第5話「動くな」
翔太は席に座ったまま、
ポケットからスマホを取り出した。
その画面を見た瞬間、
わずかに表情が固まる。
俺は思わず一歩踏み出しかけて、
そこで止まった。
何て来たのか聞きたかった。
でも――
「おい、大丈夫だったか?」
前の方から、先生の声が飛んできた。
はっとして顔を上げる。
蛍光灯が落ちた場所、
ちょうど俺の席のあたりを見ながら、
先生がこっちに歩いてくる。
「怪我とかしてないか」
「あ、はい……大丈夫です」
自分でも驚くくらい、
普通の声が出た。
「ならいいけどな。びっくりしただろ」
軽くそう言って、
先生は床を一度見回す。
「一応、破片は片付けたけど、
踏まないように気をつけろよ」
「はい」
短く返事をする。
それだけのやり取りなのに、
頭の中では別のことばかり考えていた。
――翔太は、何て来た。
さっきからそれしか考えられない。
「よし、じゃあ授業始めるぞ」
先生が前に戻る。
教室が、いつもの空気に戻っていく。
椅子を引く音。
教科書を開く音。
誰かの小さな咳。
全部がやけに遠く感じた。
チョークの擦れる音だけが、
妙に大きく聞こえる。
その時、
机の中でスマホが小さく震えた。
心臓が跳ねる。
周りに気づかれないように、
そっと取り出す。
画面に表示されていたのは――
『ここから動くな』
息が止まる。
その瞬間、
前の席の翔太の肩が、わずかに揺れた。
同じタイミングだった。
翔太も、通知を見ている。
画面を見たまま、
一瞬だけ動きが止まる。
――迷ってる。
そう思った。
でも次の瞬間、
翔太は小さく息を吐いて、顔を上げた。
何かを決めたみたいに。
そしてゆっくりと手を挙げる。
「すいません、トイレ行ってきていいですか」
何もなかったみたいな声だった。
「早くしろよ」
先生が軽く返す。
翔太は立ち上がった。
俺のスマホには、
『ここから動くな』と表示されたまま。
なのに翔太は、
そのまま教室のドアへ向かって歩いていく。
一度も振り返らずに。
ドアが閉まる音が、
やけに大きく響いた。
チョークの音が、また続く。
何も変わらないはずの授業。
でも、
何かが確実にズレていた。
気づけば、
体が少し前に傾いていた。
立てば、追いつける距離だった。
でも――
足が動かない。
『ここから動くな』
もう一度、画面を見る。
その一文だけが、
頭の中に残っていた。
立ち上がれば、
まだ間に合うかもしれない。
それでも。
動けなかった。




