第42話 同じ教室にいた風(2)
蒼真は焦らない。
フレイアが自分から口にするのを待つ。
誰かに言わされる告白は、後で必ず形を変えて戻ってくる。
「昔……私、風魔法を馬鹿にしたことがあるの」
フレイアは、吐き出すように言った。
それは懺悔だった。
彼女は今日、傷ついた。
だからこそ、自分が誰かを傷つけた可能性から目を逸らせない。
目を逸らした瞬間、自分が“被害者”でいる資格を失う気がしている。
その律儀さが、彼女を苦しめる。
フレイアは、苦しそうに言った。
蒼真は、否定もしないし、驚きもしない。
ただ、問いだけを返す。
「どうして?」
フレイアは顔を赤くし、視線を逸らす。
「炎魔法みたいに派手さも強さもないから……その、ちょっと……昔の話だわ! そのあと、ちゃんと謝ったし……」
フレイアは勢いで言い切ると、すぐに肩を落とした。
“謝った”。
謝ったという事実は、彼女の中で最後の防壁になっている。
謝っているから、許されるはず。
謝っているから、悪意じゃない。
謝っているから――今日のことも、誰かが許してくれるはず。
その期待が、今、ぐらついている。
だから声が速くなる。
語尾が早くなる。
言い訳というより、許してほしいという懇願に近い。
フレイアは、自分の中の“嫌な部分”を知っている。
勢いで言ってしまう。
相手を見下すつもりじゃなくても、言葉が刃になる。
そしてその刃は、意外と深く刺さる。
蒼真は、そこで説教をしない。
説教は簡単だ。
だが簡単な言葉は、フレイアをまた“責められる側”へ押し戻す。
蒼真は、事実を拾う。
「謝ったんだな」
「はい。……エリナも、気にしてないって」
フレイアは小さく頷く。
しかし、次の言葉がすぐ出てこない。
沈黙が、彼女の胸の中で何かを押している。
蒼真は、その沈黙を急かさない。
教室の窓の外で、風が一度だけ強く吹いた。
中庭に張られた布が翻り、紋章が一瞬だけ歪む。魔法灯の仮設柱がかすかに軋み、金具が鳴った。
風の音は、それ自体は無害だ。
けれど今日のフレイアにとって、音は連想を連れてくる。
ガラスが割れる音。
悲鳴。
クラリス先生の声。
そして、教室の“静かな視線”。
フレイアは、窓の方を見ずに肩をすくめた。見れば思い出す。思い出せば、また泣いてしまう。
装飾用の布が揺れ、窓枠に軽く当たる。
小さな音。
だがその音は、今日の破裂音を思い出させるには十分だった。
フレイアが、喉の奥で息を飲んだ。
「……でも」
フレイアは、唇を噛んでから言った。
この“でも”の後に出てくるものが、自分の罪になるかもしれないことを分かっている。
それでも言う。
言わなければ、今日の破裂は自分のせいになってしまう。
自分のせいだと決めつける方が、彼女にとっては楽だから。
だからこそ、蒼真は“でも”を止めない。
やっと言葉が出る。
「それから……あの人、前に出なくなった気がするの」
蒼真は、目を細めた。
「前に出なくなった」
「はい。今までも目立つ子じゃなかったけど……もっと、こう……隅に行ったというか」
フレイアは、自分の言葉を探す。
「私が言ったことが原因かどうかなんて、分かりません。でも……なんとなく」
“なんとなく”。
それは証拠にならない。
でも、人間の事件は、証拠の前に“なんとなく”が生まれる。
違和感は、原因が見つかるより早く現れる。
蒼真は、そこで初めて、彼女の方に少しだけ顔を向けた。
「その言葉は、エリナにとって“気にしない”で済むものだったか」
蒼真は、問いを“責め”に変えないために、語尾の温度を意識した。
正しさを押し付けない。
だからといって、曖昧にもしない。
相手が受け止められる形で、現実を置く。
それが、彼のやり方だった。
蒼真は断定しない。
問いとして置く。
フレイアは、目を伏せた。
「……分かりません」
「分からないなら、確認するしかない」
蒼真は、淡々と言った。
その淡々さは冷たさではない。
感情で暴れないための、手すりだ。
フレイアは小さく笑う。
「……あなたって、ほんと……怖いくらい真面目だわね」
フレイアは笑おうとした。けれど、その笑いは途中でほどけて、目の端が赤くなった。
“真面目”という言葉は、彼女の中では“救い”に近い。
真面目に向き合ってくれる人がいる。
それだけで、自分が完全に一人ではないと思える。
「真面目じゃない。……楽をしたくないだけだ」
蒼真がそう返すと、フレイアは一瞬だけ目を丸くし、それからまた涙を落としそうになって慌てて袖で拭いた。
「……私、嫌われてるかもしれないのに」
小さな声。
それは、事件のことよりも、もっと個人的な恐れだった。
嫌われる。
拒絶される。
居場所を失う。
今日、彼女が最初に感じた痛みは、傷口ではなくそこだった。
蒼真は、その恐れを否定しない。
「嫌われてるかどうかも含めて、確認する」
フレイアは唇を噛み、少しだけ頷いた。
蒼真は続ける。
「エリナに、直接聞こう」
「責めるためじゃない。……確認するためだ」
フレイアの肩が、ほんの少しだけ落ちる。
“責めない”という約束が、彼女の呼吸を少し楽にした。
蒼真は、教室の隅に貼られた当番表へ視線を向けた。
紙は少しよれている。何度も貼って剥がしてを繰り返したのだろう。文字は几帳面な筆跡と、荒い筆跡が混ざっていた。
そこに残っている名前は、今日の教室に残った“責任”の一覧でもある。
蒼真は、ふと自分の名前を見つけた。
――裏方。
祭りの準備。
運搬。
確認。
魔力がなくてもできること。
今日のこの行動も、結局は裏方だ。
誰かを輝かせるためではなく、誰かが燃え尽きないために、支える。
黒板の横。
紙には小さな字で、準備の担当が書かれている。
フレイアも同じ方向を見て、囁くように言った。
「……今なら」
「今なら?」
「準備棟じゃなくて……たぶん、教室の後ろだわ」
フレイアは、当番表の端を指でなぞる。
「エリナはね、当番を投げないの。どんなに目立たなくても、最後まで残るタイプなの」
その言い方には、少しだけ尊敬が混じっていた。
尊敬が混じるほど、怖い。
尊敬できる相手が、もし自分を傷つけていたら。
その現実は、簡単に受け止められない。
フレイアは、当番表の端を指でなぞる。
「当番表、エリナの名前が残ってたから」
同じ教室。
同じ空気。
遠い相手じゃない。
だからこそ、怖い。
蒼真は、ゆっくり息を吐いた。
頭の中で、いくつかの線が繋がりかける。
しかし、繋がりかけた線を、ここで言葉にしてはいけない。
言葉にした瞬間、仮説は刃になる。
刃は、人を守るより先に傷つける。
蒼真はまだ、刃を抜かない。
抜く前に、触れる。
聞く。
確かめる。
そして、もし間違っていたなら、間違いを引き受ける。
それもまた、裏方の仕事だ。
頭の中で、いくつかの線が繋がりかける。
だが、繋がりかけた線を、ここで言葉にしてはいけない。
言葉にした瞬間、仮説は刃になる。
刃は、人を守るより先に傷つける。
蒼真はまだ、刃を抜かない。
抜く前に、触れる。
聞く。
確かめる。
フレイアが、そっと拳を握りしめる。
「……行くわ」
声は小さい。
でも、逃げる声ではなかった。
蒼真は頷き、二人で教室の後方へ向かって歩き出す。
机の間を抜けるたび、影が足元で揺れる。
誰かが小声で「フレイア……」と呼びかけかけて、飲み込む。
別の誰かが、蒼真の背中に視線を投げる。
“あいつ、また首突っ込むのか”という顔。
蒼真はその視線を気にしない。
気にしても、状況は変わらない。
変えるなら、やるしかない。
教室の後ろ。
棚の前。
夕方の影。
紙の擦れる音。
音だけで、そこにいる相手の姿勢が想像できた。几帳面な指。丁寧な動き。乱暴ではない。
そして――振り向かない気配。
振り向かないのは、気づいていないのか。
それとも、気づいていて、振り向けないのか。
蒼真は、そのどちらもあり得ると思った。
棚のあたり。
紙の擦れる音。
それは、今日の破裂音とは正反対に、やけに静かな音だった。




