14 ヘングツ砦
ヘングツ砦は四囲を高い城壁で守る、堅牢な砦だ。城壁の内側には、2000人ほどが暮らす居住区も備えていた。難攻不落であり、自給自足も行える。周辺の都市が魔物に襲われれば、討って出て背後を衝く役割をも求められるほどだ。
カドリはアレックスとともに城壁の上に立っていた。
オコンネル辺境伯領では割合に西寄りに位置しているのがヘングツ砦である。ウェイドンの村とはまた逆方向でもあるところに、カドリを便利に使おうという、ベリーの意図も透けて見えるのだった。
「敵も考えているじゃないか」
カドリは城壁の上、傍らに立つアレックスに告げる。
眼下では二本足で立ち歩くネズミの魔物がいそいそと作業をしていた。魔物ではあるが勤勉である。さぼっている個体などいない。人間よりも真面目なくらいだ。
「あれは、何かを作っているのですか?」
戸惑いもあらわにアレックスが尋ねてくる。
土を固めて塔のようなものを建てていた。
「砲台だね」
端的にカドリは答えた。
土を集めて高台を作り、中には兵力を固めている。作業を邪魔できないようにしておいて、高台の上にはヘングツ砦を攻撃するための、大砲を作っていた。
砲口が不気味に自分たちの方を向いている。砲身の後ろには魔力の供給装置も既に据えられていた。
「あれは邪泥の奔流を撃ち出すつもりなのかな?完成すれば、たとえこのヘングツ砦でもひとたまりもあるまい。城壁ごと、押し流されて中にいる人間も埋まって死ぬだろうね」
カドリはじっと敵の作業を眺めて告げる。
なかなか渋い状況だ。既にかなりのところまで作業が進められているのだから。
「そんなっ、じゃぁ、なんとかしないと」
アレックスが焦りもあらわに言う。『なんとか』とは何なのかを言えないのがアレックスなのであった。
「カドリ殿、なんとかしないと、ここにいる人々は」
挙げ句、なぜだか自分を咎めるようにアレックスが言うのである。
「あれを見るんだ」
カドリは鉄扇で塔の下部、地面を指し示す。
無数のネズミが作業をしているのは泥濘の上なのだ。騎馬では攻めづらく、歩兵で攻め寄せることも出来ない。
「魔物は確かにたくさんいますが」
分かっていないアレックスが言う。
好感をカドリも抱いてはいるが、話の理解が非常に遅い。そこが魅力で楽しいときもあるのだが。
「そうじゃない。塔にところどころ穴がポツポツあるだろう。あの中だよ」
カドリはそこまで説明せざるを得なかった。
告げた穴の中には、濃い黄土色のローブを纏った魔術師たちが潜む。ローブの中は黒い毛むくじゃらの身体をした二本足で立つ魔物である。
「あれは?」
物わかりの悪いアレックスがまた訊いてくる。
「沼地の魔術師カーンドックがいるね。それもあんなにたくさん。厄介な連中さ。火やら雷やらを、泥濘に足を取られた兵士に放つのが大好きだときている」
肩をすくめ、うんざりとした気持ちを隠さずカドリは告げる。
(ざっと100はいるか?一匹でも厄介だというのに)
厄介な魔物である。泥濘を大地に作るのが上手くて、足を取られた人間を片端から魔術によって撃ち抜くのが得意でかつ強力だ。
(ヘングツ砦は簡単には落ちない。だが時間を稼ぐことは出来ても。逆に相手から大掛かりに来られると困る、と)
後回しにはしていたものの、ベリーも事態の深刻さを正確に把握していたのだろう。
「だが、ベリー。結局、解決策は私に丸投げ、ではないか」
ここにはいない旧友にカドリは言うのだった。
思わず笑ってしまう。
「では、どうすれば」
同じく解決策などまるで考えてくれない、護衛にして相棒のアレックスが言う。
だが、自分もそもそもアレックスを前衛として連れているのだ。思考することなど求めてはいない。
「一番、手っ取り早いのはまず聖女フォリアの神聖魔術でカーンドックを消し飛ばすことだ。カーンドックは特に聖なる気配を苦手とするからね」
気を取り直して説明するも、苦笑してカドリは応じた。
「そんなっ」
アレックスが苦悶の表情を浮かべる。この窮地に至って、送り出した元の主君が自分自身にとって必要、というのは確かになかなか酷だろう。
(本当にそんな、だよ)
同胞サグリヤンマが撃退されてしまった。ウェイドンの村を防衛して余裕が出来たところ、差し向けたサグリヤンマがブレイダー帝国の皇都で聖女フォリアを発見したのである。
(しかもノコノコとバルコニーに出てきてくれた好機。見逃さないのは適切な対処だったが)
自分も意見具申されて許可した。つまり自分の責任だ。
(あのレックス皇子、あれほどとは)
サグリヤンマのみとはいえ、10匹もの同胞を一人で仕留めたのである。恐ろしい剣技だった。
「私が専念できる状態にあれば、な」
思わずカドリはボヤいていた。
直接、ブレイダー帝国に単身で同胞とともに潜入し、正面からブレイダー帝国の軍勢と戦うことを避けねばならないが、聖女1人ぐらいなら難なく攫ってみせる。
「何か今、別なことをされているのですか?」
独り言を聞かれていた。アレックスが今度こそ本当に咎める口調で尋ねてくる。なぜだかじとりとした視線だ。
「うん?いや、なんでもないよ」
まさか一度は送り出したアレックスの女主人を、攫ってヘリック王子のもとで酷使しようとしている、などとは言えない。
(アレックスとしては、ブレイダー帝国で幸せになってほしいと願っているだろうからな)
それともカドリの魔獣による拉致であっても、再会を喜んでくれるだろうか。
「お楽しみなんでしょう?女性にとても人気があるようですから」
皮肉たっぷりにアレックスが言う。
(何か誤解があるようだ)
ヘングツ砦に至る道中でも、ここヘングツ砦の居住区でも女性に囲まれて、歌を聞かせる羽目にしばしば陥っていた。
自分にとっても声の調子や容姿を整えておく必要があるので、可能な限り応じるようにはしている。人目を引きつけることがカドリとしての能力の基本なのだ。
「散々、君を付き合わせてしまったからね。気分を害させて悪かったが、今後もこういう機会はしばしばあるから勘弁しておくれ」
カドリは鉄扇の陰で苦笑いを浮かべて告げる。
「そういうことではありません」
しかし、どこまでも硬い表情のままアレックスが返してくる。
(今までにもまったく、無かったわけでもないが。アレックス、君もか)
昔から同性にやっかみを受けることが、ないでもなかった。カドリとしてはどうでも良かったので放置である。大概は時間が解決してくれたのだ。
本当に、にっちもさっちもいかなくなったなら、歌えばいい。自分はカドリなのだ。
(だが、アレックスにはそんな手段を使いたくはないからな)
腕利きであり、カドリの術への親和性も高い。ともに戦い続ければ、さらに練度を上げることも、信頼関係を構築することも出来るだろう。
(ふむ、私はアレックスと信頼関係を作りたいのか)
カドリとしては驚くべき感情の発露であり、故に今、気まずい沈黙を維持しているのだった。同胞は今まで魔獣だったが、人間の同胞も欲しいというのか。
(アレックスならば、或いはまぁ、無理もないか)
なんとなくカドリはアレックスを横目で盗み見して思うのだった。
今は黙って、砲台を建築する魔物たちの作業を2人、並んで見下ろしている格好だ。
やがて沈黙に耐えられなくなったのか。アレックスが無言で離れ、階段を降りていく。少し頭を冷やそうとでも思ったのだろう。
(さて、敵の主力はカーンドックか。魔物のくせに戦略的な建築などとは小癪だが)
考えつつカドリは鉄扇の陰で薄ら笑いを浮かべたまま、敵の作業を見守り続けるのであった。