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アイアンナックル/レッド・ラスト  作者: 機乃 遙
鉄腕=アンナ・マイヤーの場合(1) Side : Iron Knuckle 
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霧の向こう (1)

本作は、高柳総一朗様の小説『アイアンナックル/リマスター』(https://ncode.syosetu.com/n7530cu/)と拙作『赤錆色の霧』(https://ncode.syosetu.com/n1899dh/)の二次創作作品です。

 男はワイシャツのボタンを三つ目まで外して、霧の立ちこめる街路を歩いていた。オールドハイトは暑い。もっともその暑さの原因には、男がビールを飲み過ぎたということもある。彼は火照った身体を沈めるようにシャツをあおぎ、犬が体温調整でもするように舌を出した。

 男はすでに昔なじみの悪友と飲んだくれ、帰路についたところだった。浴びるようにバーボンを飲み、味のしないビーフをビールで何回も飲み下した。そのせいか足はフラフラ。頭も働かない。しかしそれでも腹は減るし、解散したあとも彼の欲求は収まることを知らなかった。

 自宅のアパートに戻って、もう一杯バーボンをふっかけて、熱いシャワーでも浴びるか。それともどうせならストリートにひしめくコールガールの一人でも買って、一発キメようかとでも考えていた。

 だが歩いている途中で、彼のその考えも冷めた。

 原因は、霧だ。

 オールドハイトは霧の街である。マンホールの隙間から産業廃棄物を凝縮した霧が噴きつけ、大気中を滞留する。それがオールドハイトという街なのだ。霧が立ち込め、この街に起こる悪事や蛮行、魑魅魍魎に百鬼夜行をうやむやにしてしまう。だからオールドハイトに住みつく奇特な者にとっては、霧は友人のようなものなのだ。

 だが、徐々にその霧が色の濃さを増していったとき、男は異変に気づいた。

 妙に肌寒いのだ。あのヌメッとした馴染み深い霧ではない。底冷えするような寒さと、まるで雨の日のようなジメジメした空気。こんな湿気った空気は、本来のこの街には似合わないはずだ。なのに、急にそれは現れたのだ。。奇妙な霧に覆われた途端に。

 男は怖くなって、まず外していたボタンをすべて締めた。それからかじかみ始めた手を吐息でほぐし、あたりを見回した。

 ――何も見えない。

 霧だ。霧ばかりが視野を支配して、すっかり何も見えなくなっている。通ってきた道も、これから通るはずの帰路も見つからない。一瞬の出来事だった。あるのはジメジメした霧だけ。

「おーい、誰かいるか?」

 男は寒さに肌をさすりながら叫んだ。

 しかし彼の声は、どこにも反響せず、空間に飲まれていった。まるで街の中ではなく、砂漠の中に取り残されたように。言葉はどこにも響かず、霧の中に飲み込まれていく……。

 男は怖くなった。

 オールドハイトではなんでも起こる。それはこの街に住むものなら誰でも心得ていること。だが、こんな異常気象は見たことがない。いったいなにが起きているというのだ?

 恐怖が彼の頭を支配し、選択の猶予を削りはじめたとき。なにか大きな足音のようなものが聞こえてきた。熊のような、牛のような……いや、それ以上だ!

 足音はズシリ、ズシリと近づいてくる。地響きを起こしながら、ゆっくりと、そして……。霧の中からそれは姿を現した。

 巨大なヒト型をした物体。二本足で歩きながら、それは巨腕を男に向けた。

「おっ、おお、おい! なんだよあれ、おい! 助けてくれぇ!」


     *


 オールドハイト市警察(OHPD)、そのオフィスの一角。ランス警部のデスクには、いっぱいの捜査資料と砂糖まみれのドーナツたち。そして一杯のコーヒーがあった。

 椅子に腰掛けたランスは、白いモノの目立つ頭をかきながら、ストロベリー・ドーナツにかじりついた。だが、彼の顔色はイチゴのように明るくはなかった。むしろ青ざめてさえいる。

「失踪事件だってぇ? なんだぁ、そりゃ。アタシは場末の興信所なんかじゃないぜ」

 そんなランスの前に立ち、気だるそうに他人のドーナツをつまみあげる女。洗いざらしの白いワイシャツに、男物のスラックス。そして古ぼけたロングコートを羽織った彼女。栗色のひっつめ髪を振り乱しながら、彼女はドーナツを頬張った。

 アンナ・マイヤー。またの名を『鉄腕(アイアンナックル)』……。この街の者は口をそろえて彼女のことをそう呼ぶ。おそれからか、敬いからか。

 アンナ・マイヤーは、この街のトラブルバスターにしてトラブルメーカー。そしていま、彼女がランス警部のオフィスに呼ばれたのは、問題解決(トラブルバスター)のためだった。

「わかってるさ。ただの失踪事件なら、わざわざお前を呼び出したりしない」とランス警部。「ここ数日で何人もの人間が失踪している。そして目撃者の証言によれば、被害者はどいつも失踪の直前に『霧に飲み込まれた』という話なんだ」

「霧なら、この街では別にふつうのことだと思うけど」

 そう口を挟んだのは、鉄腕の相棒(ツレ)、クリスだ。切りそろえられた黒髪と大きな黒い瞳。一見して少年のような容貌だが、クリスは女だ。彼女は先ほどからトルティーヤチップスをバリボリと食べながら、気だるそうに天井を見ていた。

「ふつうの霧なら、な」警部は応えた。「それがな、なんでも霧の向こうに巨大な怪物を見たって言う話まであるんだ」

「怪物だって? まるでスティーヴン・キングの小説みたいじゃないか。ほら、なんて言った。あれだよ、アレ――」

「『ミスト』のこと? 胸くそ悪いから僕は嫌いだよ」

 二人の馬鹿話にため息をつく警部。ドーナツの最後の一口を頬張ると、彼はコーヒーの残りを飲み干した。

「一部じゃ、被害者は霧の向こうの怪物に食い殺されたんじゃないかって、そんな都市伝説までウワサされてるぐらいだ。怪物なんてそんなもんいないと思うんだが……だが、実際に人が消えてるのは確かだ」

「なるほど。それじゃあつまり、アタシへの依頼はそいつを何とかしろってことか」鉄腕は目を輝かせながら言った。「霧の向こうに現れたバケモンをぶっ倒して失踪者を見つけだせ、と」

「そういうことだ。噂では、全長一〇メートル近い巨人に襲われたなんて話もある」

「ヒューッ! ミストの次はアタック・オン・タイタンと来た。いいねぇ、アタシはコミックも好きなんだ」

 言って、鉄腕=アンナ・マイヤーはコートのポケットから葉巻とシガーマッチを引っ張り出した。太く長い葉巻、ヘンリエッタ・Y・チャールズ。火をつけると、赤ワインのような芳醇な香りが広がる。

「ちなみに霧の発生した場所は、ウェスト・エンド周辺。だいたい夜十一時以降に目撃されているらしい。怪物なんてのは、一部の集団ヒステリーだとは思うが――」

「おっかなくて、警部殿には手が出せねえってか」

「アホが。『怪物が出たから調査します』なんてお題目で警察が動けるか。だからお前に頼んでるんだ」

「あいあい、わかったよ。とっちめてやっから、報酬ははずんでくれよ」

 煙をふかし、コートをはためかせながら。彼女は抜け目なく最後の一個のドーナツを拾い上げ、出て行った。退屈そうな相棒を従えながら。

 ランス警部がドーナツが足りないことに気づいたのは、鉄腕のハーレー・ダヴィッドソンが爆音をならしてオフィスを出て行ってからだった。


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