第4話
『──悪いっ、抜けたっ!』
ここ一月ほどで牛が四頭も行方不明になったという牧場主の訴えを受け、牧場の警備を請け負った我ら傭兵団『紅烏』。
恐らくは獣の仕業だろうとあたりをつけた団長は、弓隊のリーダー・ザインさんを中心に10名の団員を牧場に派遣した。
内訳は槍隊と弓隊が同数の5人ずつ。牧場の警備としてはやや過剰な人員だが、槍隊で牧場を警護し、弓隊は積極的に周辺を巡回して獣を狩って行けば早くケリがつくだろうとの依頼主と団長の判断だ。
ちなみに弓隊はまだマトモに弓も引けない僕を含んでいるので実質4人。今回は比較的危険度の低い仕事ということで現場の空気を掴むため荷物持ち兼雑用として同行させてもらっていた。
牧場に到着してすぐ予定通り警護と巡回に分かれて行動を始めた僕らだが、その巡回の途中先輩のキールさんがあるものを見つけ、事態は一変する。
『……これ、獣の足跡じゃないね。しかもまだ新しい』
その報告を聞いたザインさんは槍隊の一人に命じて団長に応援を要請。依頼主に事情を説明し、牧場の護りを固めてようとしたタイミングでそれはやってきた。
『──オークだっ!!』
家畜を襲っていたのは獣ではなく内地に侵入したオークの一団だった。
オークたちは僕らがやってきたのを見て自分たちの存在が露見したと考えたのかもしれない。これ以上敵が増える前にと牧場に対し襲撃をかけてきた。
『迎え撃てっ!』
オークは全部で7体。対する僕らは応援を要請しに行った団員を除き9名。役立たずの僕を差し引いて8対7、数の上ではギリギリ優位を保てている。
槍兵4名が突進してくるオークを前衛で食い止め、弓兵4名が援護。前衛同士のぶつかり合いでは不利なので接敵前にできるだけ弓で数を減らしたいが、今回はオークがやってきた方向が悪かった。
『止めてくれっ! 撃つな! 牛に当たってしまう!!』
牛の群れの中を突っ切るように突進してくるオークを狙い打とうとした僕らを、依頼主が悲鳴を上げて妨害した。
命がかかっている時に何を──と先輩たちは顔をしかめるが、依頼主からすれば大切な牛に被害が出れば大損害だ。牛を守るために傭兵を雇ったのだし、上手く被害が出ないように倒してくれと言いたくなる気持ちは分からないでもない。
その結果リーダーのザインさんが接敵直前にオークの頭部を射抜き一体だけ倒したものの、前衛は4対6の数的不利な状況でぶつかり合うことに。
乱戦状態では弓は使いづらい。弓隊の僕らは二手に分かれ側面に回り込んで援護しようとした──が、その動きをオークは見逃さず、内2体が前衛を掻い潜って左翼に向けて突撃してきた。
左翼は3名と右翼より人数だけは多かったが、内1名は弓さえ持っていない僕で、右翼には強弓を放ちオークを仕留めたザインさんがいる。オークは弱いところを的確に嗅ぎ取り、狙ってきた。
「ツクモ! お前は退けっ!」
弓隊で直属の先輩キールさんが長弓を速射しオークを迎撃しながら叫んだ。
キール先輩ともう一人は的確にオーク目掛けて矢を放つが、オークたちは粗末ながらも木盾を装備して急所を守っており、全身を分厚い皮下脂肪と筋肉で覆っていて正面から射ても致命傷を与えることは難しい。
「そんなわけには行かないでしょう!?」
「お前がいても邪魔なだけだ!!」
弓の代わりに小剣と盾を持ちいざという時の護衛役として立っていた僕は反駁するが、キール先輩は一言で切って捨てる。
実際、身長2メートルオーバー、体重200キロ近くありそうな巨体で突進してくるオーク相手に僕が立ちふさがったところで無意味であることは明らかだ。
「~~~~っ!!」
接敵まであと10秒もない。僕は一瞬ためらうように周囲に視線をやると、オークたちと逆方向に駆けだした。
それでいい、と表情を緩めるキール先輩──だが。
「うおぉぉぉぉぉぉっ、しゃぁぁっ!!!」
「──ツクモっ!?」
再び背後から聞こえてきた後輩の叫び声に驚愕。だが既にオークは間近に迫っており、そちらを振り返る余裕もない。
──ドサァァッ!
僕は牧場に餌として置かれていた藁束を両手に掴み、走ってきた勢いのままオークたちの足元めがけて転がした。
『グォォ……ッ!?』
当然、そんなものではオークに何のダメージも与えられない──が、全力疾走中かつ急所である頭部を木盾で庇い視界が狭くなってきたオークは避けることもできず藁束に直撃。ほどけた藁に足を取られ、勢いよく転倒した。
「今です!!」
「──っ!? おぉっ!」
「よくやった!!」
突然の状況の変化に一瞬呆気にとられた先輩たちだが、僕の声ですぐさま我に返り、無防備に転がるオーク目掛けて至近距離で矢を放つ。
2体のオークは立ち上がることもできないまま命を落とし、残る4体も側面に回ったザインさんたちの援護が決定打となり仕留めることに成功。
最終的に槍隊の先輩が軽傷を負いはしたものの、僕の初陣は死者・重傷者0と無事に幕を下ろした──が。
「何考えてやがる! 逃げろっつっただろこのデコ助野郎!!」
「いでぇっ!?」
僕は指示を無視したことでキール先輩から拳骨を貰っていた。
キール先輩は見た目優男で小柄だが、長弓を軽々扱うだけあって服の下の筋肉はエグい。放たれた右拳は思わず悶絶してしまうほどの衝撃だった。
「偶々上手くいったからよかったものの……! 戦場じゃ上の命令は絶対だって言ったよなぁ!?」
「いだ、いだだだだだだっ!? 割れる! マジで頭が割れる!!?」
「おーおー、先輩の言葉も理解できねぇ頭なんざ割れちまえ!」
右半身に偏ったアンバランスマッチョであるキール先輩が、その逞しい右腕でヘッドロックを仕掛け、僕の頭蓋がミシミシと悲鳴を上げる。
本気で割れそうになった僕の頭蓋を助けてくれたのはリーダーのザインさんだった。
「まぁまぁ。結果的に助けられたのは確かなんだ。それぐらいにしてやれ」
「…………っす」
大先輩のとりなしに不承不承と言った様子で僕を解放するキール先輩。僕は解放された後もしばらく鈍痛が残り、頭を押さえて地面をのたうち回った。
「それにしてもツクモ。あの状況でよく動けたな」
「え……? ああ、まあ。つっても、目についた物を適当にぶつけただけですけどね」
頭をさすりながら謙遜抜きで答える。オークの体勢や麦藁の滑りやすさ、状況が噛み合って上手くいったが、普通に躱されたり蹴り飛ばされて終わりだった可能性も高いのだから、とても誇れるようなことではない。
「初めての戦場で周りを見て考える余裕があるだけ大したもんだ。運もあったがお前の行動が仲間を救ったんだ。そこは誇っておけ」
「……うす」
「…………」
褒められて頭をかく僕をキール先輩が何とも言えない表情で睨んでいる。
ザインさんはそんな不満の気配を感じとり、ニヤリと笑って続けた。
「──まぁ、褒めるのはここまで。命令違反の罰はしっかり与えないとな」
「……え゛?」
「キール。お前の後輩は命令を無視してお前の命を救えるほど優秀らしい。まだ新人だからと甘くしてきたが、これから訓練じゃ一切遠慮はいらんぞ」
「了解です!!」
「う゛え゛ぇ……!?」
くんれんりょう が ばい に なった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【ケース③賢者の少年】
「【猛き紅蓮の炎、竜の息吹、天より墜ち、おちた──!?」
舌がもつれて呪文詠唱が途切れる。頭が真っ白になって詠唱文が抜けていく。
「早く! 早く呪文を……!!」
「っ、分かってる!」
クラスでも中心人物の一人だった少年に誘われ、四人パーティーを組んで異世界に転生し、大陸北部の蛮族退治にやってきた賢者の少年。
彼らは転生特典でリーダーの少年が魔剣士を、引き立て役の友人A、Bだった二人が賢者と聖騎士、リーダーと仲が良かったギャルが暗殺者を選んでいた。それぞれ選んで決めたというより、リーダーの少年が指示を出し、友人A、Bはそれに従った形。
魔法は使ってみたかったので賢者という職業自体に不満はないが、元の世界の力関係を異世界にまで持ち込むことに思うところがなかったと言えば嘘になる。それでも賢者の少年がリーダーに従ったのは彼と仲の良いギャルの存在があったから。恐らく聖騎士の友人も似たようなものだろう。
ギャルの目当てはどう見てもリーダーだが、リーダーの目が異世界の美女に向けばあるいは。最初からそれほど期待はしていないし、報われなくても大きな失望はない。
差し当たって暗殺者衣装で露わになったギャルの脚部に、賢者の少年は十分満足していた。
そんな軽いノリで組んだ彼らだが、リーダーの方針は想像していたよりずっと堅実だった。
スタートダッシュが肝心と意見してみたが、ゲームや漫画じゃないのだからと言われればごもっとも。確かに無理をして死ぬのは馬鹿馬鹿しいし、結局リーダーの方針で魔族よりは断然弱い蛮族相手に経験を積むことになった。
そして彼らはスペック的には格下のオーク四体相手に初陣を挑み──壊滅状態に陥った。
最初の失策は魔剣士と聖騎士がいきなりオーク相手に突っ込んでいったこと。
呪文を放てば彼らを巻き込んでしまう。賢者は初陣ゆえの連携の拙さに顔を顰め、しかしこの時点では自分の出番はなく2人がオークを切り倒して終わりだろうと甘く見ていた。
誤算は彼らが実戦の恐怖に身体が竦み、その実力を一割も発揮できなかったこと。
リーダーの魔剣士はオーク相手に一対一で防戦一方、ガタイの良い聖騎士は良い的だったのかオーク2体に棒立ちでタコ殴りにされている。防御能力に優れた聖騎士でなければとっくに命を落としていただろう。
その様子を見て暗殺者のギャルは脱兎のごとく逃げ出し、オークの1体がそれを追いかけていった。自分たちを見捨てた彼女に思うところがないわけではないが、彼女も結果的に1体を引き受けることになった訳だし、自分たちにも彼女の身を案じる余裕はない。
賢者は魔剣士の存在を一旦無視し、一人でオーク2体を請け負っている──というか殴られている──聖騎士を援護すべく呪文を唱え始めた。
この状況では援護呪文など意味を成すまい。巻き込むリスクはあっても攻撃呪文を打ち込んで倒すしかない。そう判断した──仲間の安全を気にする余裕をなくした──賢者は、複数の火球を放つ【火弾嵐】の呪文を詠唱し、オークをなぎ払おうとしたのだが──
「【猛き、たけ──炎、紅蓮、たけ……あ──」
「何やってんだよっ!?」
亀のように身を固め殴られ続けている聖騎士が悲鳴を上げるが、賢者にはそれに言い返す余裕もない。
焦りと恐怖。直接敵と対峙しているわけではないのに、早くしなければ仲間が死に自分の身が危ういという現実、仲間からのプレッシャーと痛苦の叫び。それらが賢者の少年の頭から冷静さを奪い、唇は震えて正確に詠唱を唱えることができず、そのミスが余計に焦りを生み思考を空白に堕とす。
後衛職は直接敵と向かい合う前衛職と比べ落ち着いて戦場を俯瞰できる──それは確かに事実ではあったが、ほんの僅かなプレッシャー、環境の変化で普段通りの動きが出来なくなるのが普通の人間だ。人前に立っただけで普段通り喋ることさえできなくなる者も珍しくないのに、どうして戦場でそれができると思ったのか。
「がぁっ!?」
聖騎士の側頭部にいい一撃が入り、それまで何とか持ちこたえていた彼が目に見えてよろめく。
彼がやられれば次は間違いなく自分の番。それを理解した賢者の頭は真っ赤に染まった。
「【たけ、たけき、たけ──うわぁぁぁぁぁぁッ!!」
──ヒュ、ドゴゴゴゴゴゴゴッ!!!
無秩序な炎が賢者の両手から溢れ出し、彼自身の手を焦がしながらオークに向かって放たれる。
呪文詠唱は魔術基盤に接続し、呪文の発動と効果、魔力効率を安定化させるためのものであり、必ずしも発動に必須ではない。恐怖に駆られた賢者はその豊富な魔力に任せて強引に呪文を発動させ、オーク二体をなぎ払った。
ただしその精度は見習い魔術師以下。当然ながら聖騎士を避ける余裕などなく、巻き込むどころか直撃させてしまう。
『グギャァァァァァ……ッ!』
威力だけは十二分にあった炎は、瞬く間にオークたちを炭化させ絶命させた。
その様子を荒い息を吐きながら見つめいてた賢者は、真っ黒な炭で覆われたそれにポツリ。
「はぁ……はぁ……はぁ…………佐藤?」
「──あぢぢっ! あぢぃっ!?」
「うおっ!?」
完全に炭化したかと思われていた聖騎士が突然悲鳴を上げ、表面の炭を払って元気に動き出す。炭の下から出てきた身体は多少焦げてはいるが、聖騎士本人はピンピンしていた。
「おま、無事だったのか……?」
「無事じゃねぇよ!? 痛いし熱いしマジで死ぬかと思ったわ! もっと早く助けろよ巻き込むなよ殺す気かマジふざけんなお前──」
聖騎士本人は目を吊り上げて賢者に文句を言うが、フレンドリーファイアで殺してしまったと思っていた賢者は涙目で言われるがままになっている。
聖騎士の職は魔法防御力が高く、特性で『自動回復』があるためとにかくしぶとい。こうしている間にも彼の火傷は徐々に小さくなっていった。
「良かった……良かったよぉ……!」
「良くねぇよ!! 大体お前──」
──グシャァァツ!!
泣き崩れる賢者に、聖騎士が更に文句を言おうとしたタイミングで、彼らの耳に何か硬いものが弾けるような音が聞こえてきた。
『…………』
視線をやるとそこには、オークに頭を砕かれ首から噴水のように血を吹き出す魔剣士の姿。
二人は身を固くするが、魔剣士を仕留めたオークは、二対一となったことで警戒するようにこちらを睨みつけ動かない。
しばし、戦意の薄い睨み合いが続き。
「……おい。行こうぜ」
「……ああ」
結局、賢者と聖騎士はリーダーの死体とオークをそのままに、後ずさりでその場から去って行った。
 




