プロローグ
フェミィの手袋が宙を舞った。
白く美しい刺繍が施されたそれは、ふぁさりと地面に落ちた。
それの意味することを考え、思わず呆然としてしまう。
だって、フェミィは目の前の少年を睨みつけている。そんな表情で手袋を投げつけたということは。
「姉さま、てぶくろ落ちちゃったよ?」
「いいのよ。わざとだから」
「ちょっ、待っ」
フェミィの言葉を止めようとするも、私が子ども達の瞬発力に敵うはずもなく。
「私、ユーフェミア・ミューアは貴方に決闘を申し込むわ!」
「フェミィ!」
やってしまった!
というか、一体何があったというの? ほんの少し目を離した隙に、フェミィと初対面の少年は険悪な雰囲気になっていた。
それを止めようとしたときにはすでに遅かったのだ。
「……へえ? 君が? でも、そんな小さな手で剣を握れるの?」
少年がクスッと笑った。
フェミィは誕生日を迎え、八歳になった。
でも、剣を握ったこともない令嬢が、男の子に勝てるはずがない。
というか、違うんです! そうじゃなくて!
「あ! はーい! 僕、剣で戦えるよ?」
まったく事情の分かっていないであろうコニーが嬉しそうに手を挙げた。いえ、だからそうではなく!
「そうね? では、勇者コニー。そこの悪漢を倒してくださる?」
「うん! まかせて!」
「だめに決まっています」
これ以上、この子達だけで話し合いを進めさせるわけにはいかないわ。
「フェミィ? 今日のお約束は?」
「ごめんなさい、ミッチェ母様。女には闘わなくてはならない時というものがあるのよ」
無駄に格好良く言っても駄目なものは駄目です。
「まずは手袋を拾いましょう。グレン様は地面に投げつけるためにその手袋をあなたに贈ったわけではないでしょう?」
「……ええ。私の名誉を守るためだわ」
駄目です。まだ、好戦的なままだわ。一体何があったのか。ちらりと少年の方を見ると、──笑っていやがりますね? どうやら面白がっているみたい。
「なぁ、知ってるか? 男が手袋を投げると決闘の申込みになるけど、女が投げると違う意味になるんだ」
「……え?」
そう言いながら、少年はおもむろに手袋を拾い上げた。しまった、先に私が拾うべきでした。
「……フェミィ。男性と違って、女性が手袋を投げる意味は決闘ではないわ。それは寵愛の証なの」
「は⁉」
相手が騎士の場合、あなたを私の騎士として認めるという強い信頼や親愛になる。でも、それだけでなく、別の意味もあるのです。それは。
「どうやら俺の想いを受け入れてくださったようですね?」
そうなのです。 手袋のもう一つの意味。それは、相手からのアプローチに対し、「あなたの想いを受け入れます」という、交際の承諾として渡されるのです。
愕然とするフェミィに少年が笑みを深くする。
「俺はアシェル・ローランズ。よろしくな、お転婆娘」
あらまあ。まるで物語の一場面のようですね。ここから俺様な彼と面白い女枠のフェミィ様の恋が始まってしまいそうですが、そうはさせません。
「はい、終了でーす。気軽に契約まがいの行動を取るのはやめましょうね」
空気を変えるために、パンッ! と手を打ち鳴らした。
「……これでも俺は侯爵家の人間だけど?」
「存じておりますわ。ですが、子どもは子どもです。うちの子たちと同列に扱わせていただきますね」
……本当に。子どもでよかったとしみじみ思っておりますよ。
この方がアシェル様なら、お年はまだ十歳のはず。それならば、まだお子様扱いをしても許されるでしょう。
勝手に婚約まがいの話が進んでしまったら、侯爵夫妻に申し訳が立たないところでした。
和やかな交流会のはずがどうしてこうなってしまったのかしら。なんて、たぶん、理由は一つなのでしょうけど。
「フェミィ様。いくら腹がたったとはいえ、いきなり決闘を挑んではいけません。怪我をしたら旦那様が悲しみますよ?」
「……ごめんなさい」
たぶん、旦那様のことか私のこと。その、どちらかをからかわれたのでしょう。でも、私達のためにお二人が怪我をしたら、泣くに泣けません。
「そして、アシェル様。もし、フェミィ様のことが気にかかるのでしたら、からかって気を引くのではなく、ちゃんとお友達から始めてくださいませ」
「なっ⁉」
その反応。やはり、中身はただの子どもでしたか。本当に困ったものです。領地にもこういうお子様がいたなぁと懐かしくなります。
「さあ、そろそろ皆様のところに戻りましょうか」
今の諍いはなかったことにして、子ども達を誘導するために声をかけた。しかし。
「ねぇ、ミッチェ母様? また、姉さまのこと、様付けでよんでるよ? あと、父さまのこと、だんなさまっていってる!」
「あっ」
……やってしまいました。
五歳になったコニー様……ではなくコニーは案外手厳しい。これ以上間違うと、何某かの罰ゲームをさせられそうで怖いです。
「わかりました。次のブロッコリーひとつでどうです?」
「え! ふたつおねがいします!」
勇者コニーはいつになったらブロッコリー魔王を倒せるのかしら。でも、そのおかげで助かりました。
「はい。では、交渉成立ですね」
「せいりつした~~!」
「……おい、好き嫌いを許すのか?」
私は『おい』ではないのですけど。十歳とは、大人ぶりたい年齢なのでしょうか?
「はい。苦手な食べ物は時々は挑戦してもらいますけど、無理して食べさせて、ちょっと嫌いだったものが、心の底から大嫌いになる方が問題でしょう?」
大きくなるうちに味覚は変わっていくものです。食わず嫌いはよくありませんが、どうしても苦手なものの一つくらいは、時々こうして交渉材料にしても問題ないと思っています。
「母上は必ず食べるようにおっしゃるぞ」
「そうなのですね。それはきっと、アシェル様なら頑張れば食べられると判断なさっているのでしょう」
そしてあなたはもう十歳。五歳になったばかりのコニーとは違いますし。
「継母だから無責任なのか」
……これかしら。フェミィを怒らせたのは。大人を鼻で笑うとはいい度胸です。食べ物の好き嫌いより、こちらの方が許してはいけませんね?
静かに彼を見据える。すると、一瞬怯んだものの、ぐっと耐え、私を見返してきた。
「アシェル様はまだ十歳ですのに、偏見に塗れているのですね?」
「……偏見なんかじゃないぞ」
「では、我が子をぞんざいに扱う継母を何人見てきたのですか?」
「っ、それは」
子ども相手に大人気ないと言われるかもしれませんが、このままではアシェル様も可哀想です。
「人の言葉に耳を貸すのは大事です。でも、まずは自分の目で確かめましょう? 何でも、頭から信じてはだめです。最初から楽をしてはいけませんよ?」
きっと、今回の交流会に来る前に、どの家が参加して、どういう人達なのかを教えられたのでしょう。
それは、危ないものに近づかせないための大人の気遣いだったのでしょうが、鵜呑みにするのは危険です。
「確かに、継母が意地悪なこともあると思います。でも、本当の母親でも意地が悪いことはあるし、こうして継母と子ども達が仲良しの場合もあるのですよ?」
私は、フェミィとコニー、二人をぎゅっと抱きしめ、ニッコリと笑ってみせた。




