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アイアンナックル/レッド・ラスト  作者: 機乃 遙
赤錆=ヘイズル・ウェザフィールドの場合(1) Side: Red Rust 
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片手袋の女 (1)

 わたしがラリュング市警本部に連れてこられたのは、だいたい午後十時すぎ。それからは、時計のない尋問室に放り込まれてしまったため、どれぐらい経ったかわからなかった。左手に腕時計もはめていたが、手錠をかけられては確認することもできなかった。

 おそらく尋問室にぶち込まれてから、四十分は経過していただろう。わたしはそのあいだに何度も大声を張り上げ、ドアの向こうにいる刑事たちに「何かの間違いだ」「わたしは探偵だ」「ヘイズル・ウェザフィールドで調べれば出てくる」と叫んだ。だが、彼らはまったく応じる気配もなかった。きっとそういう戦術なのだろう。容疑者を疲弊させる一つの方法なのだ。

 尋問官がやってきたのは、わたしの喉がかすれ始めたころだった。彼女は扉を開けると、二人分のコーヒーをもって尋問室にやってきた。

「殺人課課長がお出ましだなんて。わたし、人を殺めた覚えはないけど」

 現れたのはラリュング市警殺人課課長、リリアン・リュウだった。

 彼女――リリーは、ため息を漏らしながら机上にコーヒーを並べた。紙製のタンブラーに入ったブラックコーヒー。わたしのぶんと、リリーのぶん。トールサイズがふたつ。

 それから彼女は、わたしの手錠の鍵を外した。そこでようやくわたしは時間を確認できた。もう零時近かった。

「残念だけど、殺人じゃないわ。赤錆、あんたの容疑は食い逃げよ」

「食い逃げ? 殺人課は食い逃げの捜査をするようになったわけ? ……ああ、もしかして食い逃げは食い逃げでも、人肉の食い逃げってことかしら」

「不正解よ。あなたが捕まったっていうから、知り合いの私が呼び出された。それだけのことよ。まさかあなたが食い逃げをするようには見えないけど。……ついに道楽探偵も金策尽きたの?」

「まさか」

 わたしは彼女のジョークを笑い飛ばし、コーヒーに手を着けた。

「それよりも、はやく状況を説明してもらえないかしら。わたしは行きつけのパブに行こうとしたら、急に捕まったのよ。どういうわけ?」

「簡単な話よ。赤錆、あなたがその食い逃げの容疑者というわけ?」

「まさか。わたしにはアリバイがある。ニナといっしょにいた」

「ええ、わかってるわ。でもね……」

 リリーはそう言うと、机上にある自分のコーヒーに手をつけた。

「あなたの行きつけのパブ、アーロンで食い逃げが起きた。犯人は二人組。一人はカッテージパイの大皿をペロリと平らげ、もう一人はウィスキーをあおってから、カネを払わずに逃走。二人はサイドカー付きのバイクに飛び乗ると、交通規則もなにもかもガン無視で逃げていったって話よ。二人が通り抜けたあとは、まるで嵐が過ぎ去ったような有様だったって話」

「で、それがわたしのどんな関係があるわけ?」

 わたしがそう問うと、リリーはおもむろに上着のポケットからタバコを取り出した。だが、どうにも火が見あたらなかったようで、箱を机に出しただけに終わった。

「手袋よ」

「手袋?」

「ええ。目撃証言によれば、容疑者は二人組。一人は片手だけに手袋をした背の高い女で、もう一人は少年のような格好をした子供だという話だった。……ねえ、赤錆。このラリュング・シティに男装の子供を連れ回す片手袋の女が、いったい何人いると思う?」

 鋭い口振りだった。リリーの視線は、わたしの左手にいっていた。

 わたしの――ヘイズル・ウェザフィールドの左腕。そこには上着と同じ革製の手袋がはめてある。だが、右手は素手だ。なんともチグハグな格好に見えるだろう。だが、わたしがこの左手の手袋を外すことは滅多にない。友人であるリリーでさえ、この左手に真相を知らなかった。

 彼女の訝るような視線は当然だろう。リリーはこの左手について『昔やった大怪我の傷跡を隠している』という伝聞でしか知らないのだから。

「あなたを捕まえたのは、そういうことよ。片手袋の女に注意しろ、と無線がまわってたのよ」

「それでお巡りがわたしを捕らえたってわけか」

「そういうことよ。もっとも、あなたがそんな食い逃げだとか、バイクで暴走なんて考えられないけれど。……だから友人の私が取り調べを買って出たのよ。もちろん、生活保全課だの交通課だのから文句を言われたけどね」

「旧友のお情けに感謝ね」

 わたしは嫌味たっぷりに言って、コーヒーを半分まで飲み干した。

「それで、わたしの容疑はどうしたら晴れるわけ? アーロンのマスターに聞いてみなさい。わたしはあそこの常連客よ。すぐに否定してくれるはず」

「それはわかってる。だけど、証拠と書類をそろえて提出するまでは、あなたはここに――」

 と、リリーが言い掛けたときだ。

 突然、壁掛けの内線電話が鳴ったのだ。リリーは初め電話に出ようとしなかったが、コール音はしつこく長く響きわたった。

 十回ほど鳴ったところで、彼女はようやく電話に出た。そのときの彼女の表情は見物だった。眉間にしわを寄せていた鬼刑事の姿は消え、とたんに中間管理職の顔が現れたからだ。

「私です。……署長、これは……。ウェザフィールド、ですか?」

 電話応対を続けながら、リリーはわたしを横目に見た。わたしは笑顔を返してやったが、彼女の仏頂面は変わらなかった。

「彼女を? ええ、食い逃げも盗みも、交通違反もしていないとは思いますが……。捜査に、ですか? 情報も公開せよと? 失礼ですが、それは署長命令でしょうか。一般人に殺人課の捜査情報を公開するのは――行政府からの特命、ですか? ……わかりました」

 受話器を壁に掛ける。リリーはまた深いため息をついた。

 机上のタバコを取り上げ、彼女は席に着く。その表情は、心底疲れ切っていた。

「火、いる?」とわたし。

「あるの? あなた、普段は吸わないでしょう」

「マッチなら。もらいものなのよ」

 わたしは上着のポケットからマッチを一箱取り出した。皮肉にも、それはアーロンのマッチだった。電話番号と店名の描かれた宣伝用のマッチだ。

 リリーはそれを受け取ると、ソフトケースの尻をたたいて、タバコを一本、口元へ。マッチを擦って火をつけると、彼女は優しく煙をふかした。

「署長から直々に命令があった。あなたを解放しろとのことよ」

「だから言ったでしょ、わたしはそんなことしてないって」

「ええ。だけど、命令はそれだけじゃない。あなたを、事件の捜査に入れろって」

「事件って?」

「あなたの見たでしょう? ここ数日、フォグがラリュング市内で何度も目撃されている。死傷者は数え切れないし、失踪者も出ている。霧の向こうに連れ去られた人がね。……その捜査にあなたを加えろという話よ」

「それはラリュング行政府からの指示?」

「ええ、そういうことよ」

 そうしてリリーは、紫煙とともに今日一番のため息をついた。

「ついてきて。資料をわたすから」


 地下の資料室に言って、わたしは現状の捜査資料のコピーをもらってきた。とはいえ、自宅の資料室から不正アクセスしているわたしには、あまり関係のない話だった。

「ねえ、赤錆」

 紙のファイルを手に資料室を出ようとしたとき、リリーがわたしに声をかけた。このときの彼女は、眠気と資料室の全面禁煙とで疲労困憊だった。

「行政府が直々にあなたの解放を申し出てきた。あなた、いったい何をしたの?」

「なにも」

「そんなはずはないわ。……赤錆、あなたの左腕ってどうなってるの? 何を隠しているの?」

「いつも言ってるでしょ。怪我をして醜いから、隠しているだけよ」

「信じられないわ」

「じゃあ、信じなくてもいい。……それよりもリリー、さっきの犯人について教えてくれない?」

「フォグのこと? そっちはほとんどわかっていないわ」

「違うわ。食い逃げと、バイクで暴走したっていう片手袋の女よ。あなたも言ったとおり、男装の子供を連れた片手袋の女なんて、そう何人もいるとは思えない。……なにか心当たり、ある?」

「さあ。実はあなたのフォロワーだったりして」

「まさか。それだったら犯罪者じゃなくて、正義の味方のはずよ」

 わたしは冗談めかして答えたが、内心不安でいっぱいだった。わたしのように片手を隠した女。リリーにはなくても、わたしには心当たりがあったからだ。どうして片手だけ隠すのか? それは、隠すに値するものがそこにあるからだ。

 わたしは久しく左腕の重みを感じながら、ラリュング市警を出た。時刻はすでに午前一時を回っていた。


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