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第73話 不本意な再始動


「――もう無理!」

「わあ、大変だったねえ、クーちゃん。よしよし」


 その三日後には、クラックはティアマトに泣きついていた。いや、ティアマトが何かをどうできるわけもないのだが、投げ出してしまいたくなるほどに酷い。

 悪の夢などともてはやされても、世界征服など実際にするものではないのだ。偉ぶってなどいると足を引っ張られ、そしてやりたくもない義務ばかりが無限に積み上がっていくだけ……


「あいつら、全然人の言う事聞かないから元のところに返しちゃったし。他によこさせたミカエルとか、キツネ面のなんたらとかはたかが第2層で死にかける始末。ならラミエルに何とかさせようと思ったけど、あいつだって第3層止まり。せっかく僕が教えてやったのに、まだまだ全然人間レベルで、寒さごときに降参するなんて魔法をなんだと思ってるんだ」


 出るわ出るわ、文句がつらつらとよどみなく流れていく。クラックだって別にティアマトに理解してもらおうとは思っていない。

 当のティアマトだって、クラックを慰める自分の姿に満足しているだけで話を聞いちゃいないのだ。うんうんと頷きながら、膝の上に乗せたクラックの頭を撫でている。


「第3層は極寒の世界、ただの人間では凍死して終わりだけど魔法少女なのにねえ。第4層の溶岩の世界もまだ人のもの。異世界と言うなら第5層からだよ、そこまではループで空間を拡張しているだけで実際に広いわけじゃない。雷降りしきる天空、ドラゴンが大空を支配する無窮の世界。こいつは食いでがあるし大量に居る。……そう、そこまで行けばいくらでも狩れる。他にも一粒植えるだけで果樹が生い茂る神秘の種だって落ちているんだ。なのに」


「あうう……こんなに役に立たないとは思ってなかった。どいつもこいつも……ラミエルだけは申し訳なさそうにしてたけど、ヘカテーとマルガレーテなんてはなから逃げ出す始末だ。あの人間が良くないのかな、妹ちゃんさえ居なければ――今さらか。ブラックロータスの奴らも、あの男を抱えたまま這いずり回っていい気味だね。血も流れないちょっとした喧嘩なんてかわいいものだし」


 かわいい、と聞こえたあたりでぴくりと手を止めるがクラックが不思議そうにティアマトを見上げると撫でるのを再開する。


 そうして一通り愚痴を吐き出して、ティアマトの膝の上でごろごろする。こういう時間は、むしろティアマトの方が好んでいる。そういう時間を取らなければ不機嫌になってしまう。

 今もスカートが乱れるのも気にせずにクラックを甘えさせている。ニコニコと、天使のような笑顔でクラックを見つめながら髪をいじる。


「さて――いや、本当にどうしようかな」


 上を見上げるとティアマトと目が合って見つめ合うことになるので下を向いて考える。まあ膝枕で下を向いたらすごい恰好になるのだが、どちらも気にしない。慣れと言うのは怖いものだ。


「ん……困ったねえ」


 なお、ティアマトは何も分からずに言っている。困った、と言ったのをオウム返ししているだけだ。


「ああ、困ってるんだよ本当に。これでは僕が動くしかないじゃないか。人間どもも、人間のことなら少しくらい自分たちの方で何とかしてほしいね――」

「うんうん。みんな、ちゃんとしてほしいよねえ」


 そこで、端っこの方でクラックの足を追いかけて遊んでいたアリスが発言する。


「クーママのお仕事、アリスが手伝うよ?」

「……アリス」

「わあ、アーちゃん偉いねえ。お手伝いしてくれるの」


「うん。えへへ、どう……かな」


 はにかんで、ソファの上に上がってクラックの背中に乗る。そのまま甘えるように覆いかぶさってクラックの顔を覗く。


「んー。まあ、助かる……かな。でもねえ」


 もごもごと口の中で呟く。

 そもそもがティアマトの権力はクラックのそれと同一、そしてアリスも同じ。生徒会以上に、一つのグループで個人だ。それこそ、”家族”とすら呼べる関係かもしれないが他者からすれば幼すぎるティアマトをクラックが操っているだけ。

 まあ色々とあるのだが、しかしクラックとしては自分のところだけですべてを賄いたくはない。それは支配者と被支配者のパラドクス。支配されている者を生かすために支配者層が忙しく働くことになる。

 というか、それでは人類の誇りとやらが情けないだろう。奴隷どころか動物園の観葉生物だ、外に出て行けばいくらも生きていくことができない。


「クーママ。アリス、がんばるよ?」


 とはいえ、その反論は娘が頑張ると言えば粉みじんに粉砕できてしまうものだ。たとえ失敗しても、そんなものはクラックは気にしない。人類の未来など、壊れれば残念だと思う程度にしか考えていない。


「うーん。じゃあ、お願い出来るかな」

「うん。どうするの? たくさん、えもの持ってくる?」


「いや、それはイエローシグナルに言ってから。ああ、それも違うね、溜めておけばいいか。どうせユグドラシルの外に持ち出すのも僕らがやることになるんだ。第3層に置いておけば移送もしやすかろうね」

「ん。ええと、じゃあ第6層に行く? あそこは……えと、亀さんだっけ?」


「あの亀を狩るのはやめてあげて、それは世界を支えてる子だから。あと、その前だよ。第5層の天空と雷の世界、狩るのはドラゴンだ」

「そっか。ん、わかった。じゃあ、ドラゴンさんを狩って、雪に埋めておく?」


「積み上げておいてくれればいいよ。どうせマンモスも横取りできないし、そもそも食い尽くせるほどの数がいない」

「うん。うん。そうなんだね。クーママ、アリスがんばる!」


 嬉しそうに両手を握る。アリスにとって大事なことはこの二人の娘であることだけ。お手伝いさえできれば、それが何であろうとどうでもよいこと。

 だから、お手伝いができるのはとても幸せなことだ。やる気を滾らせている。


「アリス、大事なことを覚えておいて」


 クラックがティアマトの膝の上からむくりと起き上がる。背中から抱きついているアリスを、体の向きを変えて抱き上げて座り直した。目と目を合わせる。


「んー? なあに?」

「仕事はね。適当なくらいでちょうどいいんだ。本気で取り組むことほど馬鹿なことはない。どうせ誰も彼も適当なことを言うだけで、本当の目的なんて自分ですら分かっちゃいないんだよ」


「……んう? クーママも、本当は何のためにするのか分かってない?」

「ん? ――あは! あっはっは! その通りだ。実際に何のためにするのかなんて僕もわかっちゃあいない!」


 大笑いする。真理を突かれた気分だった。確かに、足りなくなる食料の場当たり的な対応を準備しているだけで計画も組んでいない。”これ”も、場当たり的な対応だ。


「そーなの?」

「ああ、そうなのさ。誰も、本当は何のためにそれをするのかなんて分かっていない。ただ、感情と慣性に引きずられてるだけ。誇りとやらも、ただのサンクコストすらも、くだらない……」


 けらけらと笑うクラックは、アリスの頭を撫でる。アリスは気持ちよさそうに目を細める。


「うふふ、アーちゃん。クラックのお手伝いできて良かったね」

「うん。ティーママ、アリスがんばるからほめてね」


「うん、たくさんほめちゃう。クーちゃんごと抱きしめてあげる」

「……わ」

「えへへ」


 ティアマトは、アリスを抱きしめるクラックごと抱きしめる。こんな、微笑ましい一幕の裏で一国の存亡の行方が決まってしまう。

 なにせ、現在では少子高齢化など鼻で笑うほどに社会の崩壊が進んでいる。魔法少女はただの一人で世界を壊せると知らしめられて、まともに働く気になる人間の方が少ないというものだ。そして、えてしてこんな状況でも頑張る人間は、”部下を頑張らせる”か”他人から奪う”ことに熱心なばかりで手を動かす類じゃない。

 そんな状況で働けば、他人から”たかられる”しかないのだが――クラックは、そうしなければこの日本は持たないと考えている。そして、個人の力で”持たせる”ことを決めて、今やり方がまとまった。


「――まったく、本当にやれやれだ。どいつもこいつも、もう少しでいいからがんばってくれ……」


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