乙女の足、おっさんの足
慶一さんの検診結果が届いた。
『親展』になっているけど、夫の健康は家庭の健康。去年も見せてくれたし、夫の健康管理も妻の勤めだ!
私は封を開き、内容を確認する。
血圧や血糖値、肝機能、腎機能といった部分は正常だけど、四十過ぎて代謝が落ちてきたからか、中性脂肪がやや高め。それより心配なのが尿酸値。この五年間、じわじわ上昇してきていたが、今回はいきなり増えて七・八だ。
この値、一歩間違えば痛風発作が起こるし、結石の原因にもなる。高尿酸は身体に良いことが無い。
単身赴任で、食生活が悪くなったのかも。
よし! まずは食事の改善だ!
プリン体の少ないメニューを増やそう。供給を減らすのだ。
筆頭に上がるのはビールだ。「飲んだら歩け、飲むなら焼酎」を合い言葉に……、いや、止めとこう。風呂上がりの一杯は心の栄養だ。嗜好品を制限する前に、食事と生活習慣の改善だ。
尿酸値を上げにくい食材を中心としたメニューを心がけよう。
まずは、プリン体が多い食材を調べてみると、内臓系全般。これはあまり食べないからいいか。エビカニなどの甲殻類、動物性タンパクに干物……、鰹節や干し椎茸もアウトか。
しかもプリン体は水溶性だから、この辺の出汁全般がダメと言うこと? いや、出汁は飲み干さなければ良いんだ。
逆に、良いとされるのは、野菜に海藻、乳製品。うん。なんだか常識的な内容だ。
調べてゆくにつれて、重大なことを発見。
プリン体って、食事で取るよりも、体内の代謝で作られる方が圧倒的に多いらしい。つまり、代謝と排出が支配的だと言うこと。
高尿酸の結果起こる『痛風』は、美食に明け暮れたからというイメージがあるが、同じものを食べていても人によって違うし、性別でも明らかに違う。
食習慣もあるが、それ以上に体質に依るのだ。
排出を促すメニューが重要ならと、調べを続ける。
まずは尿がよく出るよう、水分を多めにとる。でも、お酒は水分に入らない。あ、ビールだろうと蒸留酒だろうと、アルコールの代謝自体が高尿酸の元か。でも、これ以上休肝日を増やすのも酷だ。私も呑みたいし。
結局、野菜と海藻を多くとり、有酸素運動による減量。なんだか無難な結論だ。生活習慣病って、基本的に全てコレなのかも。
私に出来ることは、食事に気をつけることと運動に付き合うこと。
運動か……、あ、アレは運動に入るのかな? なんとなく有酸素運動に入るような気がするけど、移動を伴わないから効率が悪いかも。その分、長時間した方が……、って! 何考えてるんだろ?
「お母さん、何、クネクネしてるの? 気持ち悪い」
「ゆ、優乃。何でも無いよ。何でも無い」
「何見てたの?」
「お父さんの検診結果。ちょっと数字が悪くなってるから、どうしようかな? って。
野菜は今でも十分取ってるつもりだけど、海藻を増やそうかなって思うけど、どう?」
「良いんじゃない? その方が髪も薄くならないだろうし。お父さんにはなるべく若くいてもらわないと。
学校でもさ、お母さん二人目? って訊かれたし」
確かに、慶一さんと私の見た目では、そう思う人が居ても無理はない。って言うか、引っ越ししてすぐの夜、呑みに行ったときに職質されたし。
優乃も、実の親子と言っても信用されず、本当に小さい頃の写真を見せてようやくだったらしい。でも、あれだって合成写真って思われてるかも。
神子だから仕方ないけど、これは誰にも言えない。
「あとはね、有酸素運動が大事だから、ウオーキングを始めようと思うの。優乃も付き合う?」
「面倒くさいし、暑いし、いい。
それに、夫婦水入らずの方がいいんじゃない?」
こうして、慶一さんと二人でウオーキングを始めることになった。
週末をひかえ、ウオーキング初日、梅雨入り前なのに季節外れに暑い。初日からサボるのも、と言うわけで歩いたら、汗だくだ。慶一さんも「久々に歩いたら、つま先が痛い」と言う。
私は普段から運動しているけど、運動不足気味の慶一さんは、ちょっと怠そうで、シャワーを浴びたらすぐに寝てしまった。
翌朝、慶一さんが痛みに脂汗を流している。右足の親指が腫れている。まさか、急に運動したから、関節でも痛めた?
慌てて、土曜でも外来を受け付けている病院をネットで探す。
朝食後、整形外科に連れて行った。レントゲンでは骨に異状は無かったけど、……痛風でした。
急に運動して汗を流したのに、水分補給を怠ったばかりに、血が濃くなり過ぎた結果、高尿酸になって……、と言うわけだ。尿酸は、汗では排出されないのだ。
痛みと炎症を抑える注射のあと、医師からは「若い美人の奥さんを貰って、張り切る気持ちは分かりますが」といった趣旨の注意を受けたらしい。
運動の際は、とにかく水分補給を怠らないことを注意され、食事や生活習慣に関する注意の紙も渡される。
「ごめんなさい、慶一さん」
「良かれと思ってのことだし、水分補給を怠ったのも俺だ」
慶一さんは私の頭を撫でる。
うん。腫れと痛みが引いたら、うんとサービスして上げよう。ミネラルウォーターを枕元に常備だ。
翌朝、娘たち二人にジト目で見られた。マンションは壁も薄いし、何より家と違って狭い。
でも、ふ、夫婦仲が悪いよりはいいよねっ。
それ以後も、毎晩ウオーキングを続ける。汗をかくのは身体に良い。もちろん水分補給は欠かさない。
ところが、次の週末、慶一さんが再び足の痛みを訴える。今度は関節だけでなく、広範囲。足の裏全体だ。
慌てて先週の整形外科に連れて行くと、今度は足底腱膜炎。急に運動をしたかららしい。
この症状、主に女子アスリートが無理をしすぎて発症することが多いとのこと。今回も医師から注意を受けたらしいが、大体のところは想像がつくので、そこには触れないでおく。
病院からの帰り、スポーツ用品店でイボイボのついた傾斜台を買うことに。これで、足の裏からアキレス腱、膝の裏に至る筋を伸ばすのだ。
帰宅してこれを箱から出すと、娘たちが何ごとかと見ている。
私が足底腱膜炎について説明する。これは、若い女性に多いから、娘たちにも関係がある。
「どうやら、お父さん、足だけは乙女のようなんだ」
慶一さんが得意げに言ったが、優乃は冷ややかだった。
「痛風と尿酸値気にする乙女なんていないよ」