2話,絶望
ごうごうと、炎がおどる。
楽しげに、嘲笑うかのように。
勢いを増した炎の海の中、アーサーはもう炎は見たくないととうに気を失っているミリアを掻き抱き蹲る。
肌をジリジリと焼く程に迫った炎のせいで息が苦しい。
(あぁ、どうして。どうしてこんな目に合わないといけないんだろう)
世界を、神を呪うほどの絶望を抱いたアーサーは意識を失う直前、いや失ってからなのか。
走馬灯を見た。
次々と流れてゆく光景の中でアーサーは父に首を絞められていた。
そして何故か、父の顔が見知らぬ顔へと変わる。
(え、誰だ………………?)
無音。
一拍後、ひそひそと交わされる聞き取れない言葉達。
アーサーは不審に思い、目を開ける。
そして目に映る、黒を纏う人々。
この光景にアーサーは見覚えがあった。
(お父さんの葬式だ)
空腹過ぎて気持ち悪いし、目はなんだか腫れぼったい。
一瞬これは走馬灯の続きかと思ったが、アーサーが先程まで見ていた走馬灯は違い五感がはっきりとしているため違うのではないかと思い直した。
しかし、走馬灯ではないのならこれは一体何なんだ。
アーサーが呆然としていても、周囲は父親を失ったショックがまだ抜けていないのだと誤解してくれている。
いや、そもそも親戚達は残された財産のことしか頭にないためアーサーの呆然とした様子に気づいてさえないだろう。
子供は何もわからないようで、わかっている。
そうだ、あの時のアーサーは父の死を悼まない親戚達に対する自分の無力さに絶望したのだった。
当時を思い出し、俯き、唇を噛んでいたアーサーの視界に磨かれた黒い革靴が映り込む。
その革靴の人物は膝をついて屈み、アーサーの顔を覗き込んだ。
「こんにちは、アーサー」
「…………」
聞き馴染みのある声に顔を上げる。
声の人物は予想通り、ミリアの父トリスタンだった。
その顔は悲しみを湛えているが、アーサーの前だからか微かに口角を上げている。
「あぁ、もう覚えていないかな。前に何度も会ったことがあるんだよ」
「…………」
アーサーは父の葬式よりも前にトリスタンに会った記憶がない。
そのため、父の葬式後にアーサーを引き取ると言ったトリスタンを全力で拒否した覚えがある。
(今思うと大変申し訳ないことをした)
父を亡くしたばかりの幼きアーサーは1週間、自室に籠城したのだ。
その間毎日この屋敷にやって来てアーサーを気遣いながら話しかけてくれた。
友人の息子とはいえ、過去に数度会っただけの子供に対してよく付き合ったなと思う。
でも、あの1週間がなければトリスタンを信頼し、父と呼び慕ったりはしなかっただろうとも思う。
そう考えると、あの1週間は必要だった。
葬式以前にトリスタンと会ったという記憶はないが、トリスタンのことは未来ではあるが知っているし覚えているのだから、こくりと頷いておいた。
「覚えててくれたんだね。嬉しいよ」
ほっとしたように少しだけ笑みが深くなる。
アーサーは正解の反応がわからなくてただ黙る。
「…………」
「名前までは覚えていないかな。私はトリスタン」
「トリスタン」
トリスタンの名前を呟くと、手をそっと握られる。
「ジルベルト_____君のお父さんの葬式が終わったら、私と私の娘と一緒に暮らさないかい?」
トリスタンの顔をじっと見つめる。
あの時のアーサーは、この屋敷から離れる選択肢なんてなかった。
でも、このよくわからない状況のアーサーはこの屋敷から離れることに抵抗感なんてものは持ち合わせていない。
むしろこの屋敷よりも長く居たトリスタンの屋敷の方が数倍思い入れがある。
(ここで頷いたら、過去と1週間のずれが起こる。そうなったら未来は変わるのか。いや、そもそも夢だったら全て意味を成さないのだけれど)
アーサーは微かに頷く。
「ありがとう」
そう言ってトリスタンは静かに笑った。
空気が微かに弛緩したと感じたその瞬間、金切り声がアーサー達に向けられた。
「親戚でもない方がでしゃばらないで!」
その女性の意見は親戚達の総意のようで誰も女性を止めないし、それどころかトリスタンを冷ややかな目で見つめている。
先程までは親戚内で揉めていたというのに、それよりも親戚外に遺産が渡る事の方が嫌なようで言葉を交わしていないのに結託している。
そう他人事に分析していたアーサーに、今度はトリスタンの冷ややかな声が届き、ぎょっとする。
トリスタンのこんな声はこれまで一度も聞いたことがなかったからだ。
「親戚? 貴方方はジルベルトの血縁ではないのだから、貴方方こそでしゃばらない方がいいでしょう。遺産はアーサーだけのものです」
「そ、それはそうよ! けれども、私達はアーサーとは血が繋がっているのだから、アーサーを引き取るのなら私達の中の誰かよ!」
トリスタンが徐に首を傾げる。
そして顎に手を当てると、困惑したように口を開く。
その一連の仕草は芝居がかって見えた。
「もしかして、まだ遺言状をお読みではない?」
「「遺言状!?」」
これまで黙っていた人々も、思わずといった様子で声を出した。
ざわざわと空気が揺れ出す。
遺言状の存在をアーサーも知らなくて、思わずトリスタンを見上げる。
「遺言状なんて出鱈目じゃぁないのか!?」
「ここでそんな嘘を吐いても後で分かります。嘘なら言ったりしませんよ」
「まだ20代の内に書いたりするのかね!?」
「奥方の死を目の当たりにして、自分の死をも意識するのは可笑しな事ではないしょう。況してや、幼い息子がいるのだから」
そう言われ、声を荒げた男性が黙る。
トリスタンはにっこりと微笑んだ。
「行こう、アーサー」
アーサーはトリスタンの屋敷に着くまでの間、ずっと考えていた。
ミリアに会いたい。
でも、ミリアは本当に屋敷にいるのだろうか。
ミリアはアーサーの腕の中で亡くなったのに?
これは走馬灯か死ぬ直前の願望で、ただアーサーの頭が可笑しくなっただけではないのか。
もうそれでもいい。
ミリアに会いたい。
でも、会っても虚しいだけではないのか。
その時自分は耐えられるのか。
それでも、ミリアに会いたい。
トリスタンに手を引かれ、エントランスホールに立つ。
鼻の奥に焦げた臭いを感じ一瞬身を固めるが、どこにも火の気は見当たらない。
(当たり前だ、だって今は屋敷が燃えるよりずっと前なんだから)
頭では分かるのに、心臓は分かってくれなくて、バクバクとトリスタンにも聞こえるのではというほど煩く暴れる。
身を固くしたアーサーの頭を緊張していると捉えたトリスタンが遠慮がちに撫でた。
「抱き上げてもいいかな?」
アーサーがそっと頷くと、トリスタンはアーサーを両脇から持ち上げて、尻を腕に乗せ上げた。
きっちりと、でも遠慮がちにもう片方の腕で抱きしめられ、ほぅ、と息を吐く。
心臓が落ち着いてくると、とんとんと、あやすように背中を叩かれ居た堪れなく感じた。
「さっきも言ったけど、きっと君と私の娘は相性がいいよ。すぐに仲良くなれるさ」
抱き上げられた状態のまま食堂へと繋がる扉に到着し、降ろされたかと思うと手を繋がれた。
「大丈夫かな?」
何故降ろされたのだろうと思いながらも問題ないため頷いた。
「幼いとはいえ、アーサーも男だからね」
どうやらトリスタンは、ミリアの前で抱きかかえ上げられているのは恥ずかしがるのでは、と考慮してくれたようだ。
トリスタンが扉を開く。
開かないでくれ、と思った。
早く開け、と思った。
動けないでいるアーサーの手がそっと引かれ、トリスタンと共に食堂へと入る。
ガタンと物がぶつかる衝撃音が静かな食堂に響ききる前に、幼い女の子の声が上がる。
「弟!!」
食卓に手をつき立ち上がった幼女が目を輝かせてアーサーを見る。
視線が交差した。
(ミリアだ。…………本当にミリアがいる)
ミリアが足早に食堂の入り口へとやって来る。
そんなミリアを見て苦笑したトリスタンはアーサーの手を離し、そっと肩を抱いた。
「ミリア、紹介しよう。これからミリアの弟となるアーサーだ」
ミリアに再び会えて嬉しいのに、今すぐにでもこの時間が終わってしまうのではないか、これはやはり夢なのではないか、という悲観的な思いが胸を占める。
服の裾をぎゅぅと握る。
反対にミリアは弟が出来て嬉しいのだと、とてもわかりやすくにこにこと微笑んだ。
「初めまして、アーサー! 私はミリア。あなたの姉よ。これからよろしくね!」
『初めまして、アーサー! 私はミリアよ。これからよろしくね』
ミリアの発した言葉が、前と違うことに気が付いた。
そこで、ミリアはちゃんと生きていて、今この場はあの時とは違うものなのなんだと実感した。
ミリアが生きていて、もう一度やり直す機会を得たのだと理解して、心の底から神に感謝した。
そして、感極まり泣いた。
それはもう、ぼろぼろと。
こんなに泣きじゃくるのは初めてではないだろうか。
火事の時は現実が信じ難く、また息が苦しく、ここまでは涙を流していなかった。
頭では冷静に思考しているのに、堰を切ったように流れだした涙は止まらない。
「父様父様、どうしましょう」
「うん、どうしようね…………」
2人が途方に暮れていることが分かる。
申し訳ないと思いながらも泣いていると、徐にミリアがアーサーに手を伸ばした。
何をするのかと見ていると、行き着いた先はアーサーの頭だった。
「大丈夫よ、アーサー。大丈夫」
随分とぎこちない手付きで、髪を撫で付けるように手を動かす。
アーサーは驚いて、目を瞬かせるしかない。
「大丈夫よ。これからはずっと私がそばにいるわ。だから大丈夫」
「…………ほんと?」
ミリアは父親を亡くしたアーサーに向けて言葉を掛けているのだろう。
しかし、その出来事はアーサーにとっては消化済みの過去であり、今のアーサーにとって重要なのはミリアの死である。
ミリアの言葉は見事に今のアーサーを撃ち抜いた。
ミリアはまだ死んでいなくて、さらにはずっとそばにいてくれると声を掛けてくれている。
「ずっと」が救いの言葉に聞こえた。
アーサーはミリアを見上げる。
何故かミリアが頭から手を離して両手で胸を押さえる。
ミリアの温もりが消えたことを不満に思った。
「もっと撫でて」
「撫でられるの好き?」
「うん。ねぇ、本当に僕の側に居てくれる?」
「ええ!」
「ずっと?」
「勿論!」
「私も! 私もね、ずっとアーサーの側に居るからね」
優しく微笑むミリアとトリスタンは生きていて、火事なんて起こっていない。
なんて素晴らしいことだろう。
火の中で神を呪ったのになんて都合のいいことだ、と自身に呆れながらもアーサーは神に感謝した。
晩餐を共にして、寝支度を終えた後。
寝台に身を横たえて目を瞑る。
ようやく眠ろうかという時に、父の大きな手が迫って来て飛び起きた。
父の葬式を行った昨日の夜もそうだった。
走馬灯では第三者の視点でアーサーが父に首を絞められる場面を眺めていたのに、昨夜は、父の手がアーサーに迫り、首を締める場面を幼き頃のアーサー視点で見たのだ。
眠気を感じていたはずなのに、もう直ぐには眠れそうになく、父とミリアのことを考えていた。
父はアーサーの事を愛していなかったのだろうか。
アーサーは、自分を見る父の目を怖いと思った事はないし、ずっと慈しんでくれた記憶しかない。
しかしそれは幼き頃のアーサーの主観であって、さらに言えば何十年も前の記憶だ。
幾らアーサーの記憶力が良くとも確かなものは言えない。
父が生きていた頃まで今のアーサーが戻れていれば分かったのだろうが、そう物事は上手く運べない。
父はどんな気持ちでアーサーの首を締めたのだろう。
手を首に当て、そうぼんやりと考える。
幼い体はいつの間にか眠りについていた。
またアーサーは、己の首に手を当てて、起こしていた上半身をどさりと寝台に投げ出した。
(寒いなぁ)
投げ出した体をもう一度起こし、寝台から抜け出す。
そして、ふわふわと覚束ない足取りで隣にあるミリアの部屋へと向かう。
扉をノックしようとした寸前で手を止める。
たっぷりと躊躇った後、控えめにノックを3回する。
(これで駄目だったら戻ろう)
ノックをした形のまま一拍止まるも、ミリアはやはり起きていないようで、諦めて腕を下ろす。
そして扉に背を向けたところでガチャリとドアノブを回す音が聞こえた。
キィ、と音を立てて開いた扉の元には寝ぼけ眼なミリアが立っていた。
「アーサー…………? どうしたの? 眠れない?」
「……うん」
「じゃあ一緒に寝ましょ」
「いいの?」
「勿論よ。私はアーサーの姉だもの」
ミリアに手を取られて部屋に入る。
2人で寝台に潜り込んで直ぐミリアは寝息を立て始めた。
寝台に入り再び繋がれた手の温かさを感じながら、穏やかに眠るミリアをじっと眺める。
そうしていると、不安なんて彼方に飛んでいく気がする。
いつの間にかアーサーも眠りについていた。
朝日が優しく大地を照らし始める頃にアーサーはすぅっと目を覚ました。
そして外の明るさに目を瞬いた。
隣に眠るミリアの眠りを妨げないようにそっと起き上がると壁掛け時計で時刻を確認する。
(六時過ぎ…………。よく寝たなぁ)
アーサーはショートスリーパーで、睡眠時間は5時間もいらない。
昨日は21時くらいには寝台に入っていたため、寝付けるまでに時間を要したことを考慮してもよく寝たと言えるだろう。
通常なら寝過ぎて逆に体が重いくらいなのだが、この幼い体はアーサーの知らぬうちに疲れを溜め込んでいたらしい。
爽快な目覚めだった。
伸びをして、ミリアを見やる。
アーサーはこれからどうするべきか悩んでいた。
ミリアの性格上、弟だと言って可愛がってくれていても、まだ出会って1日も経っていないアーサーと共に寝た事実を恥ずかしがることが容易に想像できる。
ミリアは人見知りなのだ。
しかし、そもそもミリアがアーサーと共に眠った事を記憶しているかどうか。
ミリアは寝ぼけている時の事を滅多に覚えていないのだ。
このままミリアが目覚めるまで待つか、自室に帰り何事もなかったかのように接するか。
アーサーは結局自室に帰り、やはり何も覚えていなかったミリア(とトリスタン)と穏やかに朝食を取った。
ミリアは何も覚えていないのにアーサーが寝台でミリアが起きるのを待っていたら絶対にこの和やかな朝食はなかった。
(あの時戻ってよかった…………!)
これがアーサーが過去に戻ってから初めての英断だった。
「君は何処から来たんだろうね」
アーサーは寝そべる黒猫の側で屈み込んで観察しながら、そう呟いた。
自由気ままな彼女にそっと手を伸ばしてみる。
あからさまに避けられた。
分かっていた結果に苦笑する。
この猫はミリアにしか心を許していないのだ。
この黒猫はとても前から居るのだというような風格を醸し出しているが、この屋敷にやって来てまだ3日目だというほぼアーサーと同期の猫だ。
(むしろ屋敷に慣れているという点では、僕の方がずっと先輩なんだけどな)
前の時にはいなかった存在。
この猫はアーサーがちょっと行動を変えただけで、こんなにも未来は違ってくるのだという証左のようで、ついつい眺めてしまう。
(沢山行動しよう。前回とは違う部分を沢山増やして、あの日の火事を起こさないようにしたい)
前回とは違う行動を起こすことで火事が早まる事もあるかもしれない。
しかし、あの火事が起きる時まで何もせず、ただ火事に怯えるだけなのは無意味だ。
火事の日に屋敷ではない場所に外出すれば 火の手は回避できると思う。
しかしこの考えも予測に過ぎず、アーサーが父の葬式の後直ぐにこの屋敷へと来た時点である程度未来は変わっていても可笑しくはない。
ならば、大幅に未来を変えてしまえ。
アーサーはこのスタンスでいくつもりだ。
勿論火事対策はする。
まだこの頃はあまり一般的ではない、消化器や火災報知器の設置はトリスタンに促すつもりだ。
(………………あれ?)
火災報知器は火事の頃には屋敷に設置されていたが、あれは役目を果たしていただろうか。
火災は真夜中の出来事で、アーサーとミリアが起きた頃にはもう脱出のしようがなかった。
火災報知器は煙を感知するもののはずだ。
不可解な謎が、アーサーの不安を掻き立てる。
不安を解消しようにも、起こっていない事象は調べようがない。
とりあえず、火災報知器は絶対に信頼できるメーカーのものを設置すると決心した。
食事の席で、アーサーはトリスタンに呼びかけた。
「父さん」
父と呼ばせてもらっているが養子縁組をしているわけではないし、お互い実際に親子だとは思っていない。
大切にされているとは感じるが、そこに親子の情は見られない。
トリスタンにとって、アーサーはあくまで親友の忘形見なのだ。
「高校に通っても良いですか?」
「良いよ。好きにしなさい」
あっさりと許したトリスタンの意図が読めず、アーサーは固まる。
自分から聞いておいてなんだが、こんなにあっさりと許可されるとは思っていなかったのだ。
難色を示された後の言葉なら何度もシュミレーションしていたのだが、この流れは想定外だった。
「ありがとうございます」
なんとかそう言って口を噤む。
そしてばれない程度にミリアを盗み見る。
ミリアが自分も行きたいと言い出したらなら、トリスタンはあっさりと先程の許可を取り消すだろう。
ミリアはアーサーの緊張なんて知りもしないで、にこにこと微笑んだ。
「良かったわね。楽しんで来て」
「まだ受験すらしていないからね。気が早いよ」
アーサーの言葉にミリアは頷いたが、それでもアーサーが受かると信じて疑わないようだった。
そんなミリアの様子に少し口角が上がる。
しかし視界の端顔を強張らせるトリスタンを捉え、アーサーの顔までまた強張る。
「ミリアも行きたいと思うかい?」
「ううん、思わないわ。私、この屋敷が好きなのよ」
ミリアが無邪気に笑う。
トリスタンはそれを無理して笑っていると捉えたようで、さらに顔が強張る。
「……行きたいなら、アーサーと一緒なら…………」
掠れるような小さな声で、良いよと力なく許可を出すトリスタン。
ミリアはトリスタンの憔悴ぶりを可笑しそうに見て、さらに笑った。
そして首を横に振る。
「本当に良いの」
「そうかい」
トリスタンがほっとしたように息を吐きミリアに手を伸ばした。
頭をさっとひと撫でした手は降りて行き、ミリアの目尻に添わせてさらには頬を揉む。
トリスタンとミリアの触れ合いを見て、アーサーは唇を噛む。
アーサー的には親子の触れ合いを超えているのだが、それは父親と息子の関係性しか知らなかったからかもしれないと思い、いつも何も言えずにいる。
ミリアがアーサーの方を向いたので噛んでいた唇を素早く離す。
「ただ、興味はあるから通い始めたら沢山お話ししてね」
「勿論」
アーサーは快く答えた。
入学式が終わり、授業などの説明を受けた後、アーサーは教室を深い溜息と共に足早に出た。
こんなに長い間ミリアと離れたのは初めてだった。
早くミリアの顔を見たくて仕方ない。
「おいおいおい、こっからは親睦を深める時間だせ?」
「うっ」
後ろから肩を組まれ、その勢いに呻く。
ジロリと横に視線を向けるも、相手はヘラヘラと笑っていた。
「なぁトーリ」
「そうよ。孤高を気取るのはやめなさい。」
何故か諭され、解せない。
「あとヨルダン、あんたはもうその少し馬鹿力を抑えなさい」
「へーい」
それでも肩に回った腕は離れない。
「どっか3人で遊びに行こうぜ」
「ミリアが待ってるから無理」
「ちょっとだけでもいいから」
「ちょっとって何時間?」
「えー……1時間?」
「…………1時間だけならいいよ」
友人ができたと、遊んで来たと具体的に話した方がミリアは喜ぶ気がして了承する。
「マジか!」
「よかったわね」
ヨルダンが大袈裟に喜ぶ。
やったー! と言い笑う様は見ていて気恥ずかしいが、そこまで喜ばれて悪い気はしない。
トーリは保護者の様にヨルダンを見守っていたが、ふとアーサーに視線を移す。
ヨルダンは考えている事は全て顔に出るのでわかりやすいが、トーリは何を考えているのかさっぱりわからない。
トーリの老成した眼差しがアーサーは苦手だった。
というか、居心地が悪かった。
視線を向けられると落ち着かないのだ。
そんな思考を吹き飛ばすかのように、強い風が吹く。
(薔薇の匂い……?)
強風に乗って花の香りが廊下まで届いた。
「良い匂いだね」
匂いの根源であろう中庭に目を向ける。
アーサーに釣られるように2人も中庭を見た。
目を向けた先では多種多様の赤薔薇が咲き乱れている。
「ああ。うちは中庭にも力を入れているのよ」
「金の無駄遣いだよな~、生徒しか見ないのに」
「生徒は見るからいいのよ」
「えー?」
「あんたは見ないでしょうけどね」
トーリが呆れたように溜息を吐く。
確かにヨルダンは見ないだろうな、と会って1日も経っていないのに手に取るようにわかり、頷く。
ひでぇひでぇと騒ぐヨルダンを無視してトーリはアーサーに尋ねてきた。
「行ってみる?」
「いや、いいよ。これから時間は沢山あるし」
「それもそうね」
中庭では茂みは勿論、アーチにも綺麗に薔薇が咲いていた。
薔薇のアーチはアーサーにとって大切なものだった。
屋敷の庭にあるガゼボまでの道に、自分の手で薔薇のアーチを作ったのだ。
そして綺麗に薔薇が咲いた頃、ミリアの手を引いてアーチを潜り、予め置いておいた薔薇の花束で告白をした。
それからも薔薇のアーチは手入れを欠かさず美しく存在していたが、未来ではあの薔薇のアーチも燃えてしまったのだろうか。
アーチの鉄骨だけが残る無惨な姿を想像してしまい胸が苦しくなる。
「どうかした?」
「……いや?」
「ふーん」
ならいいけどと言いながらもヨルダンは首を傾げ此方を観察していた。
「あのアーチの先には何があるの?」
「…………知ってる?」
言葉に詰まったヨルダンがトーリに振る。
「知ってるわけないじゃない。エスカレーター式でも校舎が違うもの」
後日実際に行ってみて判明したが、アーチの先は巨大迷路だった。
壁は植物だったが薔薇ではなく、棘がない安全仕様だった。
下にひと1人が通り抜けられるくらいの隙間があったので、どうしても脱出できない時にはそこから恥も優美さも捨てて這い出るのだろう。
確かにこれは金の無駄遣いだとヨルダンの言葉に納得した。
絶対にいらない。
今回の告白はどう行おうかと沢山の候補を出していた。
前回の告白はミリアにとっては見に覚えのないものなので、2回目とは数えない。
せっかくアーサーの行動範囲が広がったのだから、屋敷ではなく外で告白したい。
ベタだが遊園地に行き観覧車の頂上で告白するのも良いし、ディナーを予約して告白するのも良い。
ミリアに最大限喜んでもらえるようにとあれこれ考えていた。
その計画達が、良い意味で破綻した。
馬鹿どもは日頃からミリアに会わせろと煩かったが、ミリアを穢すわけにはいかないと絶対に取り合っていなかった。
しかし、ミリアが会いたいと言いだした。
アーサーは馬鹿どもと会わせることでミリアの不安を取り除けるのなら、と奴らを屋敷に招き入れた。
結果、ミリアはトーリ達に悋気を起こした。
「アーサーがトーリの腕を取って部屋を出た時があるでしょう?」
「うん」
「その時、なんだか胸がもやもやして、苦しくて。怒り? 悲しみ? よくわからないの…………」
「………………」
(可愛すぎて、どうしよう)
たどたどしくも、自分の気持ちを一生懸命に伝えてるミリアがとても、とても愛おしい。
顔がだらしなく緩んでいる自覚があるため片手で顔を隠す。
「………………。アーサー? どうしたの?」
「ミリア、それ嫉妬だよ」
「しっと?」
「うん、嫉妬。…………あーーー」
(本当に可愛い)
アーサーは天を仰ぐ。
こんなにも愛おしい存在が他に在るだろつか。
いや、ない。
(告白しよう。して、恋人になって、沢山可愛いと、愛してると伝えたい)
決心したアーサーはミリアと向き合った。
「変なタイミングになってしまったけれど、告白させて。ミリアが好きだ。愛してる。恋人になって欲しい」
「………………へ?」
ミリアの瞳が潤む。
頬が赤らむ。
口が微かに開く。
涙が落ちる。
「私も好き。アーサーが好きよ。こちらこそ、恋人にして?」
「…………ありがとう」
前に告白した時とは時期も状況も、時間の共に仕方も違う。
考えないようにはしていたが、告白が断られる可能性も本当は頭の片隅に過ぎっていた。
あまりの幸せに、アーサーも涙が一筋零れ落ちる。
この愛おしい存在を逃がさないように、そっと抱きしめる。
ミリアから伝わる温もりにこれは幻ではないのだと実感して、さらに涙が溢れた。
ごうごうと、炎がおどる。
テレビ越しに歴史ある歌劇場が燃える姿をアーサーは見ていた。
学園から帰って来て、テレビをつけたらこの速報でどの放送局も持ちきりだった。
黒煙が立ち昇る。
人が慌ただしく行き交う。
「凄い炎です。消化活動はされていますが未だ鎮火には至っていません。中には逃げ遅れた要救助者が数十名いると見られています」
中継で情報を捲し立てるように伝えているが、耳を素通りしていく。
(なんでよりによって今日なのか)
あの歌劇場には今日、ミリアとトリスタンが居るのに。
初めてトリスタンがミリアを外に連れていったのに。
そんな時に限って、何故。
脳裏に火の粉が散る。
息が浅くなる。
汗で全身が気持ち悪い。
視界が点滅する。
(落ち着け。落ち着け。2人はもう避難できているかもしれない。絶対そうだ)
スマホを持つトリスタンに連絡をしようと己のスマホををポケットから出そうとして、震える手に気が付いた。
構わずスマホを取り出し、トリスタンに電話する。
出ない。
(落ち着け。避難の時にスマホをなくしただけかもしれないだろう?)
行こう。
歌劇場に。
アーサーは財布を手に取り、外套を羽織ると直ぐに屋敷を出た。
騒めきと、熱気と、焦げ臭さを感じながら避難者達のいる場所で懸命にミリア達を探したが、いない。
バッと未だ消化に至っていない歌劇場を見る。
「ミリア………………」
続きはまだ書いていないので、次の投稿は1ヶ月程後になります。




