12 オコンネル辺境伯領の太陽
オコンネル辺境伯の居城オイレン、その城下町にカドリはアレックスとともにたどり着いた。
「歩きでも良かったのだかね」
苦笑いしてカドリは硬い表情のアレックスに告げる。
一応、客分ということで馬車を手配してもらえたのだが、軍馬の脚には遠く及ばない。
「お急ぎだからでしょう。やむを得ません」
生真面目なアレックスが言う。アレックス自身が、自分にそう言い聞かせて納得をさせていたのだと、容易く想像がつく。
カドリは思わず笑ってしまった。
「それにしても、いつ来てもすごい賑いですね。地方都市とは思えないぐらい」
アレックスが町並みをキョロキョロと見回して告げる。
「ベリーにはそういう才能もあるらしいからね」
統治の天才だ。軍学にも明るい。ベルナレク王国各地の領主の中で、もっとも頼りになる男が、『魔窟』との境を領土としているのはカドリにとって大きかった。
返答に困ったのか。アレックスが石造りの舗装道路を歩き出した。
分かりやすいアレックスの反応もまた楽しみつつ、カドリも後に続いて歩く。更になにか言って、からかってやろうとも思ったのだが。
「キャーッ、カドリ様よっ!」
黄色い声が響き、自分を指差す女性の一団が視界に入る。
よくあることだった。このまま立ち尽くしていると、すぐに取り囲まれて、にっちもさっちもいかなくなる。
無言でカドリはアレックスに目配せをして駆け出した。
「えっ?えっ?」
分けのわからぬまま、追い抜かれたアレックスが追いかけてくる。
「まったく、オチオチ、道を歩いてもいられない」
走りながらカドリはこぼす。
歌や容姿のせいで、雨乞いの度に街の女性たちを魅了してしまうのである。ひどいときには男性もだ。
姿絵なども高値で取引されていると聞く。人の商魂はたくましいものだと思う。
「大人気なんですね」
横に並んだアレックスがじとりとした視線を向けてくる。
「いずれ、君も似たようなものになるさ」
カドリは薄く笑って返す。秀麗な容姿のアレックスである。人目に多く触れれば、その分だけ惹きつけることだろう。
「敬われることはないのだがね」
更に続けてカドリは告げた。
所詮は雨乞いなのだ。先祖代々、歌い、舞い、雨を呼び続けてきた。魅了せねば雨雲だって呼べない。
「城へ急ぎましょう。なんだか、騒がしくなる一方じゃないですか」
なぜだか咎めるような口調でアレックスが促す。
(私が悪いわけじゃないだろう)
流石にカドリは思うのだった。
どう考えても走るよりも音のほうが速い。つまり自分の出現という情報の伝わるほうが早いのだ。
進行方向にも女性の華やかな色味の服装が目に入り始めている。
「別に私は悪くないよ」
カドリは念押しのつもりで述べる。
だがアレックスには無視された。つれない護衛なのである。
ウェイドンの村を守る戦いを終えてなお、当然のように同道はしてくれていた。特に頼んだわけでもないので、カドリとしては素直に嬉しい。
(都度、人々の助けを受けることはあっても)
自分には仲間と呼べる人間はいなかった。
人の中にあって孤独な存在である。
歌の巧拙や容姿の美醜について、もてはやされることはあっても、自分の人間性や働きについて評価されることはない。
たとえ不満という感情であっても、素直に見せてくれるアレックスには、カドリも好感を抱きつつある。
(このまま戦い続ければ、アレックスは戦友とでも呼ぶべき存在となるかもしれない。それは、魔獣である同胞たちとは、また別のものだ)
思いつつ駆け足で城下町を抜けて、オイレン城の正門に至る。さすがに人々も城に押しかけることまではしない。
だが遠目には見えていたのだろう。
正門の守衛に対し、名乗るとすぐに中へと通された。迫りくる人々の群れに恐れをなしたらしい。
「よく来た」
執務室に通されると、私服姿のベリーが告げる。華美なものではなく、黒を貴重とした簡素なものだ。また、ベリーもすぐに出撃するつもりではあるのだろう。
執務机の上にはベルナレク王国の地図が広げられており、各所に赤い線や☓印が混在している。
「本当は帰ってほしいんじゃないか?」
地図を一瞥し、カドリは笑って告げた。赤いものが多いと不穏な気がする。
自分のことを武人らしく男らしいところのあるベリーが苦手としていることは、丸わかりだ。
アレックスも決まり悪そうな顔をする。
「そんなことはない」
露骨に苦虫を噛み潰したような顔でベリーが応じる。
場にいる3人のうち2人が苦い表情なのであった。
「お前の力はよく分かっている。来てくれて助かった」
言葉の上では手放しで労ってくれるのであった。
「村人や兵士たちが勇敢だった。ここにいるアレックスの働きも大きかったな」
自分はただ歌い、舞っていただけだ。本当はグロンジュラのことも賞賛したかったがやめておいた。どうせ理解も共感も得られない。
「あれは、私の実力では、はうっ」
アレックスが余計ごとを言おうとしたので、鉄扇で尻を叩いてやった。手柄なのだからおとなしく受けておけばいいのである。
「他の人間ではあれほどの力は出せないよ」
尻を押さえて黙り込み、恨めしげに睨むアレックスに、カドリは素っ気なく告げた。
「とにかく、助けてくれるのは有り難い。何せ、聖女がいなくなったのだからな」
ベリーが自分とアレックスとの会話を断ち切るように告げる。
「あれは、私にも責任があるよ。引き止めにしくじったからね」
肩をすくめてカドリは告げる。
当然、まだ諦めてはいない。次の同胞を差し向けている。国境を越えられてからは自分も手出しをする余力がなかった。既にブレイダー帝国の皇都近くに至っていることだろう。
だが、アレックスの前では口外できることではなかった。
「あれは、あの王子のせいだろう。どう考えても」
すげなくベリーが言う。昔から、ベリーとヘリック王子とは反りが合わなかった。事あるごとに口論をしていたものだ。
「聖教会の面子を潰して、聖女を失う羽目になった。少しでも落ち着いたら、俺はあいつの責任を追及するつもりだ」
鼻息荒く、ベリーが言い放つ。
厳密な身分としては未だ聖教会の一員となるアレックスも強張った顔をしていた。
「それに税の減免もな。軍費が自己負担となっている。あり得ないだろう、こんなことは」
更に不満もあらわにベリーが言う。
ことの是非は分からないが、戦闘続きのオコンネル辺境伯領である。経済的に苦しいことぐらいは容易に想像がつく。
「君のところはまだ良い方だろう?兵士は多く、おまけに屈強だ。レグダの前線以外は、私が力を貸さなくとも持ち堪えているじゃないか」
カドリは薄く笑みを浮かべたまま指摘する。
ベリー麾下のオコンネル辺境伯領の軍隊は精強で知られているのだ。
町の人々にも比較的に余裕があるように見えた。本当に攻め込まれればもっと殺伐としている。
「それでもギリギリだ。魔物がわらわらと際限なく北から湧いてくるからな」
ベリーが零すのだった。
聖女フォリアに結界の修復を行わせないと、この苦しい情勢は悪化する一方なのだ。
「まぁ、うちはいざとなれば、大物をカドリに倒してもらう目処がついたからな。そう、悲観しすぎることもないか」
ベリーが豪快に笑った。
自分に大物を押し付ける宣言である。
(あまりアテにされすぎても困る)
自分は歯牙ない雨乞いなのだ。
カドリはきちんと釘を差しておこうと思い、口を開きかけるも言葉を発するには至らなかった。
「お兄様っ!カドリ様がいらしてるんでしょう?なんで仰ってくださらないのっ?!」
黄色いヒラヒラとした服を着た少女が飛び込んできた。
「おや、マリー様」
カドリは現れた少女に頭を下げる。
マリー・オコンネル、ベリーの実妹だ。日頃は隠棲した両親とともに城の離れで暮らしているのだという。
カドリとも旧知の仲だった。弱冠14歳だが、明るい人柄と可憐な容姿とで『オコンネル辺境伯領の太陽』と呼ばれている。
「かしましいからに決まってる」
ボソッとベリーが零す。
「カドリ様、お久しぶりです」
改めてマリーがカドリの方へと向き直り、綺麗なお辞儀を決める。
「マリー、今は仕事の大事な話中だ」
尚、苦い顔のまま、ベリーが妹に告げた。
歌の上手い自分に対して、マリーが好意を示してくれるからだ。
「どうせ、カドリ様に魔物討伐を押し付けるお話でしょう?」
唇を尖らせてマリーが指摘する。確かにそういう話だった。
隣に立つアレックスがなぜだか神妙な顔で横を向く。
「人聞きの悪いことを言うな。押し付けるばかりじゃない。我々もやるべきことをやる」
ベリーが妹をたしなめる。
確かに辺境伯でありながら自ら馬を駆り、槍を執るベリーとしては、妹からのこんな言われようは心外だろう。
「私も、人々を助けることに、どうのこうの、という屈託はありませんよ」
穏やかに笑ってカドリは告げる。
「誰の領土だ、役割だ、と言っていられる状況ではありませんから」
国難である。そして、最も魔物の襲来に悩まされているのがオコンネル辺境伯領であるというだけだ。
「素敵なお心がけです」
マリーが惚れ惚れとした視線を自分に向けてくる。ベリーが気まずそうだ。
「カドリは心がけだけじゃないけどな」
ポツリとベリーが口を挟む。
「もうっ!お兄様っ!私がカドリ様とお話してるのに」
マリーが兄を叱りつける。
「それを言うなら、俺の方が先に話をしていたんだ。カドリ、とりあえず次の激戦はヘングツ砦になると俺は見ている。報告もかなり切羽詰まっている」
無理やり、ベリーが話を戦略に戻した。
「だが、そこさえ撃退すれば、あとは小物ばかり。少なくともしばらくは、オコンネル辺境伯領は大丈夫だ」
つまり大物が現れているのだろう。確かに一人一人の兵士が屈強なオコンネル辺境伯領の軍であれば、大物さえ倒しておけば、かなりの粘り強さを発揮する。
「分かった。私がヘングツ砦に向かおう」
カドリはアレックスを見て告げる。
「カドリ様、その方は?」
何故か切羽詰まった表情でマリーがアレックスと自分とを見比べて尋ねる。
「私の護衛です。腕利きですよ」
カドリの紹介に、2人ともに微妙な表情を浮かべた。
「3人とも、そういう話は戦いが終わってからにしてくれ」
ベリーからも妙なことを言われ、カドリはヘングツ砦に向かうこととなったのであった。