11掃除
始業式の後、唯はいつものように地学室へ向かっていた。帰宅する生徒たちとすれ違いながら、もしかしたら今日は二人とも来ないかもしれないな、と考えていた。
だが、唯の予想に反して、地学室は開いていた。
「あら、唯」
「よお」
窓際にたたずむ二人の友達の姿を認めて、春風が唯の心の中を吹き抜けた。
「真木ちゃん、塔野ちゃん。二人とも帰らないの?」
「なんとなく、ね」
真木が唯に笑いかける。
「地学室に通うようになって、こんなにここに来なかったのって初めてだからな」
塔野が地学室内を見まわして、感慨深そうにそう言った。
「そっか。夏休みの後からここに通いだしたもんね」
唯は軽く頷いた。
「そうだわ。せっかく三人揃ったことだし、今日はこの教室の大掃除をしましょう。ほこりがたまっているもの」
真木が唐突にそう言い放った。
「それはいい考えだね」
「いつもは真木にばかり掃除させてしまっているからな。俺たちだって掃除しないとな」
「そうと決まれば、塔野、バケツに水を汲んできて」
「はいはい。……まったく、人使いが荒いなあ」
そう言いながらも、塔野は笑ってバケツを手に取る。
「この中で塔野が一番力あるんだから、適材適所だと思ったのだけど」
澄まして真木が言うと、塔野はそうだな、と言ってちょっと困ったように笑った。真木ちゃん、子どもみたいでちょっとかわいいな、と唯は思ったが、口に出して言うことははばかられた。拗ねてしまいかねない。そんな姿もちょっと見たい気はしたが、我慢した。
「わたしは床を掃いていようかな」
「そうね。じゃあ、唯は黒板側からお願い。私は後ろから掃くから」
二人で黙って床掃除をする。
唯は、学校での掃除の時間があまり好きではない。真面目に掃除する人はあまりいないし、どうしたって仲の良い者同士のお喋りの時間になってしまう。唯は居心地が悪くて、独りで掃除に熱中する。そうすると、ますます他の人の掃除をする必要性が無くなってしまうのだ。それが歯がゆくて、でもどうしようもない。そんな葛藤に駆られてしまうのだ。
だが、同じ学校での掃除でも、こうして真木と二人で掃除をしているのは悪くないと思える。二人とも真面目に掃除をする。強制されて無理やりするのではなく、自分たちで必要だと思ってしているのだから、当然と言えば当然だ。それが、普通の掃除の仕方なのだろう。だが、学校と言う場所では、掃除は時間と担当が決められていて、強制されてするものだ。それが、本来の掃除の仕方と離れていて、歪みが出てきているのだろう。自分たちは毎日学校に通っているから、何とも思わないが、学校というのは、もしかしたらとんでもなく歪なところなのかもしれない。そんな考えが浮かんだ。
「ほら、水を汲んで来たぞ」
塔野が入ってきて、水の入ったバケツを床に置く。
「ありがとう。じゃあ、塔野は床を拭いてもらえるかしら」
「分かった。……これ、机を下げた方が良かったんじゃないか?」
「そんなにきっちり掃除するつもりじゃなかったから、下げなかったのだけど、下げた方が良かったかしら」
「とりあえず、床を掃き終わったら下げる?」
「そうね、そうしましょう」
「じゃあ、俺はそれまで棚を拭いてるな。こっちにも結構ほこりがたまっているみたいだ」
てきぱきと各自が判断をして掃除をする。その様は見ていて小気味よかった。自分たちの使っている教室を三人で掃除するという、それだけの小さな、小さな自主性。本当に些細なことだけども、普段教師の言うとおりに動くばかりの唯としてはそんな小さな自主性でも嬉しかった。
きっと、真木は違うのだろうな。ちらり、と下を向いて掃き掃除に集中している真木を盗み見る。
地学室を手に入れたのだって、教師に言われたからじゃなくて、自分で考えて鍵を借りたんだ。そのことが、唯には途方もないことのように思えた。
ちりとりで集めたごみを地学室のゴミ箱に捨ててしまってから、唯はここに捨てても大丈夫だっただろうか、と焦った。
「ああ、そこに捨ててしまって大丈夫よ。いつも私が帰りがけに他の教室のゴミ箱に移しているから」
「もうすっかりこの教室を使いこなしているな」
塔野が半ば呆れたようにそう言った。
「そう? 教室を使うならこれくらいはするでしょう」
何でもないことのようにさらりと真木が言う。その背筋はぴんと伸びていて、唯にはまぶしかった。
どうして今日はこんなに自主性のことが気になるのだろう、と唯は自問して、すぐに解答に辿り着いた。ホームルームの後で配られた、進路調査の紙が原因だ。自分は自主性がないからなかなか進路を決められない、と思っていたのだ。
真木はもう決めているのだろうか。きっと決めているのだろう。自分で自分の生き方を選べる人なのだから。教室で、一人で過ごしているのだって、自分で選んでそうしているのだ。独りになってしまったわたしとは違う。唯はそう思ったから、真木に気軽に聞いてしまった。
「真木ちゃんって、進路はどうするの? 今日、進路調査の紙が配られたけど」
唯の質問を聞いて、真木はぴたり、と動きを止めた。
「そう言う唯はどうなの?」
冷たい声で真木が問う。
「わたしは、四年制大学に進学というところまでは決まっているよ。……て、この学校に通っている人のほとんどがそうだよね。それ以上は文系ってことしかまだ決まっていないよ」
真木は唯の話を身動きせずに聞いていた。しばらく沈黙の時間が続いた後、真木が口を開いた。
「私も同じよ」
唯は目を見張った。数秒、黙って真木を見つめる。
「そっか。真木ちゃんもそうなんだ。真木ちゃんって、優柔不断なわたしと違って、何事も自分の意思ですぱっと決めちゃいそうだけどね」
唯が笑って言うと、真木は意外そうな顔をした。
「唯が優柔不断? 私はあまりそう思ったことはないわ。唯は何事も、自分の気持ちですぱっと決めている印象があるわ」
真木の言葉を聞いて、唯はふたたび驚いた。唯が真木に抱いているのと似たような印象を真木は唯に対して抱いていたのだ。
しばらく二人は見つめ合っていた。そして、どちらともなく笑いだした。
「大丈夫だ。二人とも芯がしっかりしているから、きっと自分で進路を決められる。一番心配なのは、本当に優柔不断な俺だな」
「ああ、それに異論はないわ」
「真木!」
塔野が叫んだが、顔は笑っていた。
真木たちが一時間ほど時間をかけて掃除をした結果、地学室はすっかり綺麗になった。その頃にはとっくにお昼の時間を過ぎていて、唯のお腹が鳴ってしまった。
「うう……」
恥ずかしそうに俯く唯。
「まあ、そろそろ腹の減る時間だよな」
「そろそろ帰ろうかしら」
「運動部のやつらがうろついているだろうから、今日もばらばらに帰ったほうがいいだろうな」
「じゃあ、お腹のすいている唯が最初に帰るべきね」
真木がそう言って唯の方を見ると、唯はますます恥ずかしそうにした。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
「またな、唯」
「気を付けて」
唯が扉を閉める。唯の靴音が遠ざかるまで、二人は扉を見つめて黙っていた。
「ああ、久しぶりに会うとしんどいな」
塔野がため息を吐く。
「そうだったの? まったくいつも通りに見えたわよ」
「それなら良かった。最初に唯を見た時、心臓が止まるかと思ったよ。あまりまともに目を合わせられなかったな。正直、バケツに水を汲んできてくれって言われたのはありがたかった。そこで、少し心を落ちつけられたからな」
塔野が窓の方へ向き直る。
「俺は、いつまでこんなことしているんだろう。こんな恋心、いっそ捨ててしまえれば楽になるのに」
塔野の切実な思いに、真木は何も言えなかった。
「俺もお前のようになりたいよ、真木」
塔野の次なる言葉があまりにも予想外だったので、真木は目を見開いて塔野を見つめた。
「私のように……?」
「ああ。真木、お前はいつも正直だ。飾らない。偽らない。まっすぐなんだ。それが、羨ましい。俺には、まぶしい」
塔野は外を見つめたまま言葉を連ねる。
「俺とは正反対だな。憧れた。だから、この教室では、俺は本音を話せるのかもしれない。今だって」
太陽が塔野を照らす。真木には、塔野の方がまぶしく感じた。
「私は、私は……」
真木は珍しく言い淀んだ。何を言おうとしているのか、自分でもよく分からない。
「私は、ただわがままなだけよ」
口から勝手に出た言葉だったが、真木は存外事実を言い当てていると思った。
「はは、そうかもしれないな」
塔野が笑う。失礼ね、と言おうとしたけれど、塔野の笑顔がまぶしすぎて、真木は何も言えなかった。
塔野は、自分にないものをたくさん持っている。それは、以前から思っていたこと。その思いが、ますます強くなった。




