部屋を
慶一さんから昼食に誘われた。例によって、電話では無くメールなんだけど、なんだかよそよそしい気がする。別に文面自体に違いは無いと思うのだけど……。
「今日はデート? ちゃんと仲直りしていらっしゃい」
出がけにお母さんが声をかけてくる。別に何も言ってないのに。どうしてデートだって判るんだろう?
でも『デート』か。
いつもだったらそんな言葉は使わないのに、私に気合いが入っているように見えたのだろうか? 化粧すらしていないのに。
あ、ウィッグ着けなきゃ。
いつものようにショッピングセンターの駐車場で待ち合わせる。こんな日に遅れるのも作為的なので、十分前行動。
精米機から二台はさんだスペースには、既に白のクラウンが停められている。
「お早うございます」
「お早う、昌さん」
何となく、ぎこちない。
車で向かったのは、ちょっと高級なホテルのレストラン。ここなら和・洋・中、どれでも食べられるし、ビュッフェ形式のお店もある。たしか……、ここは洋食の評判が良かったんだよね。
「どちらにする?」
「でしたら、洋食の方が」
「私もそっちがお勧めって聞いているよ」
あ、一人称が『俺』から『私』に戻っている。
料理は、慶一さんは肉のコース、私は魚のコースを選んだ。ただし、食前酒はナシ。慶一さんは車で来ているし、私も戸籍上は十九歳だけどこの外見だ。あ、お酒は十九でもダメだっけ。
お酒無しで先付け――洋食だから前菜か――に箸を付ける。慶一さんの前だけど……、ナイフとフォークは苦手なのだ。
なんだか、お互いに会話が続かない。無言で箸を進めてしまう。二人ともすぐに食べ終わってしまい、気まずい。
と、すぐに二品目。あれ? スープとかではなく、前菜の盛り合わせがもう一度か。
「こういうのって、冷たい方から食べるんでしたっけ?」
「実は、私も、その辺のマナーには疎くて……」
まぁ、いいや。美味しそうなのから食べよう。
料理は、どちらかと言うとフレンチだ。でも、バターやクリームは控えめ、と言うよりあまり使っていないように見える。
程なくバゲットとスープも来る。
この組み合わせで来ると、バゲットをスープに浸して食べたくなるけど……、明らかにマナー違反だよね。思ったことを口に出してみた。
「昌さんから、そんな言葉を聞くとは思わなかったよ」
「私は、そんなにお上品じゃないですよ」
「でも、その方が、洗う手間が減るね」
「あ、そうだ。弟の保育参観で、環境教育を見たんです」
最近の保育園では、環境教育的なこともしている。
水を汚さないために、僕たち私たちが出来ることを学んだ後、子ども達が、自分たちはどうしたらよいかを発表した。
その中である男の子が『カレーライスを食べたときは、お皿をきれいになめます』と言ったエピソード。
その子のお母さんは恥ずかしそうにしていたけど、意見は正しく、そしてとても可愛らしい。
「では、私もエコをしようかな?」
慶一さんはバゲットでスープを拭き取る。
「なめようとしたら、さすがに止めますよ」
何となく、空気が弛緩して、ギクシャクもすこし減った気がする。
料理は箸休め、主菜へと進む。評判が良いだけあって、美味しい。ランチだからか、あまり重くならない内容というのも良い。
実のところ、私はフレンチをあまり食べたことが無く、洋食と言えば所謂『洋食屋さん』の子どもから楽しめるものか、イタリアンが中心だ。
今までは敬遠していたけど、フレンチも悪くないかも。
最後にデザート。うん。口の中をすっきりさせる甘いものは別腹だ。自然と笑みがこぼれる。
あれ? 慶一さんは食べてはいるけど、心ここにあらずって感じだ。どうしたんだろう。心なしか、表情も硬い。
支払いはいつも通り慶一さんのカード。私たちはどう見えているんだろう?
右手を引かれてレストランを出たところで、慶一さんが歩きながら口を開く。
「あ、昌さん」
「はい?」
あれ? 変な間だ。それとも、例の申し込みをもう一度するのだろうか?
私の右手を掴む力が、不規則に変化する。かなり緊張しているに違いない。なんだか私まで緊張してくる。
慶一さんは、遠く一点を見つめたまま口を開いた。
「このホテル、今日は、部屋を一つおさえてあるんだ」
思わず立ち止まってしまう。つながれた右手がスルッと抜けてしまった。慶一さんはかなり手汗をかいていたみたいだ。いや、それは私もだろうか。
いけない、意識が別の所に行っていた。
慶一さんは、私より二歩ほど前で立ち止まっている。その後ろ姿からは、緊張感、不安振……、諸々の感情が伝わってくる。振り返るのを躊躇っているのか、振り返る勇気を出せないのか……。
私は二歩、足を進めると、慶一さんの左手を取る。慶一さんの腕を私の二の腕と身体ではさみ、身体を密着させる。冬に一サイズ大きくなった部分が、慶一さんの腕との間で形を変える。
私は一呼吸置くと、つないだ手を緩め、改めて指を絡めた。
私たちはどちらからともなく歩き始め、この階に来たときのエレベータホールを素通りする。慶一さんは、もう一つ奥で『↑』ボタンを押した。
程なく無人のエレベータが着く。
中のパネルには、来たときには無かった客室階のボタンが並ぶ。
慶一さんは、無言のまま、最上階から二つ下のボタンを押した。
その指からも緊張感が見て取れる。
私の右手に伝わるのも緊張感。
少しでも緊張がほぐれれば。あるいは『今』に現実感を持てれば。
私はもう少しだけ肩を寄せる。そして少し体重を預け、頭を慶一さんの肩に着ける。
その一秒後、少しの浮揚感とともにエレベータは減速した。




