23話 『とある朝のこと』
「ん?」
冬の凍えるような寒さが身に染みる朝。いつもより早めに起床した悠人は、鏡の前で自分の顔をまじまじと観察する。
ここ最近は忙しくて気づかなかったのだが、目の辺りが心なしか明るくなっている。目つきが悪いのは相も変わらず残っているが、その下のクマがほぼ消えているのだ。
異世界転移をしてからというものの、次の日のバイトのために徹夜をする機会がめっきり減り、早く寝るようになったからだろう。生活の習慣を変えるだけでここまで変わるのかと、悠人は内心びっくりしていた。
「まあ別にいいか」
洗面所で顔を洗った悠人はジャージに着替えて身支度を整え、リビングに出た。その時机に突っ伏して寝ているミアの姿が目に入った。悠人は彼女の元に歩み寄り、後頭部に手刀を落とした。
「起きろ。風邪ひくぞ。それか寝るならベッドで寝ろ」
「いてっ」
短い悲鳴をあげるミア。彼女は後頭部と机にぶつけた額を擦りながら悠人を見上げ、おはようございますと挨拶をした。
悠人は未だボケボケしている彼女を見下ろす。
ここ数日、ミアはこうして寝落ちすることが多くなっている。バイトや巫女の舞の練習。彼女も彼女で日々多忙な生活を送っているのだ。特に舞の練習は相当きついらしく、フロック曰く、上達の遅いミアを鍛え上げることにルナが躍起になっているとのことだった。
それが原因で、ミアは朝からバイトへ赴き、毎晩夜遅くにクタクタになって戻ってきている。
それに加え、疲労困憊の状態で裁縫にも取り組んでいる。悠人に立派なマフラーをプレゼントしたいと言っており、机の端にはいくつもの失敗作が散らばっていた。恐らく今日も徹夜をして作っていたのだろう。
「お前な。言っただろ。別に俺にマフラーは必要ねえって。無理すんな」
「はい……はい、悠人様。お湯加減はよろしい、でしょうか……」
「だめだこりゃ」
夢見心地に目を瞑って、コクコク項垂れているミア。彼女の頭は段々と下がっていき、ついには再び机に突っ伏して眠ってしまった。
話が通じないミアに悠人はため息をつき、寝室から持ってきた毛布を背中に掛けた。そしてもう一度軽く身だしなみを整えて、部屋を出た。
廊下は部屋の中よりも冷え切っていた。悠人はジャージのポケットに手を突っ込んで、階段の方へと進んでいく。
「お、早いね。おはよう。悠人君」
階段を降り、受付を過ぎた辺りで銀髪青眼の少女――ルーシーが明るく声を掛けてきた。優しく穏やかな表情の彼女を尻目に、悠人はおうと素っ気ない返事だけを返す。
いつも通りの反応に、ルーシーも慣れたようだ。特に気にすることなく会話を続ける。
「今日もバイトかい?」
「いや、珍しく休みだな。今日はちょっとした野暮用で早起きしただけだ」
「それはまた……どんな用事だい?」
「ソフィアに格闘技の稽古をつけてくれって頼まれていてな。なんか付き合う羽目になった」
「へえ。そんなことがあったんだね~」
そう言いながら、ルーシーは悠人の身体を舐めまわすように見つめ、口を尖らせて頷いている。彼女の行動を不愉快に感じた悠人は、なんだとその理由を問う。
「意外だなって。失礼かもだけれど、悠人君ってそんなに強いイメージがなくて。ほらソフィアってかなり強いからさ」
「さあ、どうだろうな。あいつに聞いてみればいいんじゃね?」
「それもそうだね……でもな。それを差し引いても、稽古とか一人でやるタイプだと思ったんだけどね――なんか怪しいな」
「何の話だ。変な妄想は止めろ」
悠人はニマニマとにやけるルーシーを半目で睨みつける。彼女はごめんごめんと謝って声の調子を下げ、柔らかな笑みを浮かべた。
「格闘技の稽古、頑張ってと伝えておいてくれないかい? あと当日は僕も必ず見に行くから、ともね」
「へーい」
きだる気に手を振り、悠人は玄関へと足を運ぶ。そして扉を開き、外へ踏み出そうとした時だった。
「そういえば」
悠人の後ろ姿を見送っていたルーシーが、唐突に口を開いた。悠人は足を止めて振り返り、彼女の青色の瞳を見つめる。
「最近、ミアちゃんの帰りが遅いんだよ。それにすごく疲れてもいるようだし……」
「舞の練習で忙しいんじゃね」
「舞の件は僕も聞いてるよ。けどそれにしても遅すぎやしないかい? 冬の時期で日が暮れるのも早くなるし、僕はちょっと心配だよ」
「あいつも子供じゃないんだ。その辺、自分でどうにかするだろ」
悠人の言葉に、目を瞑って深く考え込むルーシー。割り切れない部分があるのか、でもなとぶつぶつ呟いている。
「僕もできる限り気に掛けておくことにするけど、悠人も彼女のこと、しっかり見てあげて」
「まあぼちぼちな」
悠人はそう告げて、今度こそ玄関の外へと足を踏み出した。朝の冷え込んだ空気が風となって悠人に吹き付けてくる。
悠人は縮こまって、まだ昇りかけの太陽を細目で眺める。
「いってらっしゃい、悠人君」
そしてルーシーの送り出しの挨拶を耳に入れ、ソフィアの待つ河原の方へと歩いていくのだった。




