合わない
ヒの、フの、ミ……。
指折り数える。
あれから一月。数えるまでもなく、二週間は遅れている。これまで一、二日早まったことはあったけど、遅れたことは一度もない。
やっぱ、そうかなぁ。
意を決してソレを買いに行ったのは週末。
別に恥ずかしくありませんからね。中身は四十程ですから。近くの薬局じゃないのも、ウィッグ着けてるのも、メンバーズカードを使わなかったのも、たまたまですから。
帰宅後、トイレで試す。
青い線が浮き出る。
他のでも『陽性』
あー。まず確定だ。
やっぱ、高校総体の日か。ギリ、ヤバいかな、とは思ってたけど、つい目先の幸せに負けてしまった。
多分、普通の高校生だったら焦りまくる、というより顔色を無くすような状況だろうけど、私は幸福感を感じていた。そして、この状況に幸福を感じられることもまた、幸福なのだろう。
「お母さん」
夕食を食べながら、声をかけた。
「何?」
「私さ、出来たみたい」
「何が?」
お母さんは円の口の周りを拭いている。
「赤ちゃん」
手が止まる。私に視線を移す。
「……」
「だから、妊娠したっぽい」
お母さんは静止したまま、表情が抜け落ちたかのような顔で私を見ている。見てはいるけど、それだけだ。これが『唖然』ってやつだな。
「ど、どうするの?」
再起動するまでに、たっぷり一分はかかっただろうか。
「どうするって、産むよ。それ以外はあり得ないでしょ。
とりあえずは、本当に出来ているか確認して、あとは産科を押さえて……。一応、沙耶香さんにも連絡しとくか。
こういうのって、正式な検査受けて、確定させてからの方がいいのかな?」
「ど、どうかしら……」
「とりあえず、先に沙耶香さんに連絡した方がいいか。多分、検査もあっちの方がいいだろうし」
「そ、そうね」
お母さんは動揺を隠せない。まぁ仕方ないか。
一通り食べ終えた私は、沙耶香さんに連絡を取った。
沙耶香さんは、口では先を越されたことを悔しがっていたけど、とりあえずは祝福してくれた。
「もちろん、結婚するのよね?」
「の、つもりですけど。
って言うか、既にプロポーズ的な言葉は受けてますし」
「『的』なだけで、正式じゃないわよね。このことは相手には伝えたの?」
「そう言えば、まだです。ホントは一番に伝えるべきでしたね」
「伝えるのはちょっと待って。今のままだと社会的に不味いかも知れないわ。客観的にはスキャンダルよ。社会人が高校生を妊娠させたんだから」
そう言えばそうだ。いくら戸籍の年齢が十九とは言え、高校生のデキ婚はマズい。児童なんとか法に触れるかも。
「大変だ! どうしよう」
「その辺の根回しが必要ね。公称と戸籍が違っている場合について、裁判所とも話をしないと」
「そんな大げさな。
でも、去年まで中学行ってたのは確かだから……。
大丈夫かな?」
「公的には年齢を偽っている、ってことになってはいるけど、本当にこの設定を使うことになるとは思わなかったわ」
私は病気治療のため、肉体の成長がやや遅れていた。社会との接点もしばらく無かった。そこで、不自然でない形で教育機会を得るために、三歳サバを読んで日本国籍を取得したことになっている。
彼もそれを承知しており、『実年齢』一八を超えるのを待って、現在の関係になった、というストーリーだ。
「もちろん、この通りになるかどうかは比売神子様とも相談した上での話だけど……、いずれにしても伝えるのは方針が決まってからにして」
ダイニングに戻ると、お母さんはまだ食べ終えていない。うーん。報告は食後にすべきだったか……。
「学校、どうするの?」
ようやく現実に戻ったようだ。
「退学するよ。
職員はともかく、生徒には産休も育休も無いだろうし」
「大学は? 高校中退じゃ、仕事なんて無いでしょ!
第一、妊娠して高校辞めてって、周囲りにどう見られると思ってるのよ?」
「金銭的には、比売神子だから問題無いし。進学は、生活が落ち着いたら考えるよ。でも社会人枠って、中卒無職じゃダメなのかな?
まぁ、そんときは大検、今は高認か、それ取ればいいだけだし」
「貴女、簡単に言うけど……」
「言っとくけど、『私』は国立出てたんだよ。今すぐ共通試験受けても、センターレベルなら理科や数学は普通に満点狙えるし、英語だってネイティブと普通に会話出来る。単にペーパーテストだけなら、何の問題も無いんだから」
多分、お母さんが心配してるのは世間体だ。
母子家庭、しかも血の繋がらない娘、加えて資産と容姿。周囲りが偏見のフィルタを通した噂話をするには十分だ。
「でも、もう少し考えて……」
「だったら、お母さんはどうすればいいと思うの?
私としては産む以外の選択は無いから。その時点でどうするかは確定だし」
「休学するとか……」
「どんな名目で? そんなことしたって、本質的には問題の先送りだよ。最終的に隠しようが無いんだし。
……ごめん。
妊娠しちゃったのは私の不注意だけど、この件については折れるつもり無いから。
確かに『体裁』は悪いし、もしかしたら家族まで変な目で見られるかも知れないけど、それは今後の私の生き方でひっくり返せると思う。幸い、まだ二人とも小さいし」
結局、それ以上の話にはならなかった。
翌週末、周と円をお母さんの実家に預けて検診に向かった。先週末以後、お母さんとはぎくしゃくしている。仕方ないと言えば仕方ないけど、車の中でもとにかく落ち着かない。有り体に言って挙動不審だ。沙耶香さんは見て見ぬふりをしている。
病院で一通り検査を受けた。主治医は例によって高瀬先生だ。もちろん、別に産科の先生も付く。この人も実は神子だったとのこと。私の素性は知らないけど。
「二ヶ月ですね」
高瀬先生がクールに言う。
エコーの写真ではまだ稚魚にすらなっていないけど、これが大きくなって赤ちゃんになるのだ。そう思うと、何とも言えない暖かいものが胸を満たしてゆく。私は目を閉じて両手をお腹に重ねた。頬が緩んで行く。
「おめでとう、昌ちゃん」
「ありがとうございます! 沙耶香さん」
振り向いて渚を見ると、お母さんも笑顔だ。二ヶ月という言葉が、現実を直視させたのか、とりあえずこの場だからそうしたのか……。
ひとしきり雑談をし、今後の予定という段になって、沙耶香さんが急に真面目な顔になった。
「相手には、伝えたの?」
「まだ。
一応、今後のこともあるから」
「もう伝えてもいいわよ。裁判所の根回しは済んだから」
「ありがとうございます! じゃ、伝えますね!」