21 アレクシア女帝
再び目を覚ましたときには、液体に体を浸らせた状態だった。風呂のような四角の容器に液体とともにクランツは眠っていたらしい。
高い天井と、うすぼんやりとして遠くに見える明かり。相当な広さがある空間だった。
体を包んでいるのは透明な油のような液体で、薬品の匂いがする。触れていて心地よいものではない。起き上がろうとして手で自身が突っ込まれていた容器の淵を触った。
「腕……?」
いまさら違和感を抱く。
見れば足もあった。手の指は正常に動く。次に指で足に触れてみる。手足の触感は現実的だ。千切れていたはずの腕に傷跡はなく、顔の造形も前と大きく変わっている感覚はしない。視力も問題ない。
本来は安堵すべき事柄なのに、不安は募る。
自分はたしか、魔性に喰われて――それから。記憶の空白があり、思い出すのにやや時間を要した。
「エリシュカさん……」
体が震えた。いまさら寒さを思い出し、剥きだしの肩をさすった。液体に濡れた体は冷えはじめていた。
「救い出してあげたのはあたしなのにぃ、開口一番に違う女の名前を呼ぶのぉ?」
少し遠くから反響を伴い靴音が近づいてくる。灯りに乏しく、人物の輪郭のみが光に照らされている。
「ああ、……オデット。オデットなのか……」
クランツはそこで、状況を完全に思い出した。
立ち上がり這いだし、声のしたほうに近寄ろうとする。
「近寄ってこないでよぉ。お前の裸なんか見たくないわぁ、服を着てよねぇ」
衣類とタオルを投げられた。床に落ちたそれを拾い、身支度を整える。
「おつむの調子はどぉ?」
「この上なく明瞭。ありがとうございます」
オデットは鼻で笑った。
「感謝ならアレクシア陛下にぃ」
オデットは腕を組んで立っているだけだ。長い尾がスカートの裾から覗いて揺れている。
「……オデット?」
怪訝に思われているのがわかったのか、オデットは手を振った。
「お礼を言うのは早いかもしれないよぉ。あんたを人間に戻してやったお礼をしてもらうぅ。しかも四肢も治したんだから、高くつくよぉ」
「城でなにかあったんですか。殿下の身になにか……」
オデットに会って初めに訊ねたいと考えていた質問を思い出した。
オデットはクランツではなく自分の手のひらを眺めていた。何も持っていない手をかさねて、珍しく言葉を選んでいるように思えた。
「シルヴィアは回帰魔法を使ってないんだぁ。あたしはてっきり使ったとぉ……。だから監視するのはあんただけでいいってぇ……」
「なんの話……いや、もしかして、城の探索のとき」
「きっとあんたが傷ついたからシルヴィアは使わなかったんだよぉ」
オデットの視線が、クランツの視線と交わる。
冬の城の探索はシルヴィアの独断で行われた。シルヴィアの旅に同行したのはクランツとオデット、それから数名の騎士たち。
魔性を退けるための香を焚き染めて、万全の状態で挑んだが、結果的には成果は出なかった。ただ集団は冬の城に辿り着き、廃城となったそこを回っただけだった。
道中の成体の魔性を退けることはできたが、城の内部に侵入していた幼体の魔性にクランツは腕を噛まれた。シルヴィアを庇ったがゆえに。ごく間近でクランツが喰われるのを見ていたシルヴィアには持参していた回帰魔法の記述が刻まれた杖を使うようにみんなが言い、それで済んだと思われていた。
「シルヴィア殿下を殺したのか……?」
自然と足が詰め寄っていた。
オデットの襟首を掴み上げる。
「殺してなぁい」
オデットは抑揚のない声で続けた。
「でもこれからそうするつもりぃ」
「オデット! どうしてシルヴィア殿下を優先しない。俺なんか助けなくてよかったのにどうして」
「あんたは自覚がないかもしれないけどぉ、あんた、特別なのよぉ」
オデットはクランツの手をとった。
「あそこにあるのがあんたのご両親の墓」
薄暗い洞窟のなか、白い花に覆われた空間があった。近づくと花の正体は白い霜と氷柱だった。石が置いてある。墓石というには粗末な、名前すら刻まれていない石だった。
「嘘だろ。こんなところに墓なんて……。なにを考えている、オデット」
「まず冬の秘密から説明しないとねぇ」
オデットが合図をすると、空間の灯りがすべて消えた。
「何が始まる?」
「投影機。過去の出来事を映像で見ることができるのぉ。記録されている過去を再生するだけだから、口を挟まず見てぇ。映像を見終わったあと、質問をきくからぁ」
闇の中に白髪の老いた女性が浮かび上がった。頭に王冠を嵌めて、片手には王笏、皮のひだばかり目立つ骨みたいに細い指に装飾的な指輪を嵌めている。
「この方は……」
返答するように、映像のなかの女性が話し始める。
「余はアレクシア・ユリ・リトヴァク。この名は今代の、人類最後の女帝として語り継がれるであろう……」
これこそ、シルヴィアの求めた秘密だった。
オデットへ訊きたいことが山ほど浮かんだが、女帝の言葉を聞き漏らしてしまうのを恐れ、クランツは一旦頭を空っぽにする。
オデットは何も言わない。ただ気配を消して闇と同化している。
「余の寿命は残り短い。延命の末に手に入れた体だが、すべての仕事が完了したいま、大罪への罰としてあの大穴の中へ身を投げ入れて永遠に彷徨うことになっているので、我が罪を知る者は安心するとよい。若いころ、余は死を否定した。あのときはそれが正しいと思った。永遠に生き続けることが生きとし生ける者の野望だと勘違いしていた。なんと大きな間違いよ。我が事ながら呆れかえるわ。これから語るのは余の魔導の記録と、大罪への後悔である」
女帝は背を丸めて咳をする。話すのも一苦労といった調子だが、目だけは鋭い光を宿している。女帝の合図で、映像が切り替わる。
「文明はどれくらい後退するだろうか? 地球といって伝わるだろうか? 軽く説明しておくか。地球というのはいま余たちのいる星のこと。星は宇宙空間に無数にあり、無重力空間に浮かんでいる。余の時代の研究ではこの数多くある星々のなかで人間が生存可能なのは地球だけと判明している。また地球の周囲には星々が近く、とくに近いものは、太陽。太陽ならばどれほど文明が後退しても正しく伝わるだろう。昼間、空から余たちを見下ろすあの燃える星。燦々と輝き余たちを照らす、古代から信仰の対象になっている圧倒的な熱量を持つ星」
青い星の映像が流れる。
彼女が話している意味はわかる。文明は後退しても、アレクシア女帝が危惧するほど教科書の内容が変わっているわけではない。
映像はアレクシア陛下の時代らしく、高い構造物とその隙間を縫って歩く集団、数多くの人が生きている世界に変わっていた。
人間の集団。人々が着ているのはいまほど格式張っていない、身軽な衣服だ。
教科書を開き勉学に励む学生たち、数多くの書物を収蔵する図書館、色鮮やかな絵画、楽器の演奏風景、白黒の写真、それらを収める美術館や舞台。そして一面の畑。青空の下で黄金色の穂を揺らす穀物。果樹園で収穫に精をだす農夫たち。人種肌の色に関わらず子供たちが遊具で泥まみれになり遊んでいる。葡萄園の葡萄の木の下で日差しを遮りまどろむ黒猫。緑の多い山、そこで暮らす獣が川の水を飲みこちらを見る。細い川はやがて大きな河川となり、海へと注ぎ込む。海の上には、船がいくつか。北方の氷を割り進む船、タンカー、漁船、豪華客船、航空母艦。水道の蛇口をひねり、硝子の器に注がれる綺麗な水。地球のすべてを見下ろす太陽。すべての命に分け隔てなく光を与える太陽。
女帝の世界が断片的な映像で表されていた。
「余が生まれたころ、三百年前のこと。我が国の高名な学者が、太陽が地球を飲み込むという研究を発表した。各国の偉い研究者たちは焦って計算してみたがどうやらそれは千年ほど先のことになるらしい。まあ、千年後なら研究も進んでいるだろうし、いま焦ることではないのかもしれない。しかし、ここでゼプトの意志が……全人類の過半数の不安を読み取ったのだな。ゼプト粒子が地球を太陽に近づけた。我々の期待を裏切らないように。これは学者も予想していなかったことだった。大きな混乱と、ゼプトへの不安が広がり、世情は乱れた」
映像は途切れる。
代わりに、もう意味のなくなった世界地図と思わしき図面が現れる。
国名と国旗が地図の上に表示されて、かろうじてリトヴァクはわかるが、それ以外はわからない。
「ゼプトの意志、ゼプトのしくみ、思念のことも説明の必要があるだろう。時代背景から説明しよう。我が時代では魔導が生命の倫理観に触れるほど、仮想がすぐ手に取ることが可能なくらい近くなるほど、魔導研究が進んでいた。――曖昧な濁し方で悪いな、そちらがどのような状態かわからないので抽象的な表現にとどめておく。真似をされても困る――。世界は魔導の研究にのめりこんでいた。当然、戦争も時代が近代に近づくにつれ、魔導で戦うようになった。そして大戦のあるとき……、大気中にゼプト粒子というものを不可抗力で撒いてしまった国があった。ちなみに我が国ではない。我が国はそんなヘマはしない」
リトヴァクの隣国の国旗が強調された。
「ゼプト粒子というのは仮想多重世界論に基づく機械装置の一種で、その粒子は人間の目では観測できないほど小さい。それらはある種の戦争屋が根絶不可の魔導汚染細菌を作る目的で撒いたのだが彼らの思惑とは裏腹に、ゼプト粒子は人間の脳に潜り込み、思念を読み取り簡単な奇跡を起こそうとする作用があった。結果だけを説明するなら、仮想多重世界において代替可能なものがあれば人間の望みに従い現世のものと取り換えるのだ。たとえば石ころを握って、これがケーキになると願えば、次の瞬間には石がケーキに代わっているというふうな滅茶苦茶さだ。もちろんあくまで例だ。人間の願いには実現不可能なものもあったし、あまりに限定的な願いであれば作用しない。ただ多くの人間が同じ意識を持てば、ゼプトが叶えてしまうこともあった。たとえばこのように」
複数人の子供が遊んでいる映像に変わる。
一人の子供が剣にみたてた棒を振るい、周りの子供たちに指図する。周囲の子供たちは嫌々といったそぶりでそれぞれ棒を拾い上げて、中心にいる強気な子供に切りかかっていく。もちろん中心にいる子供がみんなを切り伏せ、物語は英雄譚で終わるはずだった。しかし倒れ伏した子供のひとりが不思議なくねくねとした動きで起き上がる。一人がそうして起き上がると、ほかの子供たちもくねくねとした動きで起きだし、剣を持った子供たちに襲い掛かった。剣を持っていた子供は同じくくねくねの仲間になり、剣を取り落としてほかの子供たちと同様に遊び場を去ってしまった。後には子供たちの人数分だけの剣――枝が残された。
「これは地方に伝わる、人をいじめる者は魔物にとりつかれてしまうという伝説がそのままゼプトが叶えた結果だ。子供たちはこのあと消息を絶っている。ゼプトの性質上、本当に魔物になったと考えたほうがいい」
そこでクランツの中で物事が繋がった。つまり精霊とは、ゼプトが具現化させたものなのだ。
映像はそこでアレクシア陛下に戻る。
「ゼプト粒子は魔導研究においてはブレイクスルーであり、飛躍的な技術だった。そして恐ろしいことにゼプト粒子は成長した。より人間が望むほうへ、より多くの人間が否定しない願いを叶えるほうへ。世の中の混乱が大きすぎるときはゼプト粒子は世間を騒がすことは起こさず、平穏が長すぎるとゼプト粒子がある程度、人間たちで解決できる程度で問題を起こすようになった。ゼプト粒子は人間の味方で、実体はないものの意志を感じられた。余がこの世に誕生したころにはすでにゼプト粒子の危険性と扱い方は初等教育の最初の段階で教育される課題となっていた。ゆえにゼプトの意志が、地球を太陽に近づけたことはゆゆしき問題となった。これも人類が乗り越えられる試練なのかと、多くの者が熱心に研究に励んだ」
アレクシア陛下は淡々と説明している。
「我々の取り組み方は少し違った。ゼプト粒子をこれまでの魔導研究に取り入れて延命の方法を得ようとした。余は大学を出てすぐに特務機関に入り、人間の遺伝子をいじくりまわした。ゼプト粒子を使い、伝承にあるような半神半人などを作ってみようとした。伝承にあるものはゼプトによって、再現しやすいというのは報告されていたから。そして成功した。紹介しよう。彼女はオデット・ミュー。竜人の少女」
陛下はおもむろに手を伸ばすと、そばへと誰かが近寄った。
それは十代前半に見える少女だった。丁寧に巻かれ、リボンで結わえた黒髪。使用人のエプロンドレス。日に焼けた肌。表情に欠ける少女。間違いない、若き日のオデットだ。
オデットは女帝に頭を撫でられ、鬱陶しそうな顔をした。
「彼女は人であり、竜である。生身の竜ではこの時世、銃火器で殺されるかもしれない。敵国に回収される可能性を考え、現代風に手を加えた。人間とは似て非なる生命である。見せてあげなさい」
オデットはあらかじめ段取りがしてあったのか、使用人の服に手をかけた。シャツの胸元のボタンを外すと、手を突っ込み、なにかを取り出してみせる。
目の前に引きずり出されたのは、脈打つ金属色の心臓だった。取り出す過程で半ば破壊された組織から飛び散っているのは、これまた銀色に輝く液体。作り物めいた心臓がただ脈打ち、機能していることを教えてくれる。
「この程度では死なない。竜に起源を持つから。ゼプト粒子がそう定義している」
何事もなかったかのようにオデットは胸元に心臓を戻し、押し込めた。一瞬だけ眉を寄せたが、しかしそれも元の涼しい顔に戻る。
「この成功例でコツをつかんだので、リトヴァクの皇族の血統に特殊能力を付加することにした。噂を民間に流布し、その噂が生き渡ったところで、ゼプト粒子で手を加える。みんなが知っているものはゼプト粒子が叶えやすいのだ。この試みは百年ほどかかり成功した。もともとある程度の王権神授説はあったからそれを利用した。灼熱の太陽の力。リトヴァク王室に相応しい、万能の光を血族に付与した。余が自身の体に不死を施したのもこのころだった。研究資金は潤沢だったし、余はおおむね満足だった。だが世界には終末が近くなっていた。地球は熱くなりはじめていた。水不足と、獣たちの大移動、日照り……。戦争や疫病も絶えなかった。さまざまな理由で地球の人口は減っていった」
地図が再び現れて、国名それぞれに付随する数字が減っていく。
「余は人間の遺伝子に手を加える方向で、人類を存続させようとした。どのような領域でも活動できる究極の生命に人類を至らせようと思った。そういうふうにゼプトの粒子に働きかけてみたところ、反応があった。ゼプトは余の朋であり、余はゼプトの一部だった。うまくいかないはずがないと思っていたよ。……このころは自分の力を過信していた」
女帝は激しくせき込む。傍らのオデットがその背を撫でた。
「……施術を施した人間が頑健になり日照りや極寒のなかで問題なく活動しているのを見て、余は国民全員にこれを普及させようと思った。これこそが余の三百年あまりの生涯の最大のあやまちである。普及させ、しばしして、長い日照りの次に地球は極寒になった。すると適応するためなのか施術を受けた一部の人間が飢餓を抑えられなくなった。おぞましい飢餓の衝動に突き動かされて、食物かそうでないかの区別をつけず腹に入れた。それこそ人肉でも食べる。正気ではなかった。体の頑健さと引き換えに、知性や記憶をみなすべて失っていた。狂っていた」
女帝は沈黙した。映像のなかでオデットからカップを受け取り、喉を潤してからまた話を再開した。
「彼らは魔性と呼ばれた。魔性に噛まれた者は魔性になる。吸血鬼や生ける屍の伝承を余の知らぬところでゼプト粒子が取り込んだのだ。そうとしか考えられない。もしくは施術の時点で余の知らぬところで余計な噂がたったのか、もう調べようがない」
クランツも沈黙する。世界の根幹に触れようとしているのを感じていた。
「話はこれで終わりではない。世界には魔法使いが守護する集団しか生き残らなかった。余はその後、二百年かけて、魔性に変わってしまった国民たちをもとに戻そうとした。いちばん大きな足がかりは万の脳みそを確保することに成功したことだ。正確にいうと人間らしきものを複製し作り出した。素体魔法という。魂のない体を作り出すことができたのだ。この空っぽの、人格など宿らぬ脳を魔導装置としてゼプト粒子に働きかけた。余はまず今までやってきたように、遺伝子をいじろうとしたが、あまりうまくいかなかった。変質しすぎていた。こぼした水は器には戻らない。それも道理。ならばと、ひとまず魔性に人間の知性を戻してやることにした。遺伝子をいじくるのを諦めてゼプト粒子で豪快に塗りつぶす解決を選んだ。人間を律するのは、知性や理性だというので、それが戻れば元の文明に近いものへとなるのではないかと淡い希望を抱いた。この最強生物の姿へと変わった人類が生態系の頂点に立つのも悪くないと思った。実際にやってみると、魔性に人間の精神を戻しても、姿かたちの変容を受け入れがたく拒否反応を示した」
女帝の目は過去を思い出していた。
「これもまたゼプト粒子で塗りつぶすしかなかった。人間としての自覚があるかぎり、自分が人間の姿をしているという錯覚を持ち、人間として死ぬ、そういうふうにゼプト粒子で定義づけした。いまこの映像を見ているあなたはその試みで成功した例の子孫である」
口元を抑えた。クランツの姿はどこからどう見ても、手足はしっかり人間のそれだった。
「余と、あなたの姿が似ているのは、ただそう見えるだけなのだ。あなたは魔性、それがゼプト粒子へ働きかけた結果、知性や理性を取り戻し人間としての見せかけを得て、続いていくことになったのだ」
「嘘だ」
口を挟んでしまっていた。こんなのは詐欺師の手口といっしょだ。世界の滅亡を唱え布施を要求し、布施をしておいたから、世界は滅亡しなかったとまことしやかに囁く詐欺師たちの常套手段。
映像はもちろん返事をしない。説明を続ける。
「ゼプト粒子が働きかけているおかげで、自身を余と同じ人間の形をしているという錯覚を永遠に持てる。その錯覚は人肉を自ら好んで食べたり魔性に噛まれ感染の条件を満たしたりしなければ容易に解けない。この冬の地を魔導で整え人類が最後を迎える理想郷に選んだのは、外界が灼熱だからだ。地下にこもる選択肢もあったが、狭苦しいのは好きではない。それに地球が太陽に飲まれ死ぬのであれば、未曾有の灼熱を感じ死にたいではないか」
アレクシア女帝は少しだけ微笑む。
「本性が魔であるあなたたちはゼプト粒子をうまく操作することは難しいだろう。もうこれ以上の大きな事象の改変や遺伝子編集を行うのは、おそらくできないはずだ。時間もない。この映像は魔法や魔導を統括する長、時の支配者、また真実を望み果敢に立ち向かう者に見せよと申し付けた。真実を知ったものがどうするかは任せるが、大勢の前に開示するのであれば少なくはない人間が魔の性を思い出して還ることを覚悟せよ。最期に繰り返すが……余はこの大罪を贖うために、あの地の底を貫いて果てぬ穴ぐらに、着のみ着のまま放り出される手筈だ。余は死なぬ。老化の遺伝子を止めたうえで、ゼプト粒子にそう願ったから。地球が終わるまで、永遠にさまよう亡霊となり果てるだろう。あとのことは眠る万の脳と、余の姿を模して作った人形と、オデットに頼んである……。これからの地球に残った人類が短い時間でも幸福で生きられるよう願っている」
女帝は穏やかな顔をしていた。
映像は途切れた。
言葉が思いつかなかった。
クランツは硬い石の床に座り込んだ。
「こんなものがシルヴィア殿下の求めていた秘密だと考えたくない。こんなものを手にしたところで、有益な情報なんて終末が近いということくらいしかない」
「そうかもしれないねぇ」
オデットは否定しなかった。
「オデット、ここは冬の城か? そしてこれが真実なのか?」
「そうよぅ。これが、この世界の秘密ぅ」
肩が震えた。震えるしかない。
「それでどうするのぉ、クランツ? お前の両親について話してあげようかぁ?」
「やめろ、いまさらそんな話は聞きたくない。両親なんて必要ない。出生の秘密なんてどうでもいい。半端な覚悟で殿下のために人殺しをしてきたわけじゃない。俺は俺だ」
「望んでも望まなくても、両親からの祝福は与えられているのよぉ。遺伝子という祝福。あんたが精霊に愛される理由。ゼプトがあんたにかすかに反応する理由が」
「もう二度とその話をするな」
「魔性に罹患したから、あんたの体はこの世界の基準ではふつうになっちゃったけどね。それでもゼプトがギリギリまで人間の体を保とうとしていた……。もうこれ以上言わなくても通じるでしょ。じゃあ、次、どうするぅ?」
「…………」
答えたくない。無言で項垂れるクランツに、オデットは近づいて隣に座った。
「オデット。なぜ殿下に教えてさしあげなかった? なんで殿下を拒んだ?」
「あのお姫ちゃまはきっと耐えることができないと思ったのよぉ。この世界は終末を待つだけの、ゆりかごか墓場かわからない場所だなんて知って楽しい気分になるぅ? あのお姫ちゃまは冬を解放すれば季節がやってくると思っているでしょぉ。もしくは外と行き来できると期待しているでしょぉ? リトヴァクの王権が本筋ではなく、女帝のころには傍系だったリェフに移ってから、リェフはこの秘密を否定的に捉えていてねぇ、跡継ぎにすら教えないことも度々あったのぉ。今代の皇帝はめずらしく秘密の真実を知っているけれどぉ、やはり跡継ぎには教えたがらないしぃ、あたしが勝手に教えるのもねぇ」
シルヴィアの声が脳内で蘇る。「夏がはやく来るといいわね」。夢を語るシルヴィアは恋する乙女のように可憐だった。――彼女の望みは永遠に叶わない。憧れは憧れのまま。この世界は棺桶で、どこにも行くことはできずに終わる。
目頭が熱くなる。
「……オデットは殿下がこの秘密を知ったらなにをすると思う?」
「大量殺戮」
「それは言い過ぎだ」
「けど、皇族は自分を残して全員殺すかもしれないでしょぉ。お姫ちゃまは肉親を心の底から恨んでいるのよぉ。今までお姫ちゃまは抑圧されてきた。その抑圧が、肉親からだけではなくて、この世界すべてから与えられるものだと感じたらぁブチッといくかもぉ」
「ある意味、世間知らずな方だからあり得るかもしれない。でも、教えないわけにはいかないだろ」
クランツは立ち上がった。
オデットもやや怠そうに立ち上がる。
「殿下をどうやって丸め込むの? あんたは殿下の臣下なのに命令に逆らうのぉ?」
「殿下には幸せになっていただく。殿下がなにを幸せとするかは殿下ご自身が決めることだが、血と死に塗れた人生を送ることは絶対に幸せではない。それになぜそんなこと、俺に秘密を教えた張本人のオデットが訊くんだ? 俺になにをさせたい? 穴にいるというアレクシア女帝を引っ張って地上に連れてくることか?」
「不敬だよぉ」
「不敬もなにも。とんでもない悲劇を作った犯人じゃないか、アレクシア女帝は。このぶんだとエリシュカのこともオデットは知っていたな? 女帝が人形って言っていたのはエリシュカのことじゃないのか?」
空気が変わる。
オデットの全身から迸る殺気。こちらを睨む視線にも敵意が漲っているのを感じる。けれど、オデットはまだ自制心があった。
「シルヴィア殿下より、あの女のほうが好きなのぉ? あたしは女帝陛下の顔をしているくせに、女帝陛下の記憶を失った者など好かないんだけどぉ。女帝陛下の臣下たりえないじゃなぁい?」
「……ああ、そう。そういう理由。察するに、オデットは俺のことを自分と似ていると思っているのか。だから俺に肩入れするんだな。同じリトヴァク、その継承者に跪く者としての共感ね」
「……なにがいいたいのぉ」
「お前は忠言もできねえ無能な臣下だったなっていうことだけだよ」
オデットの目の中でなにかが弾けたのがわかった。
瞬間、オデットは足を金属の突き出た塊に変形させ、その足でクランツを蹴った。吹っ飛ばされて、地面に無様に転がる。再生したばかりだというのにクランツは鋭い鉄線に刺し貫かれ、床に血が点々と落ちる。起き上がる気力がわかない。抵抗する力もわかない。オデットがその気であれば嬲り殺される。
両親の墓がここにあるから、その子であるクランツに肩入れしているのかと予想したが違うらしい。
「なんでちょっと笑っているのよぉ?」
「全部、気に喰わなくて。殿下の綺麗なお願いごとが叶わないことも、俺が屈辱を受けたことも、エリシュカさんの苦悩も、オデットの人生も。全部。どうにもならないことが気に喰わない。俺が生きてきた意味はあるのか? 親からも捨てられて。うまくやろうって、必死に殿下に尽くして。で、いまさら、俺が特別とか? は? って感じ」
声をあげて笑い始めたクランツに、オデットは憐れみの視線を送った。
「俺が特別なら、最初から特別扱いしろよ。ゴミが。カスが。俺のことを憐れむな。俺は幸せだ。あの悪役面した性悪女のために命を懸けている。そのことに満足している。誰にも否定させない」
「否定などするわけないでしょぉ。ただあんた怪我しすぎで、おつむ、とうとうダメになっちゃったのかしらって思っただけよぉ」
オデットが合図し、ふたたび灯りがつく。墓石の背後は一段下になっており、均等に水槽が並んでいる。水槽の中身は灰色がかった薄い色の臓器が浮いている。アレクシア女帝がゼプト粒子を操るために人工的に作った脳たち。
クランツは笑いながらそれらを指さした。
「気持ち悪い」
「……そうねぇ」
「そうまでして人間を生かしてどうする? 殺人は悪だ。虐殺も悪だ。でも滅亡は仕方ないだろ。死という終わりが見えるからこそ人は善く生きようとするって哲学は言うし、死は悪いものじゃない。良いものでもないけど」
「わたしにはわからないよぉ。人間ではない生き物だからぁ」
「いいや、わかるはずだ。オデットなら。俺の言わんとしていることは理解できるはずだ。女帝の罪がなんなのか知っているはずだ」
クランツは立ち上がった。汚れた顔を袖でぬぐう。
「あんた、大丈夫?」
「大丈夫だ。ありがとう。オデット。……まずはエリシュカを探しに行こう」
「シルヴィア殿下はいいのぉ?」
「もちろん、殿下の蛮行を止めてさしあげる。殿下に一人で道を歩ませはしない。ただ無策でいくわけにはいかないだろ。やはりエリシュカさんが必要だ。それと魔法局の暗殺者を手引きしたやつも早めに処理する」
ほの暗い熱が疼く。思いだすのはあの凍った湖でのこと。クランツが意図せずして過去に命を救った男がいる。そいつを使うときがきた。
「あんた、エリシュカを利用する気ぃ? あの女、腑抜けよぉ」
「腑抜けかどうかは実際に使えるか試してみてから決める。ただ人には相応しい場所というものが必ずあるだろ。エリシュカさんは彼女の真価を発揮する位置にいるべきだ。研究者たちの慰みものになっているのは彼女の役割じゃない。力を貸してくれ、オデット。俺はシルヴィア殿下を必ず救う。それはお前が女帝にしてさしあげたかったことでもあるだろう。俺は諦めない」
「……はぁい」
オデットの肌が溶ける。金属的な光沢が輝いたかと思うと、出てきたのは金属の重なり。瞬く間に細い金属たちの重なりは展開されて、翼となり、肢となり、幻想の中の竜となる。小さな竜は喉の奥から金属音で叫び声をあげて、クランツの首根っこを掴んだ。そのまま羽ばたく。
外へと出たクランツは今まで自分がいた場所を知る。
「あれが……湖にみえるけどあそこに女帝が?」
冬の城――その、城は透明度の高い湖を囲むように建っていた。巨大な湖は、表面が透明な氷で覆われている。魔法で実際にあるかのように見えるだけで実際は空洞だった。アレクシア女帝がいうところの「穴ぐら」の途中に造られた人の目から隠された洞窟からクランツたちは出てきたのだ。オデットが案内しないかぎり行けない霊廟。秘匿された秘密。
途方もない気分になり、クランツは白い息を吐きだした。
「あれを女帝は異世界への扉と呼んでいた。この穴が世界中に出来てから、世界は魔法を知覚した。オド、魔素、ゼプト粒子……そういうものが濃いのよぉ。この穴自体、なぜかはわからないけど生命は忌避感を持つ。人間はよほどのことがない限り降りはしないわぁ」
「……なんでオデットの話が耳のそばで聞こえるんだ」
「あたしのこのセンサーは人間の思考を読むためではなく、あたしの思考を多くの生命体に共有するためにあるのぉ」
凄まじい風に凍り付きそうになりながら、魔法局へと運ばれた。凍てついた風の中でも凍傷のたぐいにはならなかった。魔法が働いている。
魔法局に降り立つと、調査隊に加わらずに残っていた魔法使いたちが遠巻きに警戒している。群衆の中からアルタイル・アルタウロスだけが駆け寄ってきてクランツを抱きしめた。
「竜に乗って戻ってくるとは思わなかった! これはギルモアを燃やした竜だね! 名は……ふむ、オデットというのか。つまりギルモアの遺物といま呼ばれていた彼女は、本当はギルモアの来賓であり、最後の破壊者でもあったのか」
「あ……、ああ、そうだよ」
やや面喰うクランツを気にしたふうもなく、アルタイルは快活に笑った。
「真実を知ったのだね。竜が明かしたのだね。僕は父から聞いたのではなくて精霊・火の鳥から教えられて知っている。さてこれからどうするんだい? 君の口で教えてくれ」
クランツは息を吸う、大きく吐き出す。声に出さずとも思考は読まれている。それでも声に出したほうがより強く宣言できる。
「エリシュカを探して城に連れていく。シルヴィア殿下をお助けするつもりだ。止めるか?」
「いや、力になろう。処罰を受けるとしても、皇族の命に関わることならば考慮を願う弁明ができる」
アルタイルの後ろで何事か聞き耳を立てようとしている群衆を一瞥し、彼はクランツの手をひいた。
「僕の研究室に行こう」
「あたしはエリシュカを探してくるよぉ」
金属音を響かせて、オデットが翼をはためかせた。暴風の中、灰色の空へ舞い上がる体を見つめた。
「心配しないでぇ。いまはあたしの声はお前にしか聞こえない。かならず見つけてくるよぉ」
竜の姿が遠くなっていく。太陽の光を受けて銀翼は煌めいた。




