13 皇都ヴェストゥル〜サグリヤンマ
なぜか、ベルナレク王国を出るなり、シークスジャッカルを最後に魔獣の襲撃が止んだ。
無事、聖女フォリアはレックス皇子とともにブレイダー帝国皇都ヴェストゥルに到着していた。道中の村々でも、レックスも護衛たちも常に気を張ってくれていたのだが。
(でも、杞憂だった。誰が企んでいた襲撃かは分からないけど、多分、国外では魔獣を呼べないか扱えないか、だったのかもしれない)
今、フォリアは皇城にあてがわれた客室にいる。
到着したのは今日の夕刻だった。簡単な挨拶だけをレックスの父帝に行い、明日以降、正式な儀式や式典を行うのだという。
湯浴みをして、旅の垢を落としたところだった。
(ベルナレクの人々は今頃、苦しんでいるかもしれないというのに)
どうしようもなく、さっぱりとした気分となってしまう自分をフォリアは恥じた。
理性では逃げてくるより他なかったのだと分かってはいても。
(皇帝陛下も歓迎してくださった)
息子のレックスと自分とを見比べるなり、『よくやった』と皇帝が皇子の肩を叩いたのだった。息子のレックスが『根気の勝利です』などと言うと、宰相だという貴族の人に睨まれていたのだが。
「いかがですか?我らが皇都ヴェストゥルの夜景は」
背後の扉からレックスが入ってくる。
紺色のボタンシャツに薄い黒色のズボン姿だ。整った容姿と相まって、フォリアは目を奪われてしまう。
進入を咎めることは出来ない。部屋の扉を開放していたのは自分なのだ。風が気持ちよくて、風通しをもっと良くしようと思って、扉まで開けてしまったのである。
「失礼、無遠慮に過ぎましたか?ともに旅をして、2度の襲撃を乗り越えて。近くなったように感じてしまいました」
優しい微笑みを浮かべて、レックスが反省する。
もう夜半ではあるが、ポツポツと灯が残っていた。ベルナレク王国よりも栄えているだけあって、民の活動が夜も盛んなのだ。
(まるで、星空みたい)
フォリアにあてがわれたのはおそらく良い客室なのだろう。高い階にあって、見晴らしが良い。
見下ろす町並みが闇に沈む中、残る灯火が星のようなのだ。
「とても、美しい町で、気候も穏やかで、素敵です」
手放しでフォリアは褒め称える。自然、顔がほころんでしまう。
安心したような笑顔をレックスも浮かべた。
「ほっとしました。あなたが笑ってくださると、私の心もホッと温かくなるので」
レックスがさらに歩み寄ってきて告げる。
侍女や護衛も近くにはいない。レックスが人払いした上でここに来ているのであろうか。2人きりになりたいというレックスと、してあげようという周りの配慮が、なんとなくフォリアにとってはこそばゆい。
「すいません。こんな素敵な場所に置いて頂いて。私はまだ、この国の役には立っていないのに」
フォリアは忸怩たる思いだった。悪くは扱われないだろうという打算が本当に自分にはなかったのか。自問してしまう。
「いいのですよ。お忘れですか?私の方からあなたに言い寄って、来てもらったんですから。あなたが引け目に思うことなど何も無いのです」
どこまでも優しくレックスが告げるのだった。
「ところで、この城の上階にバルコニーがあります。夜風を浴びて、夜景も楽しんで頂きたくて、お誘いにあがったのですよ」
自分の隣にまで至り、レックスが言う。バルコニーならば屋根がある。頭上から襲われる懸念もない。なんとなくフォリアは考えてしまうのだった。
(考えすぎだわ。今更、オオツメコウモリみたいな魔獣が、しかも皇城になんて攻めてくるわけない)
少し神経が張り詰めているのかもしれない。レックスの誘いに乗るのも悪くないと思えた。
「はい。ご一緒してもよろしいですか?」
フォリアは立ち上がる。
嬉しそうにレックスが自分の手を取って上階のバルコニーへと向かう。自分のいたところが4階だった。五階の一室から外に出られるのである。
2人でバルコニーへと出た。広さは3ペレク(約12メートル)四方もある。
「風が気持ちいいですね」
目を瞑ってフォリアは告げる。
目を開くと、視界を何かが横切ったように見えた。風を切るようなかすかな音も聞こえる。
「ええ」
自分をニコニコと眺めていたレックスが答えるも、すぐに顔を強張らせた。
やはり妙な音も引き続き聞こえ、何かが夜の闇の中を動き続けている。
「くっ、いかん、油断した!」
レックスが即座に抜剣する。夜空の中に敵がいるのだ。
フォリアも肌身を緊張させる。
「フォリア殿。相手は素早い上にここは高所だ。私のそばをとにかく離れないでください」
レックスが告げると、剣で何かに斬り付ける。
刃の当たる、音がした。空中で何かが滑るように墜落し、バルコニーに落ちた。
「トンボ?」
フォリアは驚いて告げる。
死体が即座に消えてしまう。シークスジャッカルやオオツメコウモリのときと同様だ。
「フォリア殿!呆けるな!屋内へ逃げるのです!」
レックスがフォリアの身を案じて叫ぶ。
「いえ、もう手遅れです」
既に一匹のトンボが自分たちと出入り口との間に滞空して立ちふさがっていた。
「これはサグリヤンマですね。空中戦に秀でた魔獣です」
フォリアは夜闇に溶けるような黒色の身体を見て告げる。
バルコニーの屋根がなければ、強靭な6本足で真上から鷲掴みにされて捕まっていたかもしれない。
「ぬんっ」
再びレックスが飛びかかってきたサグリヤンマを斬り倒す。あまりの速さに剣筋がフォリアには追えない。
(それに威力も)
サグリヤンマを一撃のもとに両断し続けているのだ。フォリアは感嘆し続けていた。
「すごいです。殿下、サグリヤンマの速さに対応出来るなんて」
フォリアは口に出さずにはいられなかった。自分の護衛団の精鋭たちですら、連携するなり自分が助けるなりして、初めて仕留められていたものだ。
「狙いがわかりきってさえいれば、速さなど。さほど問題ではありませんよ」
再び剣を一閃させてレックスが告げる。
今のは見えた。まるでサグリヤンマが自ら剣にあたったかのように見える。
(どういうこと?それにサグリヤンマ、一体、何匹いるの?もともと単独で行動する魔獣なのに)
何者かの意志で操られているかのようだ。フォリアは杖のない自身を心細く思いつつ、レックスから離れない。
「誰かは分かる気もしますが。あなたをベルナレクへ連れ戻したいという意図が透けて見える。だが、あなたに向かってくると分かっていれば、合わせるのは容易い」
薄く笑って、レックスが言う。ここまで5匹ものサグリヤンマを倒している。息も切らしていない。
ようやくフォリアも察した。狙いは自分なのだ。自分の元へ真っ直ぐ向かってくると分かっていれば、たやすく対処出来る。
(そんなわけないでしょ)
フォリアはすぐに内心で否定する。
レックスの剣技が異常なのだ。
(この御方が一緒じゃなかったら、私)
まるで夜空の下で踊るかのようにレックスが動いていた。
もし、レックスがいなかったら、或いは傍にいるのがレックスでなかったなら。容易くサグリヤンマに捕まって、ベルナレク王国への意にそぐわぬ帰国を強制されていたのではないか。
レックスの剣が一閃され、月の光を弾くたび、白い光を放つ。
「よしっ、襲撃が止んだっ!」
レックスが自分の手を引いて走り出す。
立ち塞がっていた一匹もいつの間にか仕留められていた。どうやら仲間がやられたことで、襲いかからざるを得なくなり、返り討ちとなったのだろう。
廊下に至り、屋内へと逃れた。もう魔獣の気配を感じない。
「おそらく、全て倒したと思います」
さすがに息を切らせて、レックスが告げる。息を整えるためか身体を腰から曲げ、両手を両膝についていた。
倒した数が分からない。切り倒すと死骸が消えてしまうからだ。
(この襲撃は、証拠が残っていない。私と殿下の秘密、ね)
なんとも物騒な秘密だ。思わずフォリアは口元を綻ばせてしまう。
「どうかしましたか?フォリア殿は戦闘がお好きなのかな?」
皮肉な笑顔でレックスが言う。
「違います!こんなことだけど、その、私と殿下しか知らないことだから、その、秘密だなって思うと」
思わずフォリアは馬鹿げた自身の感慨を披露してしまった。
「はは、秘密の共有ですか。確かに、なんだか良いですね」
レックスも楽しげに笑う。
2人で笑い合う格好となった。
「それにしても、細かいことは分かりませんが、魔獣使いはやはり、何か片手間のようにして、あなたを取り戻そうとしているようだ」
息を落ち着けたレックスが告げる。
「え?どういうことです?」
フォリアは笑みを引っ込めて尋ねる。
もともと自分たちを2人きりにするはずだったから、誰もまだ駆けつけては来ない。
「わざわざこんな皇城で襲わなくとも、国境から皇都に至るまで、いくらでも襲う機会はありました。ここだって、たまたま私達がバルコニーに出てしまったから、運が良いとばかりに襲えたというだけでしょう」
レックスが真剣な顔で説明してくれる。端正な顔が今度は真剣な顔をしていて、それはそれでフォリアは目を奪われてしまうのだった。
「それに、今まで襲ってきた、オオツメコウモリやシークスジャッカル。今回のサグリヤンマもですか?似たような傾向の魔獣ですね。索敵が上手くて機動力に長ける。敵はまず我々を探すところから、あなたの拉致を行わざるを得なくなっているのでしょう」
さらにレックスが言うのだった。
「私、片手間で襲われてるんですね」
思わずフォリアは頬を膨らませてしまう。
本腰を入れて襲われたいというわけでもないのだが。
「ははは、もちろん、警戒は緩められませんが。どんなときでも。それぐらい、あなたは大切だ。ですが」
レックスが言葉を切った。
「ベルナレク王国が苦しくなればなるほど、あなたは安全になるということには、なるのかもしれませんね」
少し気まずそうに、レックスが言うのであった。




