠巻きに見ながら、徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。
女の一人が子供の手を握り直し、男たちが周囲を確認するように動き出す。
ティアはリョウの触手に寄りかかるように体を預け、小さな声で言う。
「神様、ありがとうございます。皆を助けてくれて」
リョウは触手を軽く動かして応えた。
彼は森の外の方へ視線を向けた。まだ遠くにモンスターの気配が残っていた。
彼はティアを抱えたままゆっくりと動き始めた。人間たちもそれに続いた。
男の一人が後ろから声をかけた。
「神様……どうか、私たちをお助けください」
彼の声には、疲れがにじみ出ていた。
そして、どこかすがるような響きも。
ティアがすぐに答えた。
「神様は聞いてくれています。皆でついていきましょう」
大人たちは互いに目配せをしながらも、足を進めた。
彼らは内心でこの状況をどう受け止めればいいか迷っていたが、モンスターの脅威から逃れられた今、従うしかなかった。
リョウはティアを抱きながら人間たちを先導した。
触手を時折伸ばして道の先を安全にし、モンスターの死骸を避けて道を整える。
一人の女が、子供を背負い直しながら近づいてきた。ティアにそっと声をかける。
「ティア、大丈夫なの?」
ティアはうなずいた。
「神様が守ってくれるから大丈夫です」
女はリョウの姿をちらりと見て体を硬くしたが、口には出さなかった。
リョウはそんな様子を内心で面白がっていた。
(警戒した顔をしてるけど、どうせ選択肢なんてない。神として振る舞うのは、思ったより簡単にいきそうだな)
人間たちの集団は徐々にまとまりを取り戻し、リョウの後について森から離れる方へと向かっていった。
モンスターの気配が遠のくにつれて、彼らの足取りも少し軽くなっていた。
ティアはリョウの触手に抱かれたまま、周囲を見渡していた。
彼女の大きな瞳には、もう確固とした信仰の色が宿っていた。
リョウは移動しながら、前方に潜む小さなモンスターがいるのに気づくと、触手を伸ばし先に片づけた。
人間たちに被害を出さないために。
男の一人がそれを見て小さく息を吐いた。
「本当に……守ってくれるのか?」
声にはまだ疑いが残っていたが、どこか希望にすがる響きがあった。
リョウはティアを抱えたまま、ゆっくりと人間たちを安全な場所へと導いていく。
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