1話 捕食進化
朝の冷気が残る王都の地下研究室で、私は研究台に横たわる死体を見下ろした。
「エレア様、やはり取り込める能力は、魔物一種類分が上限のようです」
背後に立つ助手が、怯えたような声で報告書を読み上げた。
台に横たわるのは、片腕ほどの長さの捻じれた角を持つサメの魔物、シャマイラだった。我が国ミゼルディアが極秘に進める魔物兵器の研究のために、ここへ運ばれてきた一体だ。食べた生き物の能力を取り込む捕食進化を持つと報告されているが、見たところ、角以外に目立った特徴はない。
私は人差し指ほどの長さのナイフでその皮膚を薄く切り取ると、壁際の実験机へ移動した。顕微鏡を覗くと、二本の鎖が捻じれた螺旋が映った。鎖のところどころに空白がある。私は倍率を上げ、空白の縁を確かめた。
生き物の情報は二層に分かれている。体を作るコルプスと、子へ受け継がれるプリマだ。こいつに見られる変化はコルプスだけで、プリマには及んでいない。核の内部で外からの情報を組み込む機構が不足しているのだろう。自身の体を一時的に書き換える、一代限りの紛い物か。
「天然のままでは複数保持は不可能だな。だが、この空白領域を拡張すれば、外からの情報を組み込む機構を追加できるはずだ」
「その機構を追加すれば、取り込める能力も増えるのですか?」
「それを確かめるんだよ。二種類とも残るようなら、次は人間の螺旋に組み込んでみよう」
「成功するかもわからないのに、人間に投与するのは危険では?」
私は顕微鏡から目を離し、切り取った肉を放り出すと、再びシャマイラが横たわる研究台へと歩み寄った。
「何を言ってるんだ。人体実験ほど楽しいものはないじゃないか」
ナイフでシャマイラの腹を深く切り裂き、どろりと溢れた内臓の隙間から黒い魚卵を取り出して皿に盛った。助手の引きつった視線を感じながら、一粒を口に入れると、舌に強い塩味が広がった。まずくはない。
翌日の明け方、新しいシャマイラの死体が届いた。昨日の個体とは違い、背には亀の魔物タルトラゴと同じ甲羅があり、腹からは鋭い爪を備えた脚が生えていた。私は甲羅にナイフの先を押し当てた。力を込めても、刃は滑るばかりだった。
腹を裂くと、卵巣の代わりに精巣が見つかった。雄でも甲羅はできるのか。
さらに切り開くと、エラのほかにタルトラゴと同じ呼吸器が作られていた。鼻の奥から伸びる見慣れない血管を追ううちに、心臓の構造まで変わっていることに気づいた。昨日の報告書を手元へ引き寄せ、記述と見比べた。甲羅や脚を付け足しただけではなく陸で呼吸できる体に合わせ、血液の循環系まで書き換えている。
ここまで変えられるのか。
私はナイフを止め、死体の脚を持ち上げた。人間に能力を移すより、シャマイラそのものを人工的に生み出した方が、兵器としての利用価値は高いかもしれない。甲羅で身を守り、この爪で陸を歩かせる。取り込ませる魔物を変えれば、用途も変えられる。
そうなると、一度に大量の卵を産ませた方がいい。あとは、螺旋の組を二組から三組へ増やせば、一代限りの種なし個体になる。ふふっ、発育しても子孫を残すための卵は作れない。これなら敵対組織に奪われても、増やされる心配はない。念のため、寿命の情報であるクロノスも極限まで削り落としておくか。
いや、待てよ。
一定期間が過ぎれば、肉を溶かす毒を分泌するように組み込むのも悪くない。あるいは通常よりも早く年を取るのもいいだろう。
「なあ、次の個体の納品依頼を出しておいてくれ」
私は脚を研究台へ戻し、ナイフを置いて出入り口へ向き直った。
「エレア様、どちらへ行かれるのですか?」
「学校だよ。今日は朝から授業があるんだ」
「昨日からまた就任されたんですよね? どうでしたか、今年の生徒さんは」
「どうって、今年もみんな綺麗だったよ。教科書を持ってくるなと伝えたからね。ふふっ、荷物が軽くて感謝されるんじゃないか? あっ次のシャマイラに卵があったら、海水につけておいてくれ」
「また、お召し上がりになるんですか?」
「ああ。昨日のも、まずくはなかった」
昔、孤児院で鶏の卵を割って、誰かに怒られたことがある。理由は思い出せないが、あの時の卵も同じ味だった気がした。
「弟さんから、またお手紙が届いています」
「弟?……ああ、いたな。机に置いておいてくれ」
「いたなって……。前回は、お名前だって知らないとおっしゃっていましたよね。それでも本当に姉弟なんですか?」
「必要になったら調べる」
助手の返事を待たず、私は研究室の扉を閉めた。
馬車に揺られ、私は国立ミルファーゼ魔法学校へ向かった。国内一の難関校と持て囃されているこの学び舎で魔法を教え始めて二年目になるが、早くも飽きがきていた。欠陥だらけの魔物を解剖している方が余程有意義だ。
校門を抜け、学び舎の廊下を歩いていると右肩を叩かれた。
「エレア先生、おはようございます。今日も髪の毛ボサボサですよ」
「あぁ、窓際に座っていた女か」
「ピュラです。覚えてくださいよ」
女は長い赤髪を揺らしながら私の隣を歩き、時折顔を覗き込んできた。炎魔法B判定、適性は自己強化魔法。それ以上は何もない。
「気が向いたらな」
「えー、エレア先生。待ってくださいよ」
鐘が鳴ると同時に教室へ着いた。ピュラが私を追い越して自席へ戻り、五人の生徒がそろった。この学校では属性ごとにクラスが分けられており、私の担当する炎属性はこれで全員だ。一人ひとりの机と椅子が、教壇の前に横一列に並んでいる。
右から二番目の男が、不満げに腕を組んでいる。
「先生、今日は教科書いらないって、どういうことなんだよ」
「ああ、まだ入学したばかりだから理解していないと思うが、教科書に載っていることなら、お前たちはもう出来るはずだ」
「じゃあ俺らは何を教わるんだよ!」
「教室で出来ることはない。毎日木材を組んで、それを燃やせばいい」
「はぁ? 俺の精霊魔法はA判定なんだぞ!?」
「精霊魔法ならなおさら今のお前に何もできることはないな。精霊を呼んで、ポーションを飲んで酔わないようにするかくらいだ」
左端の女も控えめに手を挙げた。
「あ、あの……。私の放出魔法はB判定です。教科書通りちゃんと魔法を放てます。でも、教科書がいらないって、それだと授業放棄じゃないですか?」
「そうか。お前はなおさら教科書は不要だな」
「えっ?」
「勘違いしているかもしれないから最初に言っておく。お前たちは雑魚ではない。教科書に載っていることは、この学校に入学できるならそもそも出来て当然だ。だからわざわざ教えることも無い」
「でも、別のクラスの子たちはちゃんと教科書を使って授業をしていますよ」
「あぁ、この学校では担任が好きに授業を組んで良いからな。去年は脱落者も出たが、残った連中は国内指折りの魔法使いになった。学校もその結果を見て、今年も私に任せている。私は教科書通りの授業が嫌いなんだよ。き・ら・い」
国の極秘研究にも貢献している私に、学校側が今さら口を出せることも限られている。
「だったら何をするんですか? 本当にポーションを飲んで魔力酔い対策をするだけですか?」
「なんだ、座学の方が好きか? 魔力酔いの仕組みでも解説した方がいいか? ポーションの成分が、体内のコルプスへ魔力が定着するのを阻害して――」
「先生、もういいです!」
「そうか、ならここでやることはもう無い。お前ら、外に出ろ」
精霊魔法の男が勢いよく立ち上がった。
「外で何するんだよ」
「実験だよ。おい、そこの自己強化女」
自己強化女と目が合うと、彼女は自分の顔を指さした。
「わたしですか?」
「お前の自己強化はBだったな。自己強化魔法を使っている肉体に、精霊魔法の炎を当て続けるとどうなるんだろうな。そこの男はA判定だ。同じくらい強く強化できるのか、焼け死ぬのか試してみるぞ」
ピュラの椅子の脚が床を擦り、彼女は後ずさった。
「い、いやです。どうなるか、結果はわかっていないんですか?」
「やっていないから誰も結果を知らないんだ。生き残れば教科書に載り、名前も覚えてもらえる。いいこと尽くしじゃないか」
「く、狂ってる……。生徒を道具みたいに扱うなんておかしいですよ!」
「なら退学すればいい。ここは強制しない」
ピュラはその場にへたり込み、目尻から涙をこぼした。
「そんな……。こんなの、こんなの変だよ……皆もそう思うでしょ!?」
彼女がすがるように周囲を見渡したが、他の生徒たちは視線をそらし、誰一人として目を合わせようとしなかった。
「自己強化女は使えないか。おい、お前は精霊を呼べ。そのまま私の雷で気絶させる」
「お、俺ですか?」
「あぁ。魔力が残っているのに術者が意識を失ったら、精霊はどうなるんだろうな」
「意識を失うって……」
「魔力切れで倒れられては困るからな、ポーションで魔力を限界まで注ぎ込み続けた状態で、魔法で意識だけを飛ばしてやる。肉体は気絶したのに、残った魔力を精霊が吸い続けて動き続けるのか、お前の意識と一緒に消えるのか。見てみたいじゃないか」
私は教室の扉を開け放ち、訓練場へ向かうよう生徒たちを手招きした。
「ふふっ、楽しい人体実験になりそうだ」




