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文化系男子部  作者: 華由
第六章 案ずるより産むが易し
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「コーヒーは買えたのかよ?」

 キッチンでインスタントコーヒーを湯に溶かしながら、水城は日野へ向けて嫌味っぽく言った。というのも、喉が渇いて飲み物をキッチンへ取りに行ったところ、空になっていないインスタントコーヒーを発見した。でも日野は「コーヒーがなくなった」と言って火也を連れ、店まで買いに行った。

 何が言いたいか。それは一つ。

「で? 何で嘘ついてまで小柳と出かけた?」

 二人っきりのキッチンに水城の声が通った。

「あれ? 井岡君、先生が小柳君に取られたと思って嫉妬してる?」

「してねぇよ」

「じゃあ何で怒ってるの?」

 もともと嘘が嫌いだからというのもあるが、一番気に食わないのは彼女が嘘をついてまで火也を連れ出したということ。何を話していたのかは知らないが、きっと何かここでは言えない話をしていたのだろう。もしここで話せることなら連れ出す必要はない。

 分かってはいるのだ、二人が何を話していようが水城には関係ないとは。でも何故か気に入らない。

 ――オレ、何を苛立ってんだ?

 水城はコーヒーを一口飲んで、冷静さを取り戻そうと自身に問いかけた。それでもまだ心はざわつくが、あとは理性で抑えつける。

「別に怒ってねぇよ」

 ここで日野に付き合っている暇はない。早くシナリオ制作へ戻ろう。文を紡げば、この心情だって落ち着く。何より、これから話の主軸を変更するのだ。無駄にしていい時間はない。だから日野はとりあえず後回し。

 水城はカップの持ち手に指をかけて、そのまま作業していた部屋へと戻ろうと爪先を部屋の方向へと動かした。しかしそれを食い止めるように日野が彼の腕を両手で掴む。

「ねえ井岡君。少し話があるの」

 いつもと変わりない様子で日野が言った。口調は普段通りで、どこも変化ないのに、やけに掴んでくる手は生温く感じた。水城は真っ直ぐとこちらを見ている日野に異常がないかを確認しようと立ち止まる。

「何?」

「シナリオのことなんだけど」

 昨日は引いたくせに今日もまた同じ話題。最近、日野との会話内容はこればかり。たまには違う話もしたい、そんな願望すら浮かんでくると、昨日までの水城だったら思っていたかもしれない。でも今は違う。その話もちゃんと向き合って聞ける。

 火也がさっき話してくれたおかげかもしれない。そう水城は自分へ言い聞かせ、静かに振り返った。日野と目が合う。

「やっぱりみんなで考えるべきだと思うの、それで井岡君がまとめる形にした方が」

「……そうするつもりだけど。何、必死に言ってんだ?」

 情けないかもしれないが、少し震えそうになった。

 小説の時は使える言葉も口にするのは難しい。そもそも同じ言葉でも、書くことと言うことでは意味も、身体の使い方も異なる。どんなにたくさんの文字を繋いで書いたとしても、素直な思いを口にするのは簡単ではない。少し怖くて不安になって、緊張して心臓までもが跳ね上がりそうになる。便利なくせにとても扱いにくいモノだ。でも言葉はきちんと最後まで言えていたようで水城はほっとした。

「え……?」

 安堵する水城の目先で日野は口を半開きしたまま固まった。

 今まであれほど嫌だと言ってきたことを受け入れるとあっさり言ったのだ、まあこの反応も仕方ない。だが、さっさとシナリオをまとめたいので、日野には悪いがここは早めに退散させてもらうのが得策だ。

「じゃあオレ、部屋戻るから」

 水城は踵を返す。その時、日野が勢いよく背へ抱きついてきた。水城の視界がぐらりと揺れる。倒れそうになる身体を水城は両足に力をこめて何とか体勢を持ち直す。

 身体は平気だったが、衝撃に耐え切れなかったコーヒーがカップから飛び出して床を汚した。もう冷めていたので火傷はしなかった。しかし飲み物を持っている時に、馬鹿みたいな力で抱きついてくるのは厳禁だ。

 水城は日野を睨みつける。

「いきなり飛びつくな」

「飛びつくって、なんか表現が可愛くないわよ」

 生徒が教師に向かって可愛いと言うのは変だ。まあ言う者もいるのだろうが、水城はその中に属してない。

 水城はカップを近くのテーブルに置くと白い雑巾を手に取って床を拭く。日野に拭かせてもいいが、彼女にやらせるよりも自分でやる方が早い。

「気が変わったの?」

 雑巾が茶色に染まっていく様を見つめながら水城が床を拭いていると、ゆっくりとした身のこなしで、日野が横にしゃがんだ。

「……別に」

「そっか」

 日野の視線が雑巾へと落ちた。床を拭いていた水城の手が止まる。

「小柳がうるせぇから、合わせようと思っただけ」

「うん」

「あと、アンタもうるせぇし」

「うん」

 日野が頷いた。水城は目線を雑巾から外し、日野へと焦点を合わせる。

「小説を書くのが好きだ。だからいろんな作り方をして、もっと好きになりたい、物語を。……できるか分からねぇけど」

 さっきよりも口先が震えて、目頭までもが熱くなった。でもそれが正しい水城の気持ち。小説で何度も主人公の独白を書いてきた。もしかしたら今の自分は彼らと同じ立場にあるかもしれない。不覚にも水城は思った。

 そんな彼の横で日野が水城に答える。

「井岡君なら絶対にできるよ」

「……金澤が来たらケンカして制作止まるかもしれねぇけどな」

「大丈夫よ。ちゃんとできるわ」

「根拠は?」

 意地悪く水城が訊くと日野は視線を宙に泳がせた。そしてしばらくして、水城の顔へと視点を定める。

「そうだなあ。私の勘、とか?」

 単純かつ不明確。先程の彼女の言葉はそれに当たるが、意外にも水城を納得させた。

 理由はこれまた単純に、日野が言ったから。それだけだった。

 日野は不思議だ。

 彼女が言えば何故か納得してしまう。何故か従ってしまう。どうしてそんなふうに聞こえてしまうのだろう。教師のくせに教師とは思わせない振る舞いで近くにいて、苛立たせるくせに側で微笑んでいる。教師ではなく、ただの女性として目に映ってしまいそうなほど近い距離で。だが悪い気はしない。むしろ胸の中を何か温めるような、そんな気さえする。たまたま文芸部の顧問になった、ただの教師のはずなのに。

 とくとく鳴る水城の心音が大きくなった。

 素直になりすぎたせいだろうか。心の中で水城は自身に問いかけて、その原因を探ろうとするが、どんなに辺りを見渡しても答えは見つからない。

 それでも懸命に手探っていると、日野が人差し指をびしっと立てた。

「安産より産むが易し! とか?」

「何だよ、それ。掠ってるようで掠ってもないし、意味不明。もっと日本語勉強しろよ」

「これでも先生、頑張ってるの!」

「頑張ってんなら成果を見せろよ」

 水城は軽く溜め息をついて立ち上がった。

 どんなに原因を探っても、やっぱり答えは掴めない。ふわふわと宙を回っていて、まだ手元には届きそうにない。

 ――ま……、いっか。

 水城は探ることを一時的にやめた。分からないなら分かる時が来るまで待てばいい。焦ることはない。きっとそのうち理由も見えてくる。

 水城は水道から水を出し、コーヒーがしみ込んだ雑巾を洗う。その間、春の陽射しが軽く交差しているのか、水はいつもよりきらきらと光っていた。


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