39 地の底にて〜アナホリギス1
下へ下へと身体が運ばれていく。
フォリアは硬質の脚に掴まれていた。視界はほとんどない。暗い穴の壁だけが下へと身体が過ぎていると分かる。
(まだ)
穴がどこまで続くかも分からない。
引き摺り込まれず、その場で殺されてしまえば終わりなのだが。相手は自分を連れ去りたいのだから、命を取るわけがないと踏んでいた。
虫型の魔獣らしい。引き摺り込まれるとき、辛うじて脚だけが見えた。節で区切られていて、昆虫であることは見て取れたのだ。
(ここで倒すことも出来そうだけど、ここで放されたら、私、どこまで落ちる羽目になるか分からないものね)
せっかく倒したのに落下死するのでは、あまりに間が抜けている。冷静にフォリアは状況を分析していた。
掴まれていても、傷つけてこないなら、自分は神聖魔術を放つことが出来るのだ。
(だから、底まで行き着いたときが勝負)
フォリアは思い定めて、隠し持っていた杖に魔力を篭め続ける。
仕掛けるにはまだ早い。身体は下へと落ち続けている。
(この魔獣は、私が隙だらけだったから、好機に飛びついてしまった。多分、予定とは違う行動に出ているはず)
本来ならばカガミカガチで注意を引いた隙に、この魔獣が兵士や、場合によってはレックスを地の底に引き摺り込む作戦だったはずだ。
(レックス皇子抜きでは私はカガミカガチに多分手こずる。それか勝てないかもしれない)
フォリアにカガミカガチをぶつける。それがカドリの考えだったはずだ、とフォリアは見ていた。
(今なら、レックス皇子とバーガン殿とでカガミカガチと対峙しているはず)
つまり、戦う相手をカドリの思惑とは逆にしてやったのだ。
大人しく運ばれているので、考えを巡らすぐらいしか準備の他にはすることもない。
穴から出てきて、引き摺り込むまでの速さが尋常ではなかった。
(賭けの部分もあったけど。カドリという人の意図をどこまで汲んで、魔獣たちが動いているか、私には知る手段もなかったから)
細かい戦略までは分かっておらず、カドリがフォリアを欲しているところまでを、魔獣たちは理解しているのだろう。
(だから、私という手柄にこの魔獣は飛びついた。まるで、人間を相手にしているみたいだけど)
ここまで思ったところで、暗闇の中、下への動きが止まった。少し広い場所に出たような気もする。
フォリアは、目を瞑った。
「閃光」
フォリアは短く呟く。
杖の先から光がほとばしる。
ギリギリと軋むような音とともに虫型魔獣が自分を解放した。
ゆっくりと目を開きながら、フォリアは地面を転がって敵から距離を取る。弱めた杖の光によって、相手の全容も明らかになった。
「アナホリギス。なるほどね」
穴を掘る、キリギリス型の魔獣だ。茶色い身体に、通常のキリギリスと違い、前脚がシャベルのように発達している。後ろ脚の長さも跳躍しないからか短い。
(やっぱり、こっちの敵は相性が悪くない)
フォリアは見て取って判断する。
持久力に優れ、瞬発力も強い。泳げる上に、飛べる上に穴を掘れると、あらゆる環境に適応しているのだが。
(神聖魔術を防ぐ術を持たない)
硬い甲殻も光を弾くような鱗もない。
(私なら勝てる)
フォリアは光に目がくらんでもがき苦しむ相手を見て判断する。
「聖なる力よ。闇夜に満月をもたらせ」
杖を掲げてフォリアは唱える。
光の塊が生じて、アナホリギスの掘った坑道を照らす。
(どこまで伸びているのかしら)
フォリアはどこまでも伸びる道を見て思う。正確には『横穴』と称するのが正しいのだろうか。
眼の前にいるアナホリギスが進むのにちょうど良い大きさだ。他の魔獣がいる様子もない。近づくものがいれば分かる、という状況をフォリアは作っておきたかった。
(敵は一匹、今のところ)
フォリアは改めて、アナホリギスと向かい合う。
「フォリア殿っ!」
ふと頭上から声が響いてきた。
(嘘っ!殿下、どうしてっ)
さすがにフォリアも狼狽した。
カガミカガチを放置して、自分を追ってきてしまったようだ。
(大丈夫なの?バーガンさんと兵士の人たちだけで)
フォリアは急に不安になってしまう。
だが、レックスなのだ。今までの言動からして、自分が囮などして、放っておいといてくれるはずもなかった。
(私を、心配して。我が身も顧みず)
フォリアは胸に温かいものがこみ上げるのを感じた。具体的にどんなものか、言葉では分からない。
「私も予定変更。あなたを瞬殺して、すぐに上へ戻って、レックス皇子殿下と共闘して、カガミカガチも倒すわ」
フォリアは高らかに宣言した。
ずっと光でくらんだ目の辺りをかきむしっていたアナホリギスの動きが止まる。
虫に痛覚などない。ようやく視界が戻ったのだろう。正確に無表情な複眼が自分を捉えている。
相手も光に慣れた今、もう目くらましなどは通用しない。
「フォリア殿っ!無事ですかっ!下におられますかっ!?」
さらに頭上からレックスの声が尋ねてくる。
(勝負は一瞬。一撃で決着をつける)
フォリアは杖を握りしめて思い、敵と睨み合う。
レックスに、答えるのはまず敵を仕留めてからだ。
そう心に決めて、魔力を高めていくのであった。




