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カゲロウの丘  作者: 个島
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虫けら

 ホームルームが終わると,またあの連中が騒ぎ始めた。

「あいつまた休みかよ」

「いや,来なくていいっしょ。キモいし」

「それな!」

 下品な笑い声がこだまする。

 あいつらは自分たちの嫌がらせが僕に台無しにされたことを気付きもせずに,お気楽に過ごしている。そう考えると怜は僅かながらの優越感に浸ることができた。


「おう,起きたか,おはよう」暁人が声をかけてきた。

「おはよう」怜が返事する。

 暁人が怜の頬に貼られた絆創膏を一瞥した。気にしているようだが,わざと痣を見せるよりはましだろう。

「これ・・・」そう言いながら,暁人が手に持っていた者を怜に手渡した。

 本のしおりだった。

「しおり?それがどうかしたの?」

「落ちてたから拾ったんだ。お前のだろ?」

 怜はそのしおりに見覚えはあったものの,どこにでもありそうなものだったために,まさか自分のものだろうとは思わなかった。

 文庫本を取り出して確認してみると,確かにいつも使っているしおりが無いことに気が付いた。

 昨晩はいろいろと余裕が無く,読書はしていないし,今朝もずっと寝ていて本を開いてさえもいない。どこで落としたというのだろうか。

「僕のかもしれない。どこで拾ったの?」

 そう訊くと,暁人が素っ気なく返した。

「公園」

 怜はその答えに困惑した。昨日公園で読書した時に落としたのだ。そして,暁人がそれを拾ったということは,彼は昨日公園に寄ったということになる。

 待つという選択をしなかったことを後悔するとともに,一種の居心地の悪さを感じる。

「ありがとう」怜はあえていつも通りに返した。

 わざわざ演技をしなくとも,いつも通りなら平坦な返事になる。それに,さっさとこの気まずさから逃れたかった。

「ごめんな」暁人の口から予想もしていなかった台詞が飛び出した。

「昨日はちょっと部活でいろいろあって帰りが遅くなっちゃって・・・」

 なんで自分が謝られているのか,怜には理解が出来なかった。

「別に待ってないよ。ちょっと立ち寄って読書してただけだし」

 この状況の不可解さをなんとかしたくて,怜は嘘をついた。本当のことを話しても,待っていたなんて気持ちが悪いし,そんな押しつけがましいことは言いたくなかった。あれはただの自分のエゴだ。

「そっか」暁人は一言そう呟いて黙った。

 気まずい。とにかく気まずい。噛み合わな過ぎて歯がゆい。

「別に約束もしてなかったし,大会前で忙しいのも知ってるから気にしなくていいよ」

 その場を繕おうとして咄嗟に出た言葉だったが,怜はそれを言った後にハッとした。これでは「私は待っていました」と言っているようなものだからだ。自分が言われたら間違いなくそう思うし,遠回しに責められているようにも感じて腹が立つかもしれない。

 必死に訂正と言い訳になる言葉を考えた。

「今日はそんなに遅くならないと思う」暁人が先手を打つ形で口を開いた。その表情は晴れやかに見えた。

「いや,別に待ってたわけじゃないから」怜が慌てて返した。自分の描くシナリオとは逆の方向に解釈されている気がする。

「わかった」明朗な返事だった。

 絶対にわかっていない。そう思った。しかし,怜は自分が少しホッとしているのを感じた。どうやら,待っていたという事実を暁人がポジティブに解釈しているようだったからだ。気持ち悪がっていたら,今日の帰りの話は出なかったはずだ。

 暁人は自分の席に戻っていった。


 その日も,怜は一人で過ごした。

 木村たちの様子が気になったが,今のところ何か特別に行動に移している様子はなかった。おそらく,クラス中の殆どが彼らの次のターゲットになることを恐れて身構えている。

 もちろん,怜もその一人だった。


 今日もヒグラシがもの悲しげに鳴いている。

 斜陽を浴びて黄金色に染まった公園には二人の影が伸びていた。

「睦はもう来ないのかな」怜が呟いた。

「こないまま夏休みに入るかもな」暁人が返す。

「夏休みが始まる9月1日って,どういうことが起こるか知ってる?」怜が遠くを見つめながら淡々と言う。

「知らない。2学期が始まるだけじゃないの?」暁人が答える。

「沢山の生徒が一斉に自殺するんだって」

 じっと遠くを見ながら怜が目を細めた。

 怜の言葉は恐ろしく冷たく,鋭かった。氷柱のような形をしたそれが暁人の胸に刺さり,言葉を失わせた。

「中高生の自殺が1年の中で最も多い日が9月1日なんだ」

「原因はいろいろあるだろうけど,学校に行きたくないというのは共通してるんだと思う」

 暁人は黙って聞いていた。

「本当はまだ生きられる人でも,虫けらみたいに簡単に死んでしまうのはどうしてだろうね」

 そう言うと,漸く怜は口をつぐんだ。視線の先には夕明かりの中,ボーっと朧げに点く街燈があった。

 怜が何を言いたいのかが暁人にはわかっていた。ただ悲観するだけの怜に対して憤りの気持ちが生じなかったわけではないが,行動を起こせずにいる自分も怜と変わらない事に気付き,その気持ちはすぐに収まっていった。

「今更もう遅いけど,僕も何とかしたい」怜が暁人に向かって言う。

「だけど,どうしたらいいかわからない」

 暁人は怜を見直した。怜は良く考えを巡らせるタイプではあるかもしれないが,積極的に行動の出来ない人間だというレッテルを貼っていた。

「直接木村たちをボコボコにしても解決しないよな」

 そんな暁人の案に,怜は呆れた様子だった。

「加害者を全員殺すくらいしないと無理だろうね。木村の兄も含めてさ」

 そんな怜の発言を聞いて,暁人は怯んだ。

「それは犯罪だろ」そう返すことで反対の意を示した。

「冗談だよ。そういう過激なことよりももっといい方法を探さないと」

 怜は,つい殴るのも犯罪だろと返しそうになったが,またケンカになるのを恐れて話題を変えるよう努めた。

「例えば?」

 そう聞き返されて怜は言葉に詰まった。睦は見て見ぬふりをしてきた僕らを信用しないだろうし,親は絶対にあてにならない。教師たちもきっと頼りにならないだろう。睦の様子を見て異変に気付かないわけがない。

 むしろ気付いていても,面倒事には触れたくないのだろう。ギリギリまで傍観者でいたがるのは,きっと大人だからだ。

 それに,仮に気付いていなかったとしたら,それはそれで教師失格だとも思う。忙しくてクラス全部に目が行き届かなかったという可能性もあるかもしれない。だけど,大人の都合なんて,僕らには関係が無い。

 僕らには今しかない。その大切な時間が,どんな形であれ障害を受けているのなら,それに対応する責任が教師にはあるはずだ。

 今しかない時間を不当に奪われてしまうから,みんな死を選ぶのかもしれない。

「ごめん,すぐには思いつかない」

 そう返すことしかできない。もっと考える時間が欲しかった。

 それを聞いた暁人は,僕を軽蔑したかもしれない。やっぱり口だけだ。と思っただろう。

「じゃあ,お互い考えてこようぜ。俺も考えてみる」

 その暁人の言葉は意外だった。あれこれ考えるよりは,とにかく先に行動してみて様子をみるタイプだと思っていた。

 

 お互いが,少し前に進めた気がした。


 きっと,みんな光に向かって進んでいる。

 

 怜は,街燈を見上げながらそう思った。

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