第34話 3人目の獲物⑪
問題を1ページ目から解く。
颯と山口の学力からすると、平均で95点前後をとってくるだろう。各科目で許される間違いは、小問1つといったところか。
さて……。
テストは、英語、国語、数学と順調に進んだ。
(失点はなさそうだ)
だが、理科まで進んだところで異変に気付いた。ペンを持つ手に力が入らない。思考も何度もループするようになっている。
……意識が混濁してきているようだ。
(思ったよりも出血しているのかも知れない)
辛うじて左手を動かすと、曲げている肘に液体が触れる感覚があった。血溜まりができているようだ。
ジャケットから滲み出ていないのは不幸中の幸いだが、腕を下ろしたら一気にボタボタと床に落ちそうだ。
珠凛の方を見ると、こちらをチラチラと見ている。
(心配かけてゴメン。でも、理科も後少し……)
理科(物理)は最後の一問を残すのみだ。
時計を見るとまだ30分以上あった。最後の科目は社会(日本史)で、知識問題ばかりのはずだ。
(ケアレスミスにさえ気をつければ、なんとかなりそうだ。良かった)
設問を読む。
すると、珠凛と何度も練習した問題だった。
(うん。問題ない)
電気容量を求めるには…… C = ε0S/d……。これを当てはめて……。
ん……。
身体が重い……。
…………。
珠凛の笑い声が聞こえる。
「蒼空クン。ウチの愛の容量の公式は分かる?」
「しらんよ(笑)」
「無限大!!だから、どんな物理法則も及ばないの」
「なにそれ。ブラックホールみたいだな」
「ブラック……ひどーい。ハートはピンク色だし!!」
ああ。
俺は今、夢を見ているのか。
珠凛は、電気容量の公式覚えてたかな。
無限大とか言ってふざけてたし。
ちゃんと解けてるといいのだけれど。
「蒼空クン!! 蒼空クン!!」
目を開けると、俺はベッドに横になっていた。白い天井が見える。
(保健室? なら、今からでも試験の続きを……。残り時間は?)
時計を探して、視線を落とす。
すると、ピピピピと音を鳴らしている心電図のような機器が見えた。ベッドの横では、珠凛が俺の手を握って泣いていて、右腕には点滴の針が刺さっていた。
点滴筒にはポタポタと、液体が落ちている。
(あぁ、ここは病院か。俺は入院したのか?)
珠凛に声をかけないと。
「し、し……」
声が出ない。
仕方なく、珠凛の手を握り返した。
「蒼空クン。目覚めて良かった。死んじゃうかと思ったよぉぉ」
珠凛は大泣きだ。
俺はどうなったんだ?
テストは最後まで受けられたのか?
珠凛がヒックヒックしながら、話しかけてくる。
「蒼空クン。日本史の途中で、眠りだしちゃって。ウチ、先生に蒼空クンの試験をやめてもらうように言ったの。応援するって言ったのに、邪魔してごめん……」
「い、や……。いい」
「先生が、蒼空クンの顔を見てマズイって救急車呼んで。でも、蒼空クンの顔がどんどん青紫になっちゃって。ウチ、蒼空クンが死んじゃうって思ったら、蒼空クンのお姉さんが教室に入ってきて、処置してくれて。蒼空クンのお姉さん、お医者さんなんだね」
咲姉、来てくれたのか。
そういえば、珠凛には、咲姉が医師免許をもっていることを話してなかったっけ。
「んでね。身体にペタペタ貼って、機械が「電気ショックを行います」って。その後は、お姉さんが胸をグッグッって押して……ウチ怖かった」
AED……。
あぁ。俺は死にかけたのか。
「それで、珠凛、は……試験……全部でき、た?」
「うん。試験は一旦中断したけど、しばらくしたら再開して。ウチ、試験なんてどうでもよくなって一緒に病院いこうと思ったら、お姉さんに「貴女が来ても無意味だから、試験を最後まで受けなさい」って叱られて。ウチ、最後まで受けたよ」
よかった。咲姉ナイスだ。
ってことは、ここは……。
「よぉ。蒼空。三途の川は見えたか?」
白衣を着た樹兄が部屋に入ってきた。
ここは、樹兄の病院か。
「ま、咲の処置が早かったから、後遺症はないだろ。つか、傷に片栗粉みたいなの貼り付いてて、すごく処置しづらかったんだが。ブタに、あんな嫌がらせみたいな止血方法を入れ知恵したアホは、咲か?」
樹兄は片栗粉を思い出してイラッとしたらしく、不機嫌になった。
「いや、違う」
声が出るようになったぞ。
ここは、命の恩人の咲姉を庇わねば。
「ほぉ。まあ、いいが。滑舌も大丈夫そうだな。とりあえず傷は縫合はした。でも、お前はしばらく入院だ」
「わかった」
樹兄は、クレンメで点滴のスピードを調整しながら、言った。
「あぁ。そういえば、片栗粉取りきれてないから、当面は、除去処置な。毎回、激痛だと思うが。まぁ、がんばれ」
「あの。麻酔とかは……」
「は? 自分で片栗粉を塗りたくったブタにつかう麻酔なんてあるわけねーだろ」
「ちなみに、どうやって除去するの?」
「固着してとれないからな。肉ごと削ぎ落とすんだよ。いやぁ。間違って、切りすぎちゃうかもなぁ」
ひぃ……。
想像しただけで、失禁しそうだ。
樹兄は、珠凛の前に行くと頭を下げた。
「村瀬(珠凛)さん。蒼空のことを心配してくれてありがとう。これから……、うん。君がいてくれて良かった。弟を宜しくな」
え。普通に紳士なんだが。
なにこの対応の違い。
樹兄が退出すると、珠凛が言った。
「お兄さん、イケメンだしめっちゃ優しいね。お姉さんも、美人で頼もしかったし。ウチ、小さい時はお兄さんがいて、今はもう何も覚えてないんだけど……、もし、あんなお兄さんだったらいいなあって思っちゃった」
俺はまた視線を天井に戻した。
俺は……山口との勝負に負けたのか。
あんなに準備したのに、全部意味がなかった。
虚しくて、胸の中に穴が空いたようだ。
やっぱり、悔しい。
悔しいよ。
「蒼空クン? 泣いてるの?」
珠凛が心配そうに声をかけてくる。
俺は涙を拭こうとしたが、両手は固定されて動かせなかった。
「ごめん。両手が使えないから、拭き取ってもらえないか?」
すると珠凛はキョロキョロした。
「いま、ウチ、ハンカチないから……」
珠凛は身を乗り出すと、俺の頬を伝う涙を舐めた。
「汚いよ」
すると、珠凛はペロッと自分の唇の周りを舐めた。
「悔しい涙の味がする。蒼空クンは、頑張ったよ? ウチ見てたし。それと、ウチの愛は無限大だから、汚くないし!!」
そういうと、今度は目尻の涙を舐め始めた。
なんだかこそばゆい。
血色の良い珠凛の舌が、視界を覆った。
……たしかに。
珠凛の無限大は、血色の良いピンク色だわ。




