第83話 薄暗闇のどぶの中で
二人は街へとやってきた。中心部からは離れた場所だったが、そこには人の気配が満ちている。
それは繁華街ではなくとも人がいるということだ。魔法少女の居ない時代では当然だったが、魔法によって狂った世界においてはレアだ。たかが人間が、その辺で穏やかに過ごしていることなど。
「驚いたわ、ここって東京なのね」
「別に池袋や新宿って訳じゃないけど。しかし、なぜ島根でもあるまいし東京がここまで廃れたのか――」
色々見回り、朽ちかけた地図なども確認してその結論を得た。別に今更、数時間歩きとおしたところで疲れるようなやわな鍛え方はしていないのだから。
「――え」
「いや、待ってくれ。本気でわかってないわけじゃないぞ。あのユグドラシルだろう。人々が避難していったが、残された者に碌な技術や職もなくスラム化しただけの話だろうさ」
「そうね。でも不思議よね、異世界と言っても日本も東京もあるなんて」
「並行世界と考えれば別に不思議じゃない。『アーティファクト』にゆがまされ、異なる歴史を歩むことになっただけだ。というか、ボクらが旅した場所にはまったくの別世界だったってあったじゃないか」
「あら、雨の世界のことかしら? それとも鉄道の世界? でも、私たちの知らない外国が、さらに魔法にゆがまされた結果としてああなったのだとしたら――あれらが地球じゃないなんて、断言できないのではないかしら」
「……まあ、そうだね。ただ、そこの考察は要らないだろう。この世界でも多少の土地勘は期待できる、ただそれだけの事実があればいい。ボクたちは別に研究者じゃない」
そうね、と頷いた。議論の形をとった雑談は、次第にとりとめのない話に変わっていく。
「でも、やっぱり人口は少なくなってるのね。まあ他の世界だと滅亡一直線だったから、少なくなっただけで済んだだけでもすごい方ではあるのだけど」
「さて、日本はそうでも外国はどうだろうね。ただ、どこにだってあの樹を生やした魔法少女に反抗できるほどの戦力はないに決まってる。これは予想でしかないけれど、裏どりをするまでもないと思う」
「私もそう思う。外国に渡る手段を考える意味はないわね」
「なら、やっぱり織田信長か」
「でも、ねえ……露骨過ぎない? ただの罠かもしれないわよ」
「その可能性も大きいが、罠なら踏み抜くまでだ。ふわりんの、あの洗脳魔法に無策で突撃するよりかはよほど可能性がある」
「そう――ね。私でも直接魔法を当てられたら無事で済むとは思えない。相手が小さくてかわいいからと言って、油断はできないわ」
「いや、そんな理由で油断できるほどボクらは強くないけどね。ただ、やはりここは理想の世界という訳でもない。少し歩けば現実にぶち当たるようになっている」
「そもそも……おかしいのよね。雨の世界ならば地平の果てまで雨模様が続く、鉄道なら鉄路が。魔法というものは、ことごとくが征服して埋め尽くすもののはずなのに――」
考え込む陽菜。だが、紫苑はそこに拘泥しても意味がないと周りを見渡した。
「あっちで炊き出しをやっている声が聞こえてくる。ボク達も行こう。見つけておいたボロを羽織れば目立たないはずだ」
「ええ。見つかったら見つかったで、そこまで統制が行き届いているということだものね?」
「そういうことだ。油断せずに行こう」
そして、列に並ぶ。緊張感を心の奥底にしまい込んで、ただの旅人に見えるように偽装する。それで普通に使い捨てのプラ容器に入った豚汁と握り飯、それとカットされたリンゴといった特筆すべきことのない炊き出しをもらえた。
隠れて一息吐いて、他のたむろしている人間から離れたところまで歩いていって座って食べる。
「なんだ、普通のやつじゃないか。陽菜。……陽菜?」
「――ううっ!」
一口食べて、口を押さえた。顔色が悪くなっている。
「陽菜!? どうしたんだ、まさか毒? しかし、味も香りにも変わったことはなかったぞ。大鍋も容器も、仕込みはないと見張っていたのに」
「違うの。同じものよ、食べたものは。みんな、こんなものを食べてどうして平気でいられるの?」
信じられない、といった様子で紫苑を見返した。飲み込むことを躊躇して、溺れそうになってしまっている。
「どういうことだ? 遅効性の毒……じゃないね。ならば、汚染といったところか?」
「そうね、汚染だわ。これだけの魔力にまみれた食べ物をなんで食べれるのかと思ったけど。そうね、人間は魔力なんて感じられないのよね」
陽菜は覚悟を決めてぐっと飲み込む。はああ、と息を吐いた。
「魔力、だって……?」
「ええ、魔力。思えば、ユグドラシルはこれを生産するためのものなのね。魔法で世界が壊れて、それでも日本の人はどうして飢えないのか。――魔法で作ったのね。ふわりんとは別の……きっと、話に出たクラックとも違う三人目が」
「そんな馬鹿な。三人の魔法少女が支配する国だと……ありえるものかッ! 徒党を組むなど、ましてやそれで人間を支配するだって!?」
「大丈夫よ、別にこれ自体に害はない。いえ、魔法少女本人が目の前に居ればおなかの中から触媒にすることもできるのでしょうけど。消化してしまえばただの栄養ね。座って、紫苑ちゃん。目立ってるわ」
「あ、ああ――」
陽菜は周りからの視線にぺこぺこしてやりすごす。なんだのどに詰まっただけか、と野次馬はすぐに散っていった。
「いや、こんなものは味も香りもへったくれもないわね。ねえ、これどんな味してるの?」
まるで砂でも噛むかのように陽菜は食事をする。それを作ったティアマトならそれを胃の中で魔獣に変えることもできて、それくらいは陽菜も予想できるのでこの反応も無理はない。
隠れて見張れるくらいならどんな殺し方だって好きにできるから、炊き出しを捨てても意味はない。けど、感情はそう合理的には済まされない。
「あ、ああ。いや、普通においしいけど? 米はよく噛むと味わい深いし、豚肉も歯切れがよくて油が乗っている。リンゴだって甘くて……ん? こんな味だったか? なんか桃の味が混ざってるような。気のせいか? だが、豚も……いやこれ豚の肉か? ここまでまともな食事は久しぶりだから……あまり自信はないね」
「そう。まあ、どんな味でも不思議はないけど。文明が崩壊したからこそ、科学技術って偉大だったと思い知らされるわ――おばあちゃんとか、山菜の何が好きだったのかしら」
「ああ。あくとかすごいものね……この人参もキャベツもおいしい。苦くない。これは普通の奴だ、ぜったい」
「あはは。紫苑ちゃんの笑顔を見てたら平気になってきたわ――」
二人の間で流れる和やかな空気。だが、風にのってかすかに緊迫感のある悲鳴が聞こえてきた。
「聞こえた? やはり、このあたりは魔法少女の支配が及んでいないわね」
急いで残りをかきこむ。そして、立ち上がる。
「無視された場所。いや、計画的に作られたスラムかもしれない。ただ――」
「見逃すことはできない、でしょ?」
「ああ、行こう」
「ええ」
他の住人はやる気もなく座り込んだままだ。この二人だけが、毅然と動き出すのだった。
そして、闇を見ることとなる。人間とは決して気高くもなければ子供を守るような存在でもない。そういうのは”余裕のある”者たちの贅沢でしかないのだ。
貧困層と富裕層は残酷なまで線引きされる。そして、貧困の中でもいくつも層が分かたれるのだ。国が制度を作るまでもなく、必ず勝手な住み分けが発生する。
明日も知れない者が集まる治安の悪いスラムは、為政者が誘導したものではないのだから。
「何をやっている!?」
紫苑がボロを脱ぎ捨ててそいつらに詰問する。
「○○△△××!」
「××○○△△!」
子供を掴んで軽トラに積んだ檻に投げ入れていた男たちが意味の分からないわめき声を上げた。
だが紫苑はその発音に聞き覚えがあった。昨日紫苑たちを襲ってきたギャング崩れども、その本隊か何かだ。あれはあくまで先遣隊か攻撃隊、人数だけならまだまだ残っているのは明らかだった。
「昨日の奴らの残党か。いや、規模的には本隊だな」
「紫苑ちゃん、あの人たちは――」
「人売りだ。子供にはいくらでも”需要”がある。それこそ魔法少女が支配する飢えのないこの世界ならば、単なる労働力よりも高価な値札が貼られてもおかしくはないぞ」
「……お金のために、そんなことまで。別に、食べ物にこと欠いてる訳でもないでしょうに」
陽菜もまた、彼らのことをにらみつける。
「ば、バケモノどもね! なぜ、ここにいる。なぜか!」
悲鳴のような声が上がった。見間違えるはずもない、昨日会った男だ。あんなんでも一応学はあって、上の方の人間ということだ。いや、ボスに何か意見できる気概があるようには見えないが。しかし、むしろそういう奴こそ重用されるのが世の常だろう。
「その子たちをどうするつもりだ?」
「そんなの、勝手ね! ワタシたち、子供らが必要だよ! この子らも、それがうれしいね!」
「嬉しい? ためになる、とでも言いたいのか。行先が良ければ権力者の性奴隷。ふん、悪ければ食肉ということもあるな――どちらにせよ、それの何がその子らのためだと?」
「どうせ野垂れ死ぬ! 親も、力もないね! なぜかばうか!」
「確かに、ボクにはその子たちを救うことはできない。ボクはヒーローじゃない。……だが、人としての誇りまで捨てた覚えはないぞ」
「なーーななな……ッ!」
恐怖におびえていた男は、なぜだかガタガタと震えだすほどに怒り出す。
紫苑はそういうのをよく見てきた、そいつの心の動きなどてんでわからないが――所詮はただの逆切れだ。
罪を認めて懺悔するなど、そういうことはない。見たことがない。ただの経験則だが、紫苑はそういうものとして割り切っている。
「ふん、くだらない」
「お前に、お前なんかが――ワタシたち悪者だという、ないね!」
「それは権利がないということかな? 確かにね、認めよう。だが――それは悪を見逃す理由にはならない」
「ぐぐぐ――」
男の目がせわしなく周囲を見渡す。逆襲のための何かを探している。
「……ッ!?」
「これで、どうね!?」
そいつは、隠れていた子供を捕まえて銃を突きつける。やはりボロの銃だ、だが0距離ならば関係ない。
本当なら銃口は頭に直接押し付けるようなものではないのだが、それならば整備不良があろうと子供の命が失われることには変わりない。
「――逃げろ!」
紫苑は叫ぶ。捕まえられた不運な一人に限ってはどうしようもないが、その他のまだ捕まっていない子供たちはいくらでも逃げ出せる状況だ。
なぜならその他の男たちは紫苑たちをどうしようか、本当に仲間たちを葬ったというハケモノじみた強さを持っているのかと悩みに悩んでまごまごと顔色をうかがうばかりで何もできていないのだから。
だが――なよなよと何もできないのは、獲物の子供たちも同じことだった。
「紫苑ちゃん、無理よ」
「無理なことなどあるものか。己の意思で道を切り開く以外に、生きる術などない」
「勝手言う! こいつの命が惜しければ、膝をつくね!」
「……だが、断る」
「こと――何言ってるね? さっさとやるね!」
紫苑は、そいつの目をじっと見つめる。その目線にたじろぐが、一度人質を取ってしまった以上その男に他の手段はない。ただ、わめき散らすことしかできない。
そして、紫苑は、いまだ動けずにいる子供達に向かって一瞬だけ裏切られたような目線をよこした。
「貴様――」
「いやだと、すでに言った――ぬるすぎるぞ、貴様」
紫苑は、腕を振る。男はその動きを目にしてビクリと反応して、
「ぎゃっ……! うわっ!」
肩を押さえてあとじさった。鉄芯、以前にも使った暗器が彼の腕を使い物にならなくした。そして人質の子供はその場に放り出される。
「人質を取るのは悪手だな。わざわざ自分の行動を縛る足手まといを後生大事に抱えるなど。そもそも貴様の目的は私を倒すか、そうでなくとも逃げることだろう。で、いやがらせでは意味がないどころか勝手に自分で荷物を抱えただけだぞ」
「う……うぐぐっ!」
状況は絶望的、逆転の手段などありえない。そこで彼は憎悪に燃え滾った瞳で紫苑のことを見る。まるで自分は何も悪いことをしていないのに何故そんなひどいことができるのかとでも言いたげな目だ。
だが、紫苑はその恥知らずさこそを憎む。堕ちに堕ちた結果のどん底――努力をしなかった、その報いだろうと。
「本当の殺し合いなど、考えたこともないのだろう? お前たちのような乱暴者は喧嘩をありがたがったり、考えなしに暴力を振るったりするが――それは決して戦いなどではないのだから」
紫苑は彼が落とした銃を拾う。
「ひ――ひぃぃっ! 助け……」
銃とはまさしく『人を殺す』兵器である。普通ならおもちゃのように振り回すことはできても、引き金を引くことはできない。ギャングとて、そこまで人でなしではない。
だからこそ、突き付けられたそれはおもちゃじゃない。恐怖そのものである。
「もっとも、殺し合いの経験を誇る愚者ほど、救いのない者もいないと自戒しているがね」
「まっ……! ダメ! ダメねっ」
ダンダンダンと、ためらいもなく彼を銃撃する。
命を奪うためではなく、足を狙った。もっとも、狙いも何もあったものではないボロの銃では狙いが外れて足の肉を抉るくらいがせきの山だったが。
「それともう一つ、付け加えておこうか。人を殺すのと殴るのでは、根本的に性質が異なる。人と言うのは通常、本能によってヒトを殺すことを禁じられている。むろん軍ではそ
の本能を無効する訓練が施されるが――ゆえに、その裏技を使わずにヒトを撃てる者はもはや人ではない。君たちでは撃てないと、ボクにはわかっていた」
紫苑は凛と啖呵を切る。格の違いを……それは人間的には格下であるかもしれないけれど、お前たちでは牙が立たない“敵”なのだと示すように。
「……ううう」
「ひぃ」
「ああ――」
もはや、このマフィア崩れたちは完全に気おされていた。
「追いはしない、去れ。……去れッ!」
言葉が分かるかなど関係はない。ただ、強い言葉に押されて彼らは蜘蛛の子のように逃げ散った。
「ふん、やはりこの程度だな。覚悟も力もなく、ただ逃げ惑うのみか」
「そうね。人間は弱いわ、だから魔法少女の力に耐えられない。この人たちは、あのユグドラシルにすがれなかった人たちの集まりなのだものね」
「すがるなど、人のすることじゃないさ」
二人は踵を返す。
「……お、お姉ちゃん」
人質にとられた子が紫苑の元までやってきた。紫苑は振り向かず、しかしその子の頭を撫でてやる。
「強くなれ。意思を通せ」
その子は、困った顔をして見上げるだけだった。そもそも言葉の意味も分かっていない。ここは食い詰め者が集まったスラムでともできずに――ただ他の子たちといっしょに見送るのだった。




