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22 罪業

 アルタイルの最上階の研究室に二人はいた。研究室は整然と並んだ書架が印象的で、乱雑さはどこにもない。彼の几帳面なところがうかがえた。


「ところでその腕はどうしたんだい」


 珈琲を淹れてくれた。こうして歓迎されるのは魔法局では初めてだった。カップに口をつけて、苦味を舌の上で転がす。


「魔性に食べられたり、いろいろ……あったんです」


「魔性も人間っていったら人間だしね。エリシュカは残念がっていなかったかな。彼女だいぶ参っているようだったけど」


「ええ、まあ、残念がっていましたけど。エリシュカを見つけ出す前に、俺はアダム・ベロフを始末しようと思っています。そして魔法局に暗殺者を招き入れた者を突き止めたいです。エリシュカにとっても俺にとっても危険なので」


「見当はついているのかね?」


 アルタイルは面白そうだ。


「あなたこそ、どうなんですか? この復讐を止めますか?」


「まさか。利用させてもらうよ。予想はついているけど確信はない。あの期間に意図的に僕と関わらないようにしていた人間、だいたいわかるものさ。それで誰だと思う?」


 クランツは一人の名を告げる。

 アルタイルは笑みを深めた。



 条件ひとつ、エリシュカに悪意がある人。ふたつ、クランツを殺すことで皇女派閥の力を削り、得をする人。

 アダム・ベロフは五人ともいま城にいない。いまごろは冬の城の調査隊に参加している。帰ってくるのは後だ。

 クランツは無機質な廊下を歩き、目的の研究室の扉を叩く。誰何の声が聞こえたが、それには答えずに扉を開けた。愚かにも部屋の主は鍵をかけていなかった。


「ドラニカさん」


 クランツが姿を現したことで目を見開くドラニカ。視線が右へ左へ迷い、呼吸が乱れる。しかし一瞬それらを押し隠すと、嘘くさい笑顔をつくった。


「俺はあなたがしたことを知っている」


 今度こそ表情が崩れる。ドラニカが後退し机にぶつかる。乱雑に本や紙の束が積み上げられた机から物が落ちた。


「なんのこと?」


「言い逃れはゆるされない。俺にこうした仕打ちをしたことは、俺の主であるリトヴァク第二皇女シルヴィア殿下に弓引いたということ。言うまでもなく皇族に反逆する行為だ。重罪にあたる」


 遠慮なく研究室に踏み込み、ドラニカの襟首を掴んだ。侵入する際に扉を閉めて鍵をかけるのを忘れなかった。


「ちょっ、ちょっと待ってよ」


「シルヴィア殿下の異名を知っているか?」


「ご、拷問大好きだって噂は知っているけど……」


「まさにそう。シルヴィア殿下は己の敵対者をゆるさない。敵対者を炙りだすために、年齢や性別や妊婦かなんて関係なく無惨な目に遭わせる。恐怖で人を支配する能力に長けたお方。リトヴァク皇族の器を正しくお持ちになられる方だ。そんな方に逆らったらどうなると思う?」


「いや、わたしはやってな……」


「俺には権力がないと思われているが、それはどうだろう。俺はシルヴィア殿下に信用されている。そんな俺がお前の罪を進言したら、果たして殿下はどうなされると思う」


「…………」


「想像してほしい。強制労働所に入れられる? 独房に入れられる? それとも協力者を全員言うまで、殺してと懇願するような拷問を受ける? それとも全部?」


「嫌……嫌……っ! わたしにこんなことして、局長が黙って……」


「局長はお前を庇わない。なぜなら、いま局長はゾーヤが秘密裏に魔性を培養していたことを城へ釈明に行ったから。これ以上、魔性に関わって自身の罪が増えるのを嫌がるだろう。自身の潔白を示すために、お前の罪は密告され暴かれる。魔法局は解体される」


「な、なんで……。なんでそんな。で、でまかせよ!」


「どうだろう。お前は確かめようがない。俺がこの場で嘘をついているのかもしれない。一理ある。けれど、そうじゃなかったら? 魔法局は皇族には絶対に勝てない。絶対に。天と地がひっくり返っても、皇族の血統魔法の前ではみなひれ伏すしかない。逆らったら命がない。見せしめに苦痛を味わわせられながら死ぬ」


 ドラニカは身をよじった。想像力のない彼女でも、ここまで言えば自身がどうなるかは理解したらしい。

「俺に手を出した時点で、逃れようとしてももう遅いんだ。白状してしまったほうがいい。殿下のもとで俺がなにをやっていたか、知りたいだろう。教えてやる。いまここで与えられる苦痛すべて、試してみようじゃないか」


 少し顔面を殴りつけただけで、ドラニカは泣いた。惰弱だった。魔法局の人間はみな素人だ。頭脳は冴えていても、実体を伴った経験ではない。机上の理論を交わすことに夢中になって、人間が獣の暴力性を持っていることを時々忘れている。暴力は最低な行為である。クランツもそういう認識は持っているが、必要かそうでないかは生きていればわかるというもの。


「服を脱げ」


「ごめんなさい……、もうやめてぇ」


「お前が全部言うかにかかっているな。脱げ」


 暗殺者を招き入れたことでドラニカだって深い考えがあってやったわけではない。そんなことはクランツだって理解している。ただ報いは受ける。それだけ。

 腫れあがった顔でドラニカは叫ぶ。


「もう全部言った!」


「嘘だな」


「そんなことないっ! こんなことして良心が痛まないの? や、やだぁ。穢されるのはいやっ! 呪ってやる!」


「仕事中にそんなことしてられるか。お前なんかに触れたほうが穢れる。身の程を弁えろ、売国奴のクズが」


 ドラニカが傷ついた顔をしたのを見逃さず言い募る。


「お前など殿下の足元にも及ばない。知性も、品性も、美貌も、あの方に敵わない。家門、財力、地位、名誉、人望、この世のありとあらゆるものすべてにおいて、お前は負けている。早く認めろ。跪き、許しを請え。素直になれ」


 正規の方法で拷問するときは服を脱がす。恥辱を与えるため。自尊心を折るため。自身の常識で対抗しえないことが起きていると認識させるため。彼女の中の常識を破壊し、クランツが語る言葉で常識を再構築する。それができてこそ精神を屈服させたといえる。

 もう少しだ。

 クランツは手袋を嵌めた指で汗をぬぐった。

 怒鳴りつけ、水を限界まで飲ませて嘔吐させ、厠に行かせず室内で排尿させ、精神的支柱をひとつずつ丁寧に折っていく。いちいち言葉で羞恥を煽る必要などなく、命令させるたびにドラニカは泣き笑いのような顔になっていく。壊れていく。


「もお、許していいでしょ? いいでしょ?」


 叫んで暴れていたがクランツは動じない。ドラニカの体力が続かず静かになる。

 汚い床に腕と足を縛られた状態で転がされたドラニカはうなった。クランツはそのそばで静かな声で会話する。


「あなたは俺に協力するしかない。違うか?」


「違わない、です……」


「弱いな。もう一度、言え」


「アタシはあなたに協力します」


「嫌々協力するのか?」


「いいえ、……とんでもないです。……シルヴィア殿下の……従者の……寛容さを知ることができて、身に余る幸福です……」


 ドラニカの目が泳いでいる。クランツは嘆息して、ドラニカに目隠しした。轡を噛ませてそれ以上体には触れず静かに立ち上がる。


「いいか? 天秤にかけろよ。シルヴィア殿下ならあんたのことなんて嬲り殺す。俺はあんたの話を聞こうとしている。どちらが優しい? どちらが痛くない? 断っておくけど、誰もあんたのことなんて助けないぞ。論文の窃盗はもう申告してあるからな。どうせ過去にもエリシュカの論文を窃盗したり研究作品を壊したりしたんだろ? 余罪まみれじゃないか。なぁ? あんたみたいな厄介な人間がいなくなって喜ぶ人間のほうが多そうじゃないか? みんなあんたが嫌いだろ。俺はいつまでもこうしてることはできない。次にやることがある。あんたが何も言わないならこのまま去るけど、どうする?」


 そういいながら、クランツは扉に背をもたれかからせるようにして床に座った。沈黙が二人の間を覆う。

 できるだけ体に損害を与えない形で、じわじわと責めたので時間がかかった。

 轡をとってドラニカが叫んだのは、エリシュカへの恨み言だった。


「だってアイツ、アタシの好きな人から宝石を贈られて求婚されていたのよ。信じられる……? アタシが十代でここに来たときから姿の変わらないババアなのに、求婚なんて……。ズルい。本当ならアタシにすべきなのに! あの女、きっと彼に色目をつけたのよ。だから気に入られているのよ! アタシだって努力してるのに! アタシの努力のほうが正しいのに! アイツがいなければきっと彼はアタシのほうを向いてくれたのに! はやく、どっかに行けばいいのに!」


「…………」


「だからアンタ、ブスだから顔を隠したほうがいいよって教えてあげたのよ。バカでブスなのに表にひょいひょい出てきて目障りって……。彼の求婚も断るように助言してあげたのよ。アイツ、そもそも結婚とか貞操観念の部分でやっぱり変だったみたいだけど! だって、未婚の女が未婚の男を家にあげているのよ? やっぱり変じゃない! 絶対変よ! アイツは彼にふさわしくないのよ!」


 ドラニカは髪を振り乱し笑っていた。常軌を逸している。

「なんで貴族に頼まれごとなんか受けた? 危険人物を魔法局に引き入れる手引きをするなんて。職を失うと思わなかったのか?」


「仕方ないじゃない。お金がほしかったんだもの! それにこれまでにも、アタシにそう頼んでくる人たちはいたし……。 お金がないと、自分が惨めだって気づいちゃうじゃない……。研究室にこもっているだけで人生が終わった行き遅れでババアって学生たちに陰口をたたかれるの。せめてお金があれば、自分の価値が上がった気がするでしょ?」


「他人からの評価を自分の価値だと思い込むから、そういう意識になる。お前は間違っている」


「間違っていてもいいでしょ。世の中の人間全員が正しいことをしているの? そうじゃないでしょ? アタシは醜くない。アタシはあんたの世界では間違っているかもしれないけど、アタシの世界では間違いじゃないの!」


 堰を切ったようにドラニカは家族構成から趣味嗜好、なぜ暗殺犯を手引きするに至ったかも彼女は淀みなく話した。

 話し終えると、彼女はすこし黙ったあと、体を仰向けにしてクランツがいると思われる方向へ這ってきた。


「ねえ、アタシ処女なの。ここまで正直に白状して、ここまで見せたのよぉ……抱いてよぉ……。もう彼がアタシのほうを振り向くかもしれない希望はないって知っているのよぉ。それに学生たちだって、アタシには手は出さないしぃ。ここには出会いがないの。お願い、初めては若い男の人がいい」


 全身の総毛が立った。クランツは立ち上がる。


「おぞましい。吐き気がする。お前みたいに腐った女と誰が」


 クランツの足にすがりついてこようとするドラニカを蹴飛ばした。彼女は部屋の暗がりにうずくまり、奇妙な笑い声を弾ませている。


「逃げたらどうなるかわかっているな。この研究室から出るのも禁止だ。また来るから、そのときに指示をだす。服を着るのをゆるす。身を清めるのはそこでしろ」


 研究室内に設置されたシンクを指さす。念を押して、退室する。出ようと思えば出られる軟禁状態だが、あの調子だと外へ出ても長距離の逃避は無理だろう。

 ドラニカの姿を見なくてよくなった途端、疲労がどっと押し寄せた。

 上階に上がり、アルタイルと合流すると、たまらずクランツは床に座った。足を小刻みに動かし、顔を押さえて動かない。

 人を痛めつけて喜ぶ趣味はない。自らの暴力性を人の前で誇示する真似をするだけで、精神的に疲労する。

 ただ自身が感情を殺し切れていないのを自覚していても、クランツもまたシルヴィア殿下に屈服する人間の一人だから、身を捧げ手を汚し全身全霊で尽くさなければならない。今までずっとそうだった。これからもずっとそのはずだった。


「金のためだってさ。あいつ、さっさと白状すれば汚いもの見なくて済んだのに」


 指先を噛む。


「ドラニカは嘘をついていない」


 アルタイルは隣の研究室で事の成り行きを、道具を介し見守っていた。


「そうか。なら、あとはアダム・ベロフが帰ってきたら……」


「君は少し休んだほうがいい。時間はまだある。起きてからドラニカの様子を見に行けばいいさ。隣の部屋は使っていい。風呂も使いたければ使って」


 毛布を渡された。

 隣の部屋へと移動するとそこは簡易的な居室として使われているようだった。壁で二分され、寝台と仕切りで隠された浴槽があった。蛇口を捻り浴槽に湯を溜めて身を清める。

 情けないドラニカの姿を思い出しては目の裏がちかちかとしていた。人の嫉妬は醜い。その醜さはドラニカだけのものでもなく、人がふつうに持つ一部分だ。ドラニカは求めるものが手に入らないから落ちぶれた。もうなにもかも妥協して、クランツにすら縋り付いた。情けない姿。虫唾が走る。




 お湯に肩まで沈めていると、不意に背後から現れた小さな手のひらがクランツの目を覆った。濡れた肌に吸い付くような乾燥した肌だった。

 クランツは視界が閉ざされても焦ることはなかった。


「……精霊か? 幻覚か?」


「誰だと思う?」


 その声はシルヴィアのものだった。首筋に唇が添えられる。湯気のほかに吐息を感じる。


 肌が泡立つ。もしこの精霊がクランツを殺す気ならば命はない。


「わからない」


 気配が顔の前へと移動する。水音がする。浴槽の淵に腰かけているのか、足がクランツの体をそっと撫でた。瞼から手のひらの感覚は消えたが、目を開けることはしない。


 声の主はクランツの頬を抑えた。


「もう、わたくしを見てよ」


「まがい物だろ。見たくない」


 顎を小さな手が掴んだ。髪の生え際にキスをされる。


「若くてもパパはパパね。変わりなく」


「……子供を持った覚えはないけど」


「業突く張りなパパ。わたくしが誰か当ててみて」


「お前が借り物の姿を脱いできたら当ててやるよ」


 笑い声だけを残し、気配が消えた。



 眠りにつく前の曖昧な意識の中で過去を夢にみた。

 シルヴィア殿下に命じられるまま、人を痛めつけた記憶。他人の血を浴び、骨を折り、罵倒を受けて、なお笑う人の心がない強者を演じること。シルヴィア殿下と並び立つために怪物になることを選んだこと。


 ――「お前はそれでいいと思っているのか」


 過去に聞いた、老人の叫び声が蘇った。

 いいと思ったことは少しもない。ただ殿下をお支えするには、そうするしかなかったから。


 ――「建前だろう。お前はやりたくてやった。すべて自分が望んでやったこと。誰かの欲望を叶えるのは、その誰かに褒めてほしいからだ。承認欲求はお前自身のものだ。違うか」


 クランツは老人の言葉を肯定する。もし、いま、無垢な人間が殿下のそばに侍り、その人間にシルヴィアがほだされるようなことがあれば、クランツはその人間を排除しようとするだろう。自身でも律しがたい強い感情に突き動かされてそうせざるを得なくなるだろう。

 何も持っていなかった孤児とすべてを持つ美貌の姫君に出会ってしまったのが、始まりであり終わり。

 クランツはシルヴィアを知ってしまったがゆえに、手が届かないことを理解していても、手を伸ばさずにはいられない。

 あの精霊はクランツの欲望を見抜いている。

 次第に意識は靄に包まれていく。

 もし次に会う機会があれば、クランツは迷わず精霊を殺す。

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