第53話 魔法理論Ⅰ――属性相性の基礎(3)
第53話 魔法理論Ⅰ――属性相性の基礎
クラリス先生は教壇の前をゆっくり歩いた。
「皆さんはこれから、多くの魔法を学びます。攻撃魔法、防御魔法、補助魔法、治癒魔法、結界、探索、記録、隠蔽。ですが、どの魔法にも共通していることがあります」
生徒たちが顔を上げる。
「魔法は、現象です」
その言葉は、教室の中に静かに落ちた。
「魔力を使って、現象を起こす。それが魔法です。だから、魔法名や属性名だけを覚えても、本当の意味では使いこなせません」
蒼真は、ゆっくりとペンを動かした。
魔法は現象。
それは、この世界に来てから蒼真が感じていたことと重なっていた。
魔法がある世界。
だが、魔法だから何でもできるわけではない。
魔法には条件がある。
向き不向きがある。
限界がある。
そして、それを使う人間がいる。
人間がいる以上、そこには目的がある。
嘘もある。
隠したいものもある。
蒼真は、魔力板に描かれた属性環を見ながら思った。
この世界の人間は、魔法を当たり前のものとして見ている。
当たり前だから、疑わない。
火が出れば火属性。
水があれば水属性。
闇に紛れれば闇属性。
光れば光属性。
けれど、それは名前をつけているだけだ。
何が起きたのか。
なぜ起きたのか。
誰が起こしたのか。
そこまで見なければ、何も分かったことにはならない。
クラリス先生の声が続く。
「初心者は、属性の名前に安心します。上級者は、属性の名前を疑います」
教室の空気が、少し引き締まった。
「火と聞いて、燃えると決めつけない。水と聞いて、消えると決めつけない。闇と聞いて、悪だと決めつけない。光と聞いて、正しいと決めつけない」
その言葉に、ルミエールが少しだけ目を伏せた。
光属性の名門に生まれた彼女にとって、光が正しいものとして扱われることは当然だったのかもしれない。
だが、クラリス先生はそこにも線を引いた。
属性に善悪はない。
あるのは性質。
そして使う者の意図。
「今日の内容は、今後の授業でも何度も出てきます。魔法理論だけでなく、実技、魔法薬学、戦闘実習、魔法犯罪学にも関わります」
魔法犯罪学。
その言葉に、何人かの生徒が少し身じろぎした。
蒼真は静かにノートへ線を引いた。
魔法犯罪。
それは、この学園で学ぶべき正式な分野なのだ。
魔法が日常にあるなら、当然、魔法を使った犯罪もある。
だが、犯罪の本質が魔法そのものとは限らない。
クラリス先生の授業は、その前提を生徒たちに植え付けようとしているようにも見えた。
鐘が鳴る少し前、クラリス先生は魔力板の内容を整理した。
属性環。
隣接属性。
相反属性。
属性は勝敗ではなく、現象の方向性。
条件によって結果は変わる。
初心者は属性を見る。
上級者は現象を見る。
最後に、クラリス先生は生徒たちへ向き直った。
「今日のまとめです」
彼女は静かに言った。
「属性相性とは、勝ち負けの表ではありません」
生徒たちは一斉にペンを走らせる。
「現象同士の関係性です」
蒼真も、その言葉を書いた。
「魔法を使う者は、属性名ではなく、起きる現象を理解しなさい」
その瞬間、授業終了の鐘が鳴った。
澄んだ音が教室に響き、生徒たちが息を吐く。
クラリス先生は教科書を閉じた。
「次回は、魔力効率について学びます」
魔力板に、次回の項目が浮かぶ。
――魔力生成量と魔力変換効率。
「同じ火球でも、なぜ大きさや威力に差が出るのか。魔力量だけで説明できるのか。考えておいてください」
その言葉に、蒼真の手がわずかに止まった。
魔力生成量。
自分には、それがない。
この世界の生徒たちが当たり前に持っているものを、蒼真は持っていない。
だから、実技では最下位に近い。
だが、彼は外部魔力に干渉できる。
無力化。
吸収。
反射。
痕跡の視認。
それは、魔力生成量とは別の性質だ。
この世界の理論で、どこまで説明できるのか。
あるいは、まだ説明されていないのか。
蒼真は教科書の次章を開いた。
魔力は、体内で生成され、術式を通して変換され、現象として外界に表れる。
そう書かれている。
では、体内で生成できない者が、外界の魔力に触れた場合はどうなるのか。
その答えは、少なくとも教科書の見える範囲には載っていなかった。
「蒼真?」
横からルミエールの声がした。
蒼真は顔を上げる。
「どうかした?」
「いや」
蒼真は教科書を閉じた。
「次回の内容が少し気になっただけだ」
「魔力効率ね。あなたなら、またクラリス先生に当てられそうだわ」
「できれば避けたい」
「無理だと思うわ」
ルミエールは小さく笑った。
フレイアはまだノートと睨み合っている。
「火と水は相反。風と土も相反。光と闇も相反……で、隣同士は相性がいい……」
ぶつぶつと復唱していた。
アリシアが横からそっと言う。
「フレイアさん、図で覚えると良いと思います」
「図で覚えてるのよ。でも、光の隣が火と土って、なんか意外じゃない?」
「土と光は結界に使われるそうですし、火と光は浄化の炎ですから」
「そう言われると分かるんだけど……」
フレイアは軽く息を吐いた。
「実技で燃やす方が早いわ」
クラリス先生が教壇から振り返る。
「フレイアさん」
「はいっ」
「燃やす前に、なぜ燃えるのかを考えましょう」
教室に小さな笑いが起こった。
フレイアは赤くなって、慌ててノートへ視線を落とす。
蒼真はその様子を見ながら、静かに席を立った。
事件は起きていない。
誰かが嘘をついたわけでもない。
何かを暴く必要もない。
ただの授業。
ただの学園の日常。
だが、蒼真にとっては、それもまたこの世界を知るための手がかりだった。
魔法は、便利だ。
この世界の人間にとって、あまりにも自然なものだ。
自然だからこそ、理由を考えなくなる。
当たり前だからこそ、疑わなくなる。
火は燃える。
水は流れる。
光は照らす。
闇は隠す。
そういう単純な理解の隙間に、人は思い込みを作る。
そして、思い込みは時に、真実を隠す。
蒼真は教科書を鞄にしまった。
次の授業へ向かう生徒たちの足音が、廊下に広がっていく。
ノクティス魔法学園の一日は、まだ始まったばかりだった。
魔法理論Ⅰ。
属性相性の基礎。
それは単なる授業ではなく、蒼真にとって、この世界の見方を一つ増やす時間でもあった。
そして同時に、彼自身の異質さを、静かに浮かび上がらせる時間でもあった。
魔力を生成できない者。
けれど、魔力の現象を見ようとする者。
この世界の常識の外側から、魔法を眺める者。
蒼真はまだ、その意味を知らない。
だが、授業の最後に魔力板へ残っていた言葉だけは、妙に頭に残っていた。
――上級者は、現象を見る。
蒼真は廊下へ出た。
窓の外では、夏前の光が中庭を照らしていた。
その光もまた、ただ明るいだけではないのかもしれない。
そう思いながら、蒼真は次の教室へ向かった。




