第33話 3人目の獲物⑩
車の中で、珠凛はずっと俺から離れなかった。
少しでも身体が離れると、不安そうな顔になる。
珠凛の家の事情を聞こうと思ったが、動揺させてしまうかも知れない。今は辞めておこう。
すると、珠凛が言った。
「蒼空クン。ウチ、ほんとはこのまま病院に行って欲しいです。すごくすごく心配。蒼空クンがいなくなったら、ウチどうしていいか分からないよ……」
「勝手に殺すなよ(笑)」
「だって……」
珠凛は口を尖らせた。
でも、外から見たら、俺はそれほど酷い状況ということか。
珠凛はすごく心配そうにしている。「心配」という用語の用例に採用したいくらいだ。
思えば、異性にこんなに好意をもってもらったことって、生まれて初めてかも知れない。あんな始まり方だったのに、不思議なものだ。
心配してくれるのは有り難い。
だが……。
「ごめん、ここで負けを認めることはできない。珠凛が拐われて、ますますアイツらを許せなくなった。全裸で土下座もごめんだし、俺がテストを休んだら、颯の思惑通りになってしまう。それはイヤだ」
「うん……わかった。頑張って。ウチ、応援する!!」
「俺のことより、たしか、珠凛は奨学金使ってたよな?」
珠凛は奨学金を使っている。
一部給付だが、それでも結構な金額だ。
今後、俺のところに来るとなると、奨学金がないときつい。
「うん」
「だったら、今回の試験も頑張らないとな」
「え、でも。試験時間も半分しかないよ?」
「こんな時にお金の話で申し訳ないんだけど……、俺のためにも、上位の奨学金を目指してくれると助かる」
(ほんと、こんな時にする話じゃないな)
するとなぜか、珠凛は笑顔になった。
「ううん。ウチとのこと、ちゃんと考えてくれてて嬉しい。ウチ、がんばるよっ!!」
珠凛は小さな手で拳を握った。
(やる気が出たようで何より)
「俺の方は……、やれるだけのことはやるよ」
半分の時間でも問題を解き終えることはできると思うが、それで颯や山口に勝てる自信はない。
でも、陽葵はあんな目に遭わされたのだ。アイツらに負けることは許されない。
学校につくと、そのまま教室に向かった。引き戸をあけると、クラスメイトの視線が一斉に俺らに集まった。
担任はチラッと壁掛け時計を見て、珠凛に着席を促した。一方、俺については、袖のあたりをジッと見ると、顎に手を当てて迷う素ぶりを見せた。
受験の可否は、担任の判断次第だ。
(血は拭き取ったが、袖には流血の跡がある。……厳しいか?)
すると、珠凛が声をあげた。
「月見里くん。途中で人助けをして、その時に相手の血が付いちゃったんです」
担任は珠凛の話をきくと、俺にも着席をするように指示した。
「そうか。じゃあ、とりあえず月見里も着席しなさい。詳しい事情は試験後に報告するように」
よかった。
受けることはできるらしい。
これが小テストだったら、ここで終わりだっただろう。しかし、これは定期試験だ。今後の人生に影響する重要事項を、たかがテストと切り捨てることはできないという判断だろう。
「っと……!!」
席に向かう途中で、俺は何かに足を引っ掛けてバランスを崩した。咄嗟に手をついたので転倒はしなかったが……振り返ると、颯が通路に足を出していた。
颯は目が合うとニヤけた。
「蒼空。足を引きずってるぜ? 大変そうだな。何かあったのか?」
「は? お前のせ……」
俺が言い終わる前に、颯が声を荒げた。
「先生。月見里クンがボクの机に手をついて妨害してくるんですが……?」
先生が反応した。
「ほら。月見里。早く席に着きなさい」
(このクソガキ……)
着席するとテストが配布され、俺はすぐに冊子を開いた。
残り時間は150分。
1科目30分で5科目。
この残り時間で複数回まわすのは、さすがに無理がある。元々考えていた攻略プランは、難問以外を一気に終わらせてから解き直すというものだったが、変更が必要だ。
見直しの時間も入れると、できれば、1科目あたり25分で解きたい。そしてもっとも避けるべきは、取れる問題を落とすこと、つまり、ケアレスミスだ。だとすれば、まず最初に解くべき科目は……。
数学。
数学のような数的処理が必要になる問題は、疲労の影響を受けやすい。また焦りによる途中式の省略や、記号の書き間違いも起こしやすい。そのため、数学や理科は終盤に持ってくるとケアレスミスをしやすいと言われている。
それに対して、論理的思考が必要になるものの、言語系の科目は比較的にミスをしにくい。そして、知識問題を時間切れで取り逃がすのは避けたい。
櫻狼での試験科目の並び順は、英語、国語、数学、理科、社会だ。この順で1冊の冊子に纏まっている。
この順番では、国語の解けない問題に湯水のように時間を使い、社会で時間切れなんてことになりかねない。
つまり。
数学→社会→理科→英語→国語
これが今回のベストな攻略順序だろう。数学は問題の3番目。この冊子の中ほどにある。
(珠凛は対応できてるかな)
珠凛を見ると、冊子を中ほどで折り返していた。
(数学から解くみたいだ。大丈夫そうだ)
俺も自分の事に集中しよう。
俺も数学の問題で冊子を折り返そうとすると、左手に力が入らないことに気づいた。
(颯に足をひっかけられた時か)
どうやら、手をついた衝撃で傷口が開いてしまったらしい。出血量が増えているのかも知れない。
今はナプキンが吸収してくれているようだが、左手を心臓より下げたら、いつ血が吹き出してもおかしくない状況だ。
これでは左手を使うのはマズい。
左手無しでは頻繁なページの行き来は無理だ。
ペース配分がしづらいが、仕方ない。
俺は冊子の最初から出題順に解くことにした。




