VS吸血鬼ハンター
あれから俺は十五歳になった。
真祖を殺すために今日も訓練を続ける。全面真っ白な地下室で。
白い天井から声が聞こえる。もちろん神のお告げなんかじゃない。
「プリヴェット! 今日はバンの誕生日デース! そこで……、あっ――」
ブツッと音がして通信が途絶えた。
「ノーニャ? どうかしたのか?」
真っ白な地下室は二十メートル四方の部屋で、扉は一つしかない。
その扉の電子ロックが外から解除されたみたいだ。
扉が開いた瞬間、おかしなことに喉が乾いて乾いて仕方なくなった。
「な、なんだ……? この乾き方は」
ああ、乾きすぎて痛いくらいだ。
掻きむしっても乾きが収まらない。
「吸血衝動さ。そうだろ、ノーニャ所長」
いつの間にか扉の前に男が立っていた。黒い肌で、上半身の黒いタンクトップには筋肉が浮き出ている。
誰だこいつ? 迷彩柄のミリタリーパンツと肩のホルスターに掛けた銃を見る限り、軍人のようだけど……。
「逃げてクダサーイ! この男は機関の吸血鬼狩りデース!」
ノーニャの声がした。
その方へ目をやるといっそう乾きが増してくる。ノーニャの白い体から赤い血が出ている。
「ううっ」
「ダイジョーブ、その乾きはワタシが何とかシマスノデ」
ノーニャが微笑んだ後、俺の首がチクリと傷んだ。頭がぼんやりとする。だが、乾きはすぐに収まった。
「ほう、それが所長の開発したチョーカーか。どれほどのものか試してやる」
「キャアッ」
男に腕を掴まれていたノーニャだったが、男から突き飛ばされる。
「ノーニャ!」
吸血鬼狩りという男は鋭角なサングラスをしていて表情が読み取れない。
だが、姿勢を低くして戦う構えを見せていた。
……来る!
俺は男の姿が消えた瞬間に右の手刀で空を――
キィィィン!!!!
男の取り出した銀のダガーを斬り上げた。
刃渡りが三十センチはある。ダガーというよりもウェディングナイフだ。ご丁寧に十字架が模してある。
「ほう、銀に触れても灰化しないとはな」
男は低い声で唸った。
だが、明らかに首を切断する位置にナイフがあった。
読みが外れていたら死んでいた。
「あいにく俺は吸血鬼化してても人間なんでね!」
反撃。
銀炎術をまとわせた徒手空拳だ。呼吸により肺を活性化させ、銀の炎を操る。銀炎の領域に踏み込んだ対象を瞬時に灰と化す。
「これがお前の銀炎術か。懐かしい。だが、まだまだだ」
徒手空拳をすべて躱された。
それだけじゃない。完全に距離を取られて攻撃が届かない。
沈黙が流れた。
「……その口ぶり、父さんを知っているのか?」
「もちろん。この機関を作った男だ。私の師匠でもある」
「なら!」
襲う理由がないはずだ。
「その息子が吸血鬼とは嘆かわしい。死んで詫びろ」
……機関も一枚岩ではないということか。
「吸血鬼狩りに俺もなる。死ぬのは真祖を討ってからだ」
「フン、威勢が良いのは認めてやる。だが、お前は父ほど銀炎術を使いこなせていない」
「くっ」
「図星か。お前は銀炎をエンチャントできないようだな。それじゃあ銀の弾丸は撃てやしない」
父さんのように銃弾に銀の炎を纏わせることが俺にはできない。
「それはどうかな?」
だが、触れているところを伝わって着火させることができる。
「火炎土竜!」
男の足元から銀の炎が吹き出る。
「何ッ!?」
男が炎を躱す。
この技はこけおどし。威力も無いし、呼吸が乱れる。
「はぁっ、はぁっ! 今だッ!」
足元で銀の炎を爆破させる。ロケットのごとく跳躍。
今までの倍早い移動からの拳が男の胸に直撃する。
運動エネルギーは質量×速度の二乗。速度が二倍になら、威力は四倍だ。
「ウゴオオオオ!!」
「ぶっ飛べ!!」
男が吹き飛び、白い壁に激突する。
壁の表面が粉々に砕けて、断熱材が露出した。
男は壁に背中を預けたまま床に腰を下ろして沈黙している。
「バロック!」
ノーニャが男に駆け寄った。
え? どういうこと?
「ハハハハハ! すごい成長だな。うん、ノーニャさん、これは戦力になる」
男は大笑いして、心配するノーニャを困らせた。
ノーニャは「笑ってる場合じゃないのデース!」と男の燃えてるタンクトップを鎮火した。
◆
「つまり、バロックのおっさんは機関の偉い人で、腕試しとして俺と戦ったってことか?」
訓練室であぐらをかいて座る黒人のおっさんに俺はそう尋ねた。
「その通りだ。だが、よく確かめさせてもらった。体は吸血鬼、頭は人間の半吸血鬼。人体の限界まで戦闘能力と再生能力を引き出せるのか」
片や胸に火傷を負った男。片や戦いで負った傷が全快している俺。
「それにしてもやり過ぎじゃないか。ノーニャが血を流すなんて」
「それに関しては私もそう思う。ノーニャさんの申し出で渋々従ったが、酷い罪悪感だ。二度としたくない」
ノーニャは舌をぺろっ☆と出しておどけた。
儚げな美少女風の外見をしているが、中身は実験大好きマッドサイエンティストなのである。
「やれやれ。そうだ、バン。銀炎術も見事だったぞ。まだ伸びしろはあるから鍛錬に励め」
「あ、ああ」
俺は気恥ずかしくなって目をそらす。
「うん、良いだろう。ノーニャさん、機関はあなたの申請を許可する」
ノーニャはキョトンとして、目をキラキラと輝かせた。
「本当デスカ!?」
バロックはうなずくと、カバンからタブレット端末を取り出して、俺に見せた。
「黒曜バン、君に初任務だ」
「初任務!? やる! 何をすれば良い? 真祖を討つのか!?」
「待て待て。話を聞け」
タブレット端末に手を伸ばす俺を片手で押さえつける。
腕のリーチ的にギリギリ届かない。くそ。
「分かった。早く教えてくれ!」
この時をずっと待っていたんだ。
さあ、どんな任務なんだ。
「結論から伝えよう。君を吸血鬼化させた吸血鬼を探し出す任務だ」
「俺を吸血鬼化させた吸血鬼……。あの子か……」
台所でナイフが胸に刺さって動けなくなっていたのを俺が助けた。
それに、真祖が近づいてくるから逃げろとまで言っていた。
「君がその吸血鬼にどんな思い入れがあるかは知らないが、奴を討たねば君の体は完全に吸血鬼化する」
バロックがノーニャに目配せをすると、ノーニャが自前のタブレット端末を俺の前に差し出した。
人体模型のイメージがある。
「バンの体はすでに約80%が吸血鬼化してイマス。これは脳を除いた数値デース!」
「残り20%が吸血鬼になるとどうなるんだ?」
「食事、呼吸が出来なくなりマース。つまり、脳も吸血鬼化しなけレバ、脳が死ぬと予想されるのデース!」
言葉に詰まる。
たしか最初は50%だった。それが五年経って80%。じゃあ単純計算で残り約三年が俺の寿命ってことになる。
バロックが落ち込む俺の胸を小突いた。ちょうど心臓のあたりだ。
「そういうことだ。バン、君はまず、人間に戻ることを最優先しろ」
「俺は人間に戻れるのか?」
ノーニャが割り込んで答える。
「主を討てば人間に戻れマース! 真祖に血が近い一体を討った時、多くの吸血鬼が人間に戻りマシタ。ただ、吸血鬼だった時の記憶が無くなっていて、――浦島太郎だったのデース! 日本ではこう言うんデショウ?」
いや、そう言うのは聞いたこと無いけど。
「分かった。でも、この吸血鬼の体はパワーが段違いだ。この体のまま真祖を討てないのか?」
「それは分かりまセーン! ただ、主の吸血鬼は自分が噛んだ相手、そしてその相手が噛んだ相手と連鎖する血縁に対し、絶対服従の命令を下せマース! 真祖のすべての吸血鬼の頂点。吸血鬼の力では真祖を倒せない可能性が高いデース!」
「俺の脳は人間なんだろ? なら大丈夫かもしれ……」
可能性を話そうとした俺をバロックが制した。
「真祖は機関が国連になる前から追っているんだ。そう簡単に見つからない。バン、君の時間は限られているが、相手は不老不死だ。真祖を討つ前に君が完全に吸血鬼化してしまっては、銀炎術も使えなくなる。良いのか? まずは未来を手に入れろ」
俺は右手を眺める。強く握り込むと拳の中で火がくすぶった。
父さんから受け継いだ力。それを失うリスクを考えろってことか。
そういうのは求めていない。
「悪いが、俺の願いは未来には無い」
「おい、バン」
バロックは少し強い口調で俺をなだめようとした。
すかさず言葉を続ける。
「俺は真祖を討つためなら何でもする。機関の命令にも従う。あんたらが言ったんだ、仲間ではなく味方だと。なら、俺を使えよ」
バロックもノーニャもため息を吐いた。
「悪かった。君を子供扱いするつもりは無かったが、……君は師匠に似ているから、つい、な」
「そうデスネ。もう時間が来たようデース! バロック、ブリーフィングの準備を」
ノーニャがバロックにそう言うと、彼はカバンから分厚い資料を取り出した。
「これを読んでおけ。任務は半年後だ。先に概要だけ説明しておく。いいな?」
「ああ」
「我々はキミの価値を高く見積もっている。この任務で一番大事なことは、吸血鬼化しないことだ」
「もちろんだ」
「そこで噛んだ吸血鬼の居場所を予想を付けた。そいつがキミと同い年くらいの子供だったとするなら、日本では未熟な吸血鬼を管理する施設が一つだけある。霧宮学園だ」
タブレット端末で場所が示された。
湖にある島らしい。大都市と大都市の間をえぐるようにして巨大な湖がある。
「学校か……。五年も通ってないぞ」
「ああ。だから資料がある。霧宮学園は各地の有力者の子供もいれば、慈善事業として身寄りの無い子供も通っていることになっているが、実態は全員吸血鬼の学園だ。いずれも完全に吸血鬼化していない。とはいえ吸血鬼。そんな吸血鬼が人間に紛れて暮らす知恵を教えていると、潜入捜査官からの調べで分かっている」
各地に拠点を作って吸血鬼を増やしているというのは知っていた。
だが、学校レベルの規模で増やしているだなんて。
「キミはこの学園に編入し、吸血鬼にまぎれて主を探せ。まあ、君自身もう半分は吸血鬼だから早々バレることもないだろう。ただ、銀炎術や機関の話は危険だ。人間に協力している吸血鬼だと分かれば処刑される」
「待て、さっきの話だと主の吸血鬼に絶対服従になるんだろ? 大丈夫なのか?」
またしてもノーニャが割り込んだ。
「大丈夫じゃないデース! バンの任務は探すだけデース。機関の討伐チームが執行シマース!」
「つまり、本人の特定を俺がするのか? だが、記憶が曖昧なんだ……」
父さんが死んだ日の記憶を俺はほとんど思い出せなかった。
頭を切断した後遺症らしい。そんなことで特定なんて出来るのだろうか?
「どうやって主を探すかデスガ……、簡単デース! 主を見ればスグ分かりマース。それは運命的な相手だとか、ビビッと電流が走ったようだとか、色々と言われていマスガ、要は恋をするのデース!」
「は……? 恋? おい、おっさん、そんなの馬鹿げてるよな?」
「まあそうだな。でも、本当だ」
バロックは淡々と答えた。マジらしい。
「バン、初恋の経験は? あっ、オネーサンに恋をしてマスカ?」
にこりとノーニャが微笑んだ。可愛い。でも、中身はマッドサイエンティストだ。
「……そう、してないデスカ」
シュンと気を落とした。ちょっと申し訳ない気持ちになる。ノーニャが血を流すのを二度としたくないと言ったバロックの気持ちが分かった。
「なら、俺は初恋の相手が殺すべき相手なのか」
「皮肉だと思いマシタ? 偽りの恋心だから気にしなくて良いデース! そんなもの打ち砕いて人間に戻りマショウ! そして本物の恋をすれば良いのデース!」
「いや、恋なんて俺にはどうでもいい。任務をこなすだけだ」
バロックがうなずく。
「それで良い。この任務は難しい任務ではない。相手は未熟な吸血鬼で、誰がターゲットかはスグに分かる。訓練通りにやれば失敗しない。もう一度聞いておこう。君の最終目標は?」
「真祖を殺すこと」
「うん、それでいい。ただ、あくまでターゲットのみを討て。それ以外の吸血鬼は狙うな。ターゲットは真祖と行動していたらしいが、今の状態で真祖を狙っても君に勝ち目はない」
「分かってる」
でも、いざという時、俺が冷静さを保っていられる自信は無かった。
「それ以外の吸血鬼には真祖以外の吸血鬼も含むことを忘れるな。今や機関も流れが変わった。吸血鬼を人間に戻せると分かったから、殺すのではなく拘束するようにってのが国連の意向だ。まったく現場はそれどころじゃないのだがな……」
バロックは小声で本音を漏らした。中間管理職で板挟みなのだろう。俺にその辛さは分からないが。
「まあいい。では、今日から学園生活の訓練だ。訓練期間は半年。夏休み開けからの編入だ。それまでに学園のありとあらゆるを学べ。ノーニャからレクチャーを受けろ」
「……大丈夫なのか?」
ノーニャがまともに学校のことを教えてくれる気がしなかった。
「ダイジョーブ! そうデスネ~、まずはワタシおすすめニッポンの漫画を読みマショウ!」
そう言ってタブレット端末に目がキラキラした少女の絵が描かれた漫画を表示した。
俺はバロックに再び尋ねる。
「大丈夫なのか?」
「これも任務だ」
俺はもう頷くしかなかった。
だが、これで真祖へと近づける。
この復讐は必ずだ。待っていろ、俺はスグにでもお前を討つ。
黒曜バン立志編おわりです。最後が長くなりましてすいません。