吸血鬼狩り
鬱蒼とした森の中は霧が漂っていた。
俺は大樹に身を隠し、ある男の背中を追いかける。
――バレてはいけない。
今日で俺は十歳だ。なのに父さんは「家から出るな」の一点張りで、何の仕事をしてるのか、どうしていつも血まみれで帰ってくるのか、そういう大事なことはちっとも教えてくれないから。
今日こそ謎を解き明かしてやろうってわけだ。
父さんを追った先で不気味な館が現れた。だが、傍らにはパトカーが停まって、ランプを灯している。物々しい雰囲気なのに迷わず父さんは足を踏み入れた。太った警察官が父さんに敬礼をした。父さんはその足で館へ入る。
そうか、父さんは刑事なんだ!
ヨレヨレのカーキ色したコートだし、あれの中にナイフや銃が入っているのを知っている。
俺は腰のポーチに手をやった。重く、冷たいそれに触れる。銃だ。正確には父さんの銃だが。これさえあれば俺だって大人に太刀打ちできる。銃を持ってる奴なんて日本にはほとんど居ないからだ。
「きみ、そこで何してるの?」
「っ!?」
慌てて振り返るとさっきとは別の警察官だ。おばさんだが、ガタイが良い。
「まさかきみ、ここに誘拐された子ってわけじゃないわよね?」
「ち、違う。俺は!」
駆け出した。こんなところで保護でもされてみろ。なんで銃を持ってんだと怒られて、父さんにがっかりされる。俺は黄色いテープをくぐり抜け、館の中へ逃げ込んだ。
息を整える。びっくりした。危ないところだった。それに誘拐された子って言ってたな。じゃあここには誘拐犯が居るってことか。それで立てこもってると。つまり父さんの敵はどこかのロリコン野郎なのか。なんかがっくり。
……でもなんだろう、この刺すような臭いは。
改めて館を見回す。ちょうど俺は廊下の突き当りに入ったらしい。廊下はあまり長くなくて、見たところドアが二つ。その先はエントランスだろう。
父さんは館のどこかに居るはずだ。
足音を立てないように赤い絨毯の上をゆっくり歩く。進むほど臭いが濃くなる。
一番手前の部屋。やばい。怖くなってきた。
俺はポーチに手を伸ばし、中に入った銃のグリップを握りしめる。恐怖が和らぐ。
ドアノブをひねる。
ガチャガチャ
開かない。
ほっとした。
いや何ほっとしてるんだ。ここまで来たのに父さんの仕事ぶりを見ずに帰るなんて臆病者みたいじゃないか。
次の部屋。ここだ。立った瞬間にわかった。臭いがキツいから。
嫌な予感がする。はは、分かってる分かってる。どうせ死体とかあるんだろう。
考えられるだけの最悪を思い描いておけば、今から起こるショッキングな出来事どうってことないのさ。
ガチャリ
ドアを開ける。
そこはリビングだった。それなりに高い天井があって、テレビで下品な子供向け番組が流れてて、ソファーには若い男女が二人。お高そうな調度品がある部屋に似つかわしくないパンクロックな二人組だ。そして、ローテーブルに死体が一つ。死体は頭が無い。ここまで予想通り。でもここからは違う。
「食ってるのか……? 人間を……」
思わず疑念が声に出た。
男が振り向いた。ああ、待ってくれ。俺は今、我が子を食らうサトゥルヌスっていう絵画を思い出してるところだ。ゴヤのやつ。男は完全にこっちを見てる。そのまま首のない子供の千切られた手を握手するみたいに握って、じゅるじゅるじゅる、と中の血をすすった。男はワインを飲んだ時のように鼻の穴を膨らませる。ここ十年で最悪の出来事だ。
反射的に俺はポーチから銃を引き抜く。撃ったことなんて一度もない。でも、手が勝手に引き金を引いていた。
ズダン!
鉛玉が飛び出る。反動で俺はのけぞり、天井を仰ぐ。
弾がどこへ飛んだかなんてどうでも良かった。近寄るな、クソ野郎。
そんな気持ちが残ってたから俺は倒れずに済んだ。体を起こすと、目の前には額を撃ち抜かれた男の姿があった。
「そんな! 俺、当てるつもりは……」
だめだ、あれは助からない。死んでしまう。殺してしまう。俺は人を殺してしまう。男と一緒にソファーに座っていた女が俺を見開いた目で見た。お前、撃ったのか? そんな風な目だ。やめろ。やめてくれ。俺をそんな目で見るな。
「ひひっ」
男のかすれた笑い声がした。どこから?
いましがた脳天を撃ち抜かれた男の口から。いや、信じられない。でも現実にそう聞こえるし、男の口角が上がっているのも見える。ニタリとした笑み。尖った歯が見えた。犬歯の部分が異様に発達しているってレベルのそれじゃない。あれは獰猛な動物が備えているキバってやつだ。
「ヒャッハ! まだ食いもんが残ってたか!」
男は背中を丸めた。立ち幅跳びの要領で飛ぶ。だが、高さがおかしい。速度がおかしい。飛距離がおかしい。逃げられない!
「ひっ」
身をかがみ、息を呑む。死んだ――
ドン!
何かを蹴り飛ばす音がして、馴染みのあるタバコの匂いがした。頭を上げる。
「父さん!」
顔にデカい傷痕があって、無精髭を生やした男が青い瞳を俺に向けた。何か言われるのかと思ったが、ただ目を細めるだけ。父さんはリボルバー銃の照準をキバ男に合わせた。
「待って! だめだよ、あいつに銃は効かなかった!」
さっき確実に頭を撃ち抜いた。でも、男は死ななかった。おかげで俺は殺人犯にならずに済んだけど、逆に被害者になりかけた。
「分かってる。見てろ。銀炎術――」
「右手が……!」
燃えてる。銀色の炎だ。
「――銀の弾丸」
ズダン!
鉛玉が銀の炎ごと、キバ男めがけて飛んだ。
「そんなものこの俺様に゛っ!?」
ふたたび脳天を撃ち抜く。
でも、だめだ。男は銃なんて効かない。
しかしどうだろう。撃ち抜かれた箇所から男の体がみるみるうちに灰になっていく。
「嘘よ、嘘! ちょっとダーリン!」
女が駆け寄った。紙みたいに燃え広がる灰化を手で払っても、まったく効果がない。男が白目を向いて倒れて、女が受け止めきれずに一緒に床に倒れ込んだ。それでも灰化は止まらない。
「ああ、ああ、ダーリン。死なないで……」
手をぎゅっと握っている。そんな呼びかけには一切答えず、男の体はまるで死体みたいだった。
そして、女は座ったまま父さんを睨みつける。
「どうして殺したのよ!」
「どうしてってそりゃあ……」
父さんは女のそばにゆったりと近づいて、女の額に銃口を突きつける。
……父さん!?
「お前らが吸血鬼だからだろ」
吸血鬼? なんだ、それは。
理解が追いつかないというか、色んなことがいっぱいで頭が回ってない。
女は激昂する。
「証拠を見せてみなさいよ!」
ズダン!
瞬間、発砲。
女の首の骨が折れ、顎が肩甲骨まで回った。
バキバキ
「うぐ ぎぃ」
声とも音とも取れる振動を出しながら首の骨が元の位置に戻った。
「ほら、吸血鬼だ」
「この……、クソ野郎の吸血鬼ハンターが」
「銀炎術」
女の頭を父さんは銀の炎をまとわせた弾丸で撃ち抜いた。
でも騒がしい。俺の耳の中でずっと女の断末魔が鳴り響いていたからだ。
俺の頭に父さんが手を置くと、それを最後に館は静かになった。
灰化する女の体を見下ろしながら父さんは口を開く。
「覚えておけ、バン。俺は吸血鬼狩りをやっている」
「ハンター? もしかして、父さんはヒーローなの?」
「さあな。吸血鬼は駆除対象だ」
俺にはその意味がわからなかった。
ただ、父さんが昼行灯じゃなくてヒーローだとわかったのは俺にとって最高の誕生日プレゼントになった。




