第12話 街ブラデートと、突然の婚約宣言
朝の鐘が鳴るより少し前、蒼真は柔らかな重みで目を覚ました。
「……蒼真、起きてる?」
耳元で囁く声と、やけに近い距離感。視界に入ったのは、こちらを覗き込むユリウスの顔だった。寝起きとは思えないほど整った顔立ちに、思わず一瞬だけ言葉を失う。
「起きてるけど……近い」
「え? そう?」
ユリウスはきょとんと首を傾げる。悪気はまったくない。距離感ゼロ、いつものことだ。
「今日はデートなんでしょ。私服、ちゃんと用意した?」
「一応な」
蒼真は身を起こしながら答える。デート、という言葉にまだどこか実感が伴わない。だが事実として、今日は学園の外に出て、ルミエールと会う約束をしている。
「いいなあ。ルミエールさん、きっとすごく可愛いよ」
「……他人事みたいに言うな」
「だって他人事だもん。でも、蒼真が誰かと一緒に出かけるの、ちょっと嬉しい」
そう言って微笑むユリウスに、蒼真は小さく息を吐いた。疑わない。疑う必要がないと、本気で思っている表情だ。
「服、似合ってると思うよ。青、選ぶのは蒼真らしい」
「……そうか?」
「うん。落ち着いてて、でも暗すぎない。見てると安心する色」
無邪気な評価に、蒼真は少しだけ視線を逸らした。
「じゃあ、行ってらっしゃい。帰ったら話、聞かせてね」
「……ああ」
それだけのやり取りで、朝は流れていく。蒼真は私服に着替え、寮を出た。
◇
学園正門の前は、いつもより少しだけ人の往来が多かった。休日の朝。学園の外に出る生徒と、街から入ってくる人間が交差する場所。
「蒼真」
名を呼ばれて振り向く。
そこに立っていたのは、学園で見慣れた制服姿とはまるで違うルミエールだった。
柔らかな黄色のワンピースに、髪は軽くまとめられている。胸元は仕立ての良さもあって自然と豊かな曲線を描き、歩くたびに布地がわずかに揺れる。その姿は飾り気がないのに、否応なく人目を引いた。
「……すごく、似合ってる」
蒼真が素直にそう告げると、ルミエールは一瞬きょとんとし、それからみるみるうちに頬を染めた。
「え……あ、ありがとう……」
視線を泳がせ、指先をぎゅっと握る仕草が初々しい。
「その……蒼真の服も、いいと思う」
「そうか」
「青、選ぶのね。青が好きなの?」
問いかけに、蒼真は少し考えてから答えた。
「落ち着く色だと思ってる」
「ふふ。蒼真らしいわ」
その言葉に、彼女は柔らかく微笑んだ。
(自覚がない。……いや、自覚する必要がなかった環境にいた、か)
学園内では、彼女はクラス委員長であり、貴族令嬢だ。だが外に出れば、肩書きは剥がれ落ちる。それでもなお、人の視線を集めるという事実だけが残る。
「行きましょう。今日は案内役、わたしなんだから」
そう言って差し出された手を、蒼真は自然に取った。
◇
街は、学園とは違う熱を持っていた。
魔道具屋の店先には、用途不明な器具が並び、露店からは香ばしい匂いが漂ってくる。雑貨屋では、魔法とは無関係な装飾品や布製品が所狭しと並んでいた。
「これ、馬術部で使ってる魔力計なの。調子が悪いと色が濁るのよ」
楽しそうに説明するルミエールを見ながら、蒼真は頷く。
委員長でも、貴族でもない。ただ街を歩く一人の少女だ。
(ここでは、守られていない)
学園の結界も、肩書きもない。だからこそ、彼女は自然体でいられるのかもしれないし――同時に、無防備でもある。
「蒼真? どうかした?」
「いや。街、詳しいなと思って」
「好きなの。こういうところ。学園の外の空気」
笑顔は曇りがない。その裏に何を抱えているのか、蒼真はまだ知らない。
◇
昼前、ルミエールが案内したのは、落ち着いた雰囲気のカフェだった。
店の前で足を止めたルミエールは、可愛らしく指先をもじもじと絡めた。
「ここ、前から来てみたかったの」
「……このカフェに入りたいのか」
「うん、けど……」
言い淀む様子に、蒼真はそれ以上は聞かず、扉を開けた。
席に着き、メニューを開くと、そこには小さく書かれた一文があった。
《カップル限定セット》
焼きたてのパンを中心に、彩り豊かな前菜、温かなスープ、そして二人で分け合う小さなデザートプレートが付くランチセットだった。
「……あ」
ルミエールが気づき、頬を赤らめる。
「だ、大丈夫よね? その……わたしたち……」
「恋人、だろ」
蒼真が淡々と答えると、彼女は一瞬言葉を失い、それから観念したように小さく笑った。
「……そうね」
「カップル限定セット、食べてみたかったの。カップルじゃないと頼めないみたいだし、値段からしてもお得セットだと思うの」
「堅実だな」
「ひいた?」
「いや。お嬢様はお金とか気にしないのかと思ってた」
「失礼ね、ぷん。お金は大切よ。無駄使いはできないじゃない」
蒼真が素直に褒めると、ルミエールは耳まで赤くなり、視線を逸らした。
(ずっと、こんな時間が続けばいいのに)
注文のときも、料理を分け合うときも、彼女はどこか落ち着かない。それでも、蒼真と視線が合うと、安心したように微笑んだ。
◇
店を出ると、通りの端に馬車が止まっていた。
「……馬車?」
「ええ。家に行くから」
ルミエールの声色が、ほんの少し変わった。さっきまでの軽さが消え、言葉が慎重になる。
馬車に乗り込むと、彼女は窓の外を見つめ、しばらく口を開かなかった。
(説明は、ない)
だが蒼真は、問いたださなかった。今は聞くべきではない、と直感していた。
◇
アルセリア家の屋敷は、街外れの小高い丘に建っていた。白い石造りの外壁は広大な敷地に悠然と構え、幾つもの尖塔と大きなアーチ門が貴族の威光を誇示している。整えられた庭園には噴水があり、花壇の花々が夕陽を受けて輝いていた。その規模と気配だけで、格の違いを思い知らされる。
出迎えたのは、穏やかな笑みを浮かべた壮年の男性と、柔らかな雰囲気の女性だった。
「ようこそ。私はアレクシス・ド・アルセリア」
「妻のマルグリットです」
「蒼井蒼真です。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
二人の視線は、最初から蒼真を“客”ではなく、“家族候補”として見ていた。
(なるほど)
状況が、少しずつ輪郭を帯びてくる。
◇
夕食は、明らかに格式ばったものだった。前菜には香草で整えられた白身魚、次に供されたのは柔らかく煮込まれた肉料理、最後は宝石のように盛り付けられたデザート。料理の質、給仕の動き、会話の運び、そのすべてが“正式”を物語っていた。
「蒼真くん、といったかな」
食事の前半、アレクシスが穏やかに問いかける。
「ルミエールの、どこが気に入って付き合ってくれたのかな」
一瞬、空気が張り詰めた。ルミエールは驚いたように父を見る。
蒼真は、真剣な表情で彼女を見た。
「真面目で、人のことをよく見ていて……それでいて、押し付けがましくない。自分より他人を先に考えるところが、すごいと思いました」
言葉を重ねる。
「委員長としても、友達としても、努力を惜しまない。……それに、素直で、優しい」
ルミエールはみるみるうちに顔を赤くし、俯いた。
「そ、そんな……」
「一緒にいると、安心できます」
その一言に、マルグリットが静かに微笑んだ。
そして、食事の終盤。
「……わたし、あの方とは結婚しません」
唐突なルミエールの言葉に、空気が凍る。
「蒼真と、結婚します」
蒼真は、思わず息を詰まらせた。
「蒼真くんは、いいのかね?」
アレクシスの問いかけは、静かで、だが逃げ場を与えない。
蒼真は一瞬、ルミエールを見る。彼女は小さくウインクしてみせた。
(覚悟は、ある)
事情は分からない。それでも。
「……はい」
それが、今の最善だと判断した。
◇
その夜、部屋へ案内される直前、執事と思しき巨乳の美しい女性が恭しく一礼した。
「ルミエール様のお部屋で、お二人お泊まりでよろしいでしょうか」
「――えっ?」
蒼真が慌てて声を上げると、ルミエールは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。
「そ、その……今日は色々あったから」
執事は何事もないように一礼して下がっていく。
その後、二人きりになってから、蒼真は静かに口を開いた。
「結婚って、どういう意味だ」
ルミエールは苦笑し、小さく息を吐く。
「ごめんなさい。話を合わせてくれて、ありがとう」
そして、こちらを見る。
「実はね……」
その先を語る前に、物語は一度、幕を下ろす。




