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「コーヒーがなくなったわ! 買いに行かないと」
火也が水城と共に家へ戻ってくると、日野の言葉が彼らを包んだ。いや、〝彼ら〟ではない。むしろ火也だけかもしれない。
「アンタが何もしないのに飲みまくってるからだろ」
「そんなことないわよ」
水城の言葉に日野はそう言い返すとむっと口を前へ突き出して、火也へと抱きつくように身を寄せてきた。
こういう時は大抵、水城の方へ行くのに珍しい。そう考えつつも火也は抱きついてくる日野へ話しかける。
「じゃあ一緒に買いに行く?」
「本当! じゃあ一緒に行きましょ、小柳君」
ぱっと明るい顔をする日野。火也はにっこりと笑って、手に持っていた絵を水城へと手渡した。
「これ、お願いね」
「ああ。わりぃな、コイツ頼んだ」
――水城君、日野ちゃんの旦那みたい。もしくは親?
絵を手渡しながら火也は素朴な疑問を抱くも、それを言えば水城が怒りだしそうなのでやめておいた。
「じゃあ行こっか」
火也が出発の合図を取り、日野と二人で家を出る。帰ってきて即行買い物に行くことになるとは思ってもいなかった。こんなことなら電話か何かで連絡してくれれば、途中で買って帰ったのに。
そこまで思考を巡らせて、火也ははっとした。
誰から見ても分かるほど、日野は水城を一番として見ている。そう、だからさっきも珍しいと思った。いつもと違うということはそれなりに理由あってのこと。勘の鋭い火也はすぐにピンときた。
「もしかして日野ちゃん、何か話あるの?」
火也が訊くと日野は少し驚きの顔をしながら「正解」と呟いた。
「やっぱ、当たり。……それで、何?」
「んー……。えっと、その」
口ごもる日野をじっと見つめる。しかし日野は何も言わない。あー、とか、えー、とか言うばかりだ。これでは話が進まない。
すっかり見慣れてしまっている風景に溜め息を溶かして、火也はいくつかの質問項目を仮定しようと試みる。勿論、質問項目は自分から日野へのものではなく、日野が火也に話したいこと、だ。
まず一つ目の仮定……と、その時、日野が口を開ける。
「井岡君には前に言ったし、月原君と黒木君にもさっき言ったんだけど、小柳君は知ってる?」
やわらかく身体を包みこんでくる風には似つかわしくない声で日野は訊いた。
「何を?」
火也が逆に訊く。
「廃部にならないためにゲームを作る理由」
ああ、そんなことか。その理由なら顧問の先生から聞いた。だから日野の口から出ても驚きの何もない。もし驚愕を言うなら、作業をしている全員がそのことを知っているという事実だ。でもその先で繋がる思考はそれを聞いた三人が何を思ったかではなく、シンはそのことを知っているのだろうかという疑問。願いを言うなら、シンにはそのことを知らないでいてほしい。
本当は優しいシンのことだ。それを知れば、我慢してでも参加してくれるだろう。だけどそれでは嫌だ。火也は納得しない。わがままな話かもしれないが、シンには自らの意思でここへ来てほしい。強制とか、そんなものではなく。そうでないと、火也に後ろめたさが残ってシンと楽しく作業できなくなる。
「実はね……」
重々しい空気を漂わせてくる日野の声で、火也はようやく脳内理想論から抜け出して、どんよりとした日野の声を打ち消す。
「知ってるよ。顧問の先生から聞いた」
火也がけろりと述べた。火也はちらりと横目を彼女に向けてみる。すると日野は開けた口をそのままにして火也を見ていた。
腹を抱えて笑いたい。この間抜け面を水城にも見せてやりたい。火也は気持ちを悟られないように、春色にはちっとも似てない青い空を仰ぐ。
「あとは水城君がシナリオを書いてくれて、シンちゃんがボクらの描くキャラデザをさくっと直してくれたら完成だね」
空を仰視していても目の端に映る日野は未だに口を半開きにさせていて、火也は両手のひらの指を合わせて口元を覆った。
「あのさ、日野ちゃん。口、いつまで開けてるの?」
悪戯に指摘してやると日野は少し恥ずかしそうに口を閉じた。でも本当は喋りたいらしく、即刻開口する。
「知ってたの! あー、もう。深刻な顔してたさっきの時間を返しなさい」
「それ、ムリだよ」
火也は笑いをこらえるために小さめな声で答えた。でも普段より小刻みに肩が震えていたのか、日野はそっぽを向いてしまった。その姿が謎の面白さを誘って、さらに肩の震えが増える。それを見て日野はさらにご機嫌斜めになったようで、しばらく口を利いてくれなかった。悪かったなあとは思ったが、男子高校生の火也にとっては教師の百面相する方が面白く感じてしまって、そんな謝罪は宙に消えていた。
そして顔面による演芸――とは言っても、百面相によるお笑い芸――を披露してくれた日野がやっと口を開いたのは水城の家がちょうど見えなくなる曲がり角に差しかかった時だった。
「私が井岡君を説得するわ」
「え?」
「だから小柳君は金澤君を説得して連れてきて」
「日野ちゃん?」
「絶対にあと数日でゲームを完成させるわよ。どの部活も廃部させないから、小柳君も頑張ってくれる?」
突然の宣言に、今度は火也の口が半開きになった。
顧問の先生ですら諦めていたのに、日野は自分が顧問として受け持っていない部に対しても諦めずに思ってくれる。
不覚にも火也の目に涙が溜まりそうになった。だけど男だから、たとえ教師だとしても、女性の前では泣きたくない。恥ずかしいから。
「勝手に水城のベッドで寝てる日野ちゃんよりは頑張ってると思うんだけどなあ、ボク」
「え、あ……それは」
恰好がつかなくて居た堪れない日野。彼女には失礼だが、その反応にまた笑えてきて、涙腺が止まり助かった。
「日野ちゃんって、あんまり恰好つかないね」
「私だってみんなの役に立つことをちゃんと証明するんだから!」
「うん、楽しみにしてるね」
「小柳君、先生のことバカにしてるでしょ!」
火也の頬を春風が横切っていく。それがこそばゆくて、火也は日野の言葉に対して微笑むだけの返答をした。




