表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その事件、魔法じゃありません!~魔力ゼロ転移者と美少女の魔法学園ラブコメ~  作者: にめ
1学年前期:マナブルーム祭

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/65

第46話「夜の寮前で」

# 第46話「夜の寮前で」


 夜のノクティス魔法学園は、昼間とは別の顔をしていた。


 石畳の通路は月光を淡く跳ね返し、昼に飾られたリボンや小旗が、風に揺れて小さく擦れる音だけが残る。遠くの校舎からは、片付けを終えた生徒たちの笑い声が、角を曲がるたび薄まっていった。


 昼の賑わいが「祭りの前触れ」だとすれば、今は「祭りの手前の静けさ」だ。高揚が消えたわけではない。むしろ、明日を待つ気配が、石壁の隙間や寮の窓の灯りの奥に、薄く溜まっている。


 蒼井蒼真は、その静けさの中を歩いていた。


 隣を歩くのはフレイア・バルディッシュ。昼間までの勢いの良さが嘘みたいに、歩幅が控えめで、足音も小さい。小柄な体つきでありながら、無駄のない線を描くようなスタイルをしていて、歩くたびに重心の低さと鍛えられた身体のしなやかさが分かる。制服の上からでも分かるほど胸元は豊かで、走ったり怒鳴ったりする彼女の印象とは違って、静かに並ぶと妙に目を引いた。右腕には白い包帯が巻かれている。痛みがないわけではないだろうに、顔にはそれを見せない。


 蒼真は、あえて何も言わなかった。


 ここ数日の彼女は、火のように燃え上がっては、燃えた分だけ自分に返ってきて、また立ち上がる――そんな忙しさの中にいた。今は、ようやく火が静まって、炭のぬくもりだけが残っている。


 その余韻を壊したくなかった。


 ……とはいえ、黙って歩くのも、蒼真の得意技ではない。


 得意というより、癖だ。


 相手が話したくなるまで待つ。待っている間に、相手の歩幅や呼吸や、視線の揺れを観察する。沈黙を埋めようとしない。


 それが、今夜は妙に「逃げ」に見えた。


「……静かだね」


 ふいにフレイアが言った。


「昼間は、あれだけ騒がしかったのに」


「祭りの前って、だいたいこんな感じだ」


 蒼真が答えると、フレイアは口を尖らせた。


「なにそれ。知ったような顔」


「知ってるわけじゃない。ただ、準備が終わったら静かになる。どこも同じだろ」


「……そういうところ。ほんとに、つまんない男子」


 文句を言う声音は、昼間の突っかかるものではなく、どこか甘えが混じっていた。


 蒼真は肩をすくめる。


「つまんないなら、戻るか?」


「戻らない!」


 即答だった。


 フレイアは、自分で言い切ってから、少し慌てたように咳払いをした。


「……えっと。そういう意味じゃなくて。ほら、今日は、その……」


「今日は?」


「今日は……」


 言葉が続かない。


 蒼真は、足を止めずに歩き続ける。止まってしまえば、彼女は余計に言えなくなる気がした。


 寮の灯りが見えてきた。石造りの壁に沿って並ぶ小さな魔灯が、黄色く揺れている。入口には、祭りの飾り付けの名残がひとつだけ残っていて、風に触れるたびに、控えめに鳴った。


 その音が、間を埋める。


 フレイアは、しばらく黙って歩いていた。


 蒼真は、彼女の視線が何度か自分に向くのを感じた。


 視線が来て、逃げて、また来て、逃げる。


 火の魔法より扱いにくい。


「……蒼真」


 やっと、彼女が名を呼んだ。


「なに」


「……その、さ」


 フレイアは指先で包帯の端をいじった。癖のように、何かを確かめる仕草。


 その指先が、何度か宙を彷徨って――蒼真の袖のあたりに寄っては、引っ込む。


 手を伸ばしたいのに伸ばせない、みたいな挙動だった。


 蒼真は気づかないふりをした。気づいたと告げた瞬間、彼女の炎は逆向きに噴き出してしまう。


「ほんと……ありがとうね」


 言い方が、いつものフレイアではない。


 「ありがとな!」と肩を叩いて終わりにするような勢いがない。


 蒼真は、相槌を打つように「うん」とだけ返した。


「……うん、じゃない」


「じゃあ、なんだ」


「もっとこう……ほら。『任せろ』とか」


「言わない」


「……つまんない!」


 すかさず二回目。


 蒼真は内心で数えた。


 つまんない、二回。


 明日の教室で三回目が来ると、たぶん何かが起こる。


 根拠はない。


 ただの経験則だ。


 フレイアはそこで終わらなかった。


「蒼真がいなかったら、私……」


 言葉が止まる。


 続きが出ないのではなく、出さない。


 蒼真はその「止め方」を見た。


 自分でブレーキを踏んでいる。


 彼女の中で、何かがちゃんと変わっている。


 だから、蒼真は短く言った。


「気にするな」


「……それだけ?」


「それだけで十分だろ」


「……ちぇ」


 フレイアは頬を膨らませた。


 その顔が、妙に子どもっぽくて、蒼真は一瞬だけ笑いそうになる。


「なに。笑った?」


「笑ってない」


「笑ったでしょ。目が笑ってた!」


「目が笑うって、どういう理屈だ」


「理屈の話じゃないの! そういうのは雰囲気!」


「雰囲気で言い負かすな」


「言い負かされるほうが悪い!」


 フレイアの声が少しだけいつもの調子に戻る。


 蒼真はその変化に、胸の奥が軽くなるのを感じた。


 事件が終わった。


 制度に渡した。


 それだけで十分だと思っていたが、こうして本人が前を向いて歩く姿を見ると、別の意味で「終わった」と思えた。


 ――なのに。


 自分の頬の筋肉が、勝手に緩みそうになるのは、どういう現象だ。


「……でもさ」


 フレイアがまた声を落とす。


「蒼真って、ほんとに変だよね」


「突然悪口か」


「違うって。悪口じゃなくて……」


 彼女は少し考える。


「英雄っぽいことしたのに、英雄っぽくない」


「英雄じゃない」


「それそれ! すぐ否定する!」


 フレイアは指を突きつけてくる。


「普通さ、もっと『俺が守った』とか言いそうじゃない?」


「言わない」


「言いそうなのに!」


「言わない」


「……つまんない!」


 三回目。


 蒼真は、やはり、とだけ思った。


 この手の経験則は、当たる。


 ただ、今度の「つまんない」は、拗ねた砂糖の味がした。


「できることをやっただけだ」


 蒼真が淡々と返すと、フレイアは一瞬、唇を結んだ。


 そして、少しだけ笑う。


「……そういうところが、ずるい」


「ずるい?」


「ずるい。だって、特別じゃない顔して、特別なことするんだもん」


 蒼真は言葉を探した。


 特別なことをしたつもりはない。


 ただ、止めなければならないと思った。


 その場にいて、見えてしまった。


 見えたものを、見なかったことにできなかった。


 それだけだ。


「特別じゃない。見えたから止めただけだ」


「……それが特別って言うの!」


 フレイアはふっと息を吐いて、夜空を見上げた。


 雲が薄く流れて、月がはっきりと見える。


 彼女の吐息が白く滲んだ。


「ねえ、マナブルーム祭の花火って、見たことある?」


「ない」


「だよね。あれ、すっごい派手なんだよ」


 彼女は両手を広げて、見えない花火の形を作る。


「こう……ドーンって上がって、火の花がパァーって広がって、音が胸に来て――」


「説明が全部擬音だな」


「擬音で伝わるでしょ!」


「伝わらない」


「伝わってよ!」


 怒るふりをして、すぐに笑う。


 その笑い方に、蒼真は昼間の教室を思い出した。


 派手で、強くて、前へ出る。


 それが彼女の「役割」だった。


 だが、今日のフレイアは、役割の外に立っている。


 ……立とうとしている。


「私、派手なのが好きでさ」


 フレイアが言った。


「目立つのって……得意な役目だと思ってた。私が前に出れば、みんなが安心するって」


 その声は、夜の空気に溶けるほど静かだった。


「でも今回、気づいた」


 彼女は、包帯を巻いた腕をちらりと見る。


「目立つって、危ない。主役って、責任がある。派手なだけじゃ……足りないんだって」


 蒼真は頷いた。


 ここで「偉い」とか「成長した」とか、そういう言葉は不要だ。


 言葉にすれば、彼女の努力が軽くなる。


 それより――。


「足りないって思えたなら、もう足りない側じゃない」


 蒼真がそう言うと、フレイアは一瞬だけ目を丸くした。


「……なにそれ。今の、ちょっとカッコいい」


「気のせいだ」


「気のせいじゃない! 言ったよね!? 言ったよね今!」


「言った」


「ほら! 認めた!」


 勝った、とでも言いたげに、フレイアは胸を張った。


 そして、すぐに咳払いをして、視線を逸らす。


 張り切りすぎると恥ずかしくなるらしい。


「派手なのは悪くない」


 蒼真は言う。


「ただ、派手なものほど、土台が必要だ」


 フレイアは目を瞬かせた。


「……土台」


「立ってる場所が揺れたら、派手に見えるものから崩れる。だから、支えるものがいる」


「……それって」


 フレイアは言いかけて、口を閉じた。


 言おうとしたのは、たぶん「エリナのこと」だろう。


 蒼真は、そこに触れない。


 事件の話に戻したくない。


 今夜は、ただの夜にしたかった。


 フレイアは小さく笑った。


「……蒼真、ほんと、言い方がずるい」


「またそれか」


「だってさ、褒めてるのに褒めてない顔するじゃん」


「褒めてない」


「褒めてるよ!」


「褒めてない」


「……もー!」


 フレイアは拳を握って、蒼真の肩を軽く叩いた。


 痛くない。


 ただ、近い。


 蒼真は一歩だけ距離を取ろうとして、やめた。


 距離を取れば、彼女はまた余計なことを考える。


 今の彼女が必要としているのは、守られる距離ではなく、隣にいる距離だ。


 ……と、理屈では分かる。


 分かるが、袖に何かが当たる感触があって、蒼真は反射的に視線を落とした。


 フレイアの指先が、蒼真の袖を摘んでいる。


 つまむというより、引っかける。


 離れないようにする、みたいな。


 蒼真は口を開きかけて、閉じた。


 指摘するのは、野暮だ。


 フレイアは、摘んでいることを自覚した瞬間、慌てて手を引っ込めた。


「い、今のは違うから!」


「何が」


「……その、ほら。袖、ずれてたから!」


「ずれてない」


「ずれてたの!」


「俺の袖が?」


「……うるさい!」


 フレイアはぷい、と顔を背けた。


 蒼真は肩を揺らした。


「笑った!」


「笑ってない」


「笑ってる! 今、絶対笑ってた!」


 言い合いながら、寮の入口が近づく。


 正面扉の前には、帰寮の名残で数人の生徒が立っていた。


 女子寮フロアへ上がる階段の方からは、誰かがひそひそ話をしている気配がしたが、こちらに気づくと、露骨に話題を変えて去っていった。


 蒼真は、見なかったことにした。


 今夜は、ただの夜にする。


 残ったのは、蒼真とフレイアだけ。


 フレイアは扉の前で立ち止まった。


 蒼真も、つられて止まる。


「……じゃあ」


 蒼真が言うと、フレイアは首を振った。


「待って」


「なに」


「……ねえ、蒼真」


 フレイアは、ほんの少しだけ視線を落とした。


 普段、誰よりも前を見て走る女が、今だけは、靴先を見ている。


 蒼真は黙って待った。


 フレイアは、息を吸って、吐いて――。


「……ほんとに、ありがとう」


 昼間より、さっきより、もう一段だけ素直な声。


「私は、派手に見えるところだけで戦ってた。見えるところで勝てばいいって思ってた。でも……それじゃダメだった」


 言い切ると、彼女は急に顔を上げた。


 目が合う。


 距離が近い。


 蒼真が「うん」と言おうとした、その瞬間。


 フレイアが一歩踏み込んだ。


 迷いが一瞬だけ見えて、すぐに消える。


 次の瞬間、頬に柔らかいものが触れた。


 温度だけが残る。


「……じゃ、また明日!」


 フレイアは言い捨てるように叫んで、寮の中へ駆け込んだ。


 扉が閉まる。


 蒼真は、その場に立ち尽くした。


 頬に手を当てる。


 熱い。


 何が起きたのか、理解が追いつかない。


「……え?」


 声が漏れた。


 夜風が吹く。


 飾りのリボンが揺れ、かすかに擦れる音がした。


 蒼真は、しばらくその音を聞いていた。


 そして、ようやく歩き出そうとした。


 ――が。


「……あ」


 寮の影から、ひょいと顔が出た。


 黒髪に眼鏡。月明かりでも分かる落ち着いた輪郭。


 九条リリアだった。


 蒼真は反射的に「いつからいた」と言いそうになって、言葉を飲み込んだ。


 リリアは淡々とした顔のまま、ゆっくり拍手をした。


「おめでとうございます」


「……何がだ」


「理解が遅いところも含めて、蒼真は蒼真ですね」


「違う。今のは……」


「今のは、頬への接触でした」


「表現が冷たい」


 リリアは眼鏡を押し上げる。


「私は、たまたま寮の扉を閉めに来ただけです。偶然、目撃しただけです」


「偶然にしては拍手が的確だ」


「拍手は、反射です」


 淡々としたまま、少しだけ口角が上がる。


 その瞬間、蒼真は嫌な予感がした。


「……明日、教室で何か起こる気がする」


「起こりますね」


 リリアは即答した。


「あなたが気づいていないだけで、すでに始まっています」


「……何が」


「祭りです」


 リリアは涼しい顔でそう言い、くるりと踵を返して寮へ入っていった。


 ……と思いきや、扉の前で一度だけ振り返る。


「蒼真」


「なに」


「頬、赤いです」


「……赤くない」


「赤いです」


「鏡がない」


「私が鏡です」


 言い切って、リリアは今度こそ中へ入った。


 扉が閉まる。


 蒼真は、再び一人になった。


 頬の熱はまだ残っている。


 夜の空気は冷たい。


 遠くから、祭りの準備をする金具の音が、微かに聞こえた。


 蒼真は息を吐き、空を見上げた。


 月が、さっきより少しだけ明るく見えた。


 ――翌朝。


 教室で何が起きるのか。


 蒼真は、その「予感」だけを胸に、静かに自分の寮へ向かった。



 一方、寮の奥。


 フレイアは部屋の扉を閉めた瞬間、背中を預けてずるずると床に座り込んだ。


 顔が熱い。


 耳まで熱い。


「……勢い、やりすぎた……?」


 呟いて、両手で顔を覆う。


 ベッドの上に飛び込みたいのに、脚に力が入らない。


 胸の奥が、やけにうるさい。


 だが、そのうるささが嫌ではなかった。


 フレイアは、覆っていた手の隙間から天井を見上げる。


 そして、小さく笑った。


「……後悔は……してない」


 声は、布の向こうで少しだけ震えた。


 今夜の自分は、派手だっただろうか。


 派手、というより――。


 怖かった。


 言葉より先に身体が動いた。


 逃げるみたいに走った。


 なのに、頬に触れた瞬間の蒼真の顔が、やけに真剣で、やけに間抜けで、思い出すだけで胸がうるさくなる。


「……明日、どうしよ」


 呟いて、枕に顔をうずめる。


 そのまま、もごもごと声だけが漏れた。


「……でも……明日、楽しみかも」


 夜はまだ続く。


 けれど、明日が来るのが、少しだけ楽しみだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ