第61話 ユグドラシルへの挑戦者
ユグドラシルに近い場所にワープゲートが開く。対象地点を繋ぐ魔法なら政界の裏でよく使われているが、そんな密輸とは練度が違う。術者も、特化した魔法少女ではなくなんでもできる百戦錬磨の女『ブルーフォックス』だ。
「ふむん。いやいや、なるほど。やはりクリック・クラックは東京を管理するつもりはないらしいですね――」
妙齢のキツネ面の女がくつくつと笑い声を漏らしている。鮮やかな青色の浴衣を、目のやりどころに困るほど大胆に着崩している。裾でも引っ張れば全裸になりそうだ。
その素顔は知れないが、油断なく周囲を見まわしている。それでもクラックの襲撃の前では意味がないが、他の有象無象なら十二分に対応できる。
「そして、ユグドラシル。これはいけませんな、あの子の――ティアマトの魔法の気配が濃すぎて息苦しい。これはもはや新世界、あの黒い十字架がなければ簡単に世界を飲み込んでしまう箱庭。おお、こわいこわい」
おどけたように身を震わせる。クラックと敵対するような真似は金輪際ごめんこうむる。が、地雷原で踊るくらいは仕方ない。――仕事なのだから、その程度のリスクなら鼻歌交じりでやってみせるさ。
「とはいえ、凡百の魔法少女ではわからんことですなあ。あんたはんらも、特に怖いとは思っておらへんでしょう?」
ワープゲートはまだ開いている。女が手招きすると、他の魔法少女がぞろぞろと現れてくる。
「ふん。モンハンみたくマンモスを狩って来ればいいんでしょう? それでご褒美がもらえるのなら、やってやるわよ」
先頭切って歩いてきた『チョップスティック』が、反抗的な態度で答えた。
その態度が矯正されないのは、いくらでも消費できる実験体でしかないからだが。手間とは金、こんなのに金をかける余裕は大人たちにはない。それを、この子たちは自覚してないけれど。
「ほほほ。まあ、モンハンで持ち帰るのは抉り取った一部ですが、死体を放置して一人で帰られても困りますよ?」
「……うっさいわね。揚げ足とらないでよ、知ってるわよ」
ブルーフォックスは、出てきた5人を仮面の裏から盗み見る。やっぱり駄目だな、と思った。
ここに来るまで2、3時間の講習をした。魔法の扱いから徒党を組んでの戦い方まで、一通り教えた。それでも、生き残るのは難しいだろうと思ってしまう。良い生徒でもなかったし。
「では、6時間後に迎えに来ますわ。渡した楔は持っておりますね?」
「持ってるわよ、ほら」
「他の皆さんも――よし。では、ユグドラシルに潜入して狩りを行った後は、また外に出て楔を地面に突き刺してください。目印にして迎えに来ますので」
「まだるっこしいわね。それに6時間じゃ時間が足りないかもしれないわよ。中まで迎えに来てくれないの?」
「それは申し訳ありませんが、あそこはティアマトの領域なので転移魔法がうまく発動しないのですわ」
「……ふん、上層部と関係を持ってる魔法少女って言っても使えないわね。皆、行くわよ」
ブルーフォックスは何を言われても動じない。なにせ転移魔法が使えないという嘘を平然と吐くくらいなのだから。自分がこの領域に突入したくないだけである。
何もわからないのは羨ましいな、と嘲り混じりの嘆息をついたところで彼女たちの後ろ姿に声をかける。
「そこから先は現実とは異なる異世界。十分にご注意くださいませ」
「分かってるわよ。私の魔法で蹴散らしてやるんだから――」
ずんずんと進んでいくチョップスティックに、更に4人の魔法少女がついて歩く。人数だけなら大したものだが、いかんせん寄せ集めに過ぎない。
こんなのに3層まで行かせようとは上層部も酷い事をすると思いながらも反抗はしない。ただ小さく彼女たちの無事を祈るだけだった。
彼女たちはすぐに草原へと足を踏み入れる。ブルーフォックスの転移魔法は、ユグドラシルのすぐ近くまで運んでくれていた。
「何か見えた。……ウサギ?」
ぴょんぴょんと飛んでくるそれは、角は付いてるけれどウサギに見えた。だが、それは遠目に見てのことで――
「え!? でっか! 何だコイツ、キショッ!」
中学生の背丈では、顔の二倍もある大きさのそれにビビってしまう。思いのほか跳ぶ力が強いそいつの接近を許してしまった。
「あぶないっ!」
一直線に向かってきたそいつの角による突撃を、ピンと張ったラップで防御する。その魔法のラップは、見た目の頼りなさとは裏腹に角をしっかりと受け止めた。
「ボクがやる。せえいっ!」
そして動きの止まったウサギ、その横っ腹を別の少女が思い切り殴る。そうすると飛んでいった先で爆発した。
「チッ。てめえらが動かなくても私は一人で対応できた。勘違いすんなよ、『ラッピー』『レッドクラップ』」
不機嫌に言い放った。
チームとしては全然なってない、だがこうしろああしろと教えてくれる人は居ないのだった。何かの間違いでも生き残れれば成長していく、そういうもので――彼女たちはまだ1回目、尻に卵の殻が付いている段階だ。
「でもでも、あのお姉さんは味方を守り合えって言ってたよ」
「一人で突っ走るやつがいると、付いていけなくなった奴から死ぬとも言ってたぞ」
「うるせえ! 私は成果を出す。付いてこれねえ奴なんか知らねえんだよ」
ずんずん歩いて行く。そして、またウサギを見つける。
「さっきのは油断してただけだ。私の魔法なら――」
祈るように手を組む。そこに生み出されたのは巨大な割り箸。それを割って、棒の二刀流となす。
「ウサギごときに負けるかあ!」
ぶん、と振り回す。ちょうど跳ねたウサギを薙ぎ払い、潰れたトマトに変えてしまった。魔法云々以前に、魔力が高い。そのゴリ押しによるステータス強化の結果だ。
「うわ。……えっと、あれも持ってくんだっけ?」
「指示ではマンモスとやらを狩ってこいって話でしょ。あんなの放っておきなさい」
「でもでも、できるだけ狩ったものを持ってこいとも言われたよ?」
「んなの、持って歩けるわけ……」
「じゃあ、お姉さんにお任せ♪」
ガムを噛んでいた女がぷうとそのガムを膨らませる。レッドクラップが焼き殺したウサギを受け取り、風船のようになったガムの中に入れるとふわふわ浮いた。
「これで持っていけるよ。あっちのはちょっと、触りたくないかなあ」
苦笑する。それにチョップスティックは眉根を寄せて、しかし言い返すこともなく進んでいく。
「なあなあ、あいつ大丈夫か?」
「ううん。ちょっと焦ってるのかな。あの人にリーダーを指名されてたけど。ううん、それって本当に上層部の指示?」
「どういうこと?」
「だって命令にはなかったし。まあ、リーダーでもないと一人で勝手に進んじゃって危ないからね~」
「危ないことやらされるの、ヤ。あの……ウサギをたくさん狩ってけば怒られないのでは?」
「ううん。ウサギだけだと怒られないってことはないだろうけど、それでも無謀だよねえ。草原、林、氷原と続くらしいけど。私たちホッカイロくらいしか持たされてないから行きたくないよね」
「でも、チョップスティックは行きたそう」
四人であつまって内緒話をしていると、怒りの声が飛んでくる。
「なに休んでんだ、テメエラ! 私たちは第3層まで行ってマンモスを狩らなきゃならねえんだ、おしゃべりしてる暇はねえ!」
彼女はやはり一人でかまわず先に進んでしまう。
その突撃が無謀なものだと他の4人はおぼろげながらも分かっている。しかしそれを話し合うだけのチームワークすらないのだった。
「ちょっとちょっとお、チョップスティックちゃん。お姉ちゃんたちは敵じゃないよ? 皆でがんばって指示をこなしましょ。そしたらあなたも嬉しい、私も嬉しい」
「――腑抜けたことを。私は一人でも行く。お前らは私の足を引っ張らなかったらそれでいい」
にべもない態度に、パルムバルーンは頬を膨らませる。
「へえ。ふーん、そんなこと言っちゃうんだ。でも、チョップスティックちゃんは氷原まで行ったところでどうしようもなくないかしら?」
「なんだと?」
「マンモスを倒したところで、角だけ持って帰ればいい訳じゃないもの。私のガムの魔法がないと持って帰れないでしょ? 違うかしらね」
痛いところを突かれた彼女は黙ってしまう。割り箸の魔法ではどうやっても運搬は不可能だ。引きずって帰るにしても、重量はともかく道中を考えると難しい。他の奴らは頼りにならないし。
「……チ。いいだろう、貴様のことは待ってやる」
「いやん」
妥協して、頭を下げたつもりだった。いや、首の角度は一度も傾いていないけれどその発言は認めてやった。
なのに、わざとらしく頬に手を当ててぐねぐね身体を動かすパルムバルーンに青筋を立てた。
「――は?」
「嫌って言ってるの。お姉ちゃんは皆と一緒じゃなきゃ行かないわ」
「何を言ってる。そんなことは指示にない」
「そうね。でもお姉ちゃんは寂しがりで皆と一緒じゃないと寂しくて泣いてしまうかよわい生き物なのよ」
「……ッ! たわけたことを。私は。私には――」
「それは、チョップスティックちゃんの焦る理由?」
はっと気付く。こいつらは仲間ではない。さっき顔を合わせて一緒の仕事をしろと言われただけの競争相手においそれと弱みを見せる訳にはいかない。
「明かせる訳がないだろう、そんなこと! 罠にかけたのか!」
「別に、無理に聞き出そうという気はないけど。ねえ、一旦立ち止まりましょう」
「だから、私一人でも行く! 無理なら、お前たちはここで待ってろ。私にはやり遂げなければならない理由がある」
「上の言うことなんて聞いてたら命がいくつあっても足りないわよ。まっとうに戦力評価をしてマンモス退治なんて言い出したわけないのは、あなただって分かるでしょ」
「だが、それが求められているなら達成しなくてはならん。失敗してへらへら笑っているような奴には、何も与えられることはないのだから」
「残念ながら、その成功は現実的じゃないの。ねえ、本当に分からない? 防寒装備もなしに氷原に突入するつもり? ここは20度よりちょっと上かしらね、過ごしやすいし。でも、0度より寒いなら。いえ、10度くらいでも危ないわよ。魔法少女の服の寒気耐性も、普通の服よりはマシってくらいだもの」
「黙れ! 私は行くと言ったら行くんだ! 上の指示は絶対だ、いいな!」
パルムバルーンの懸命な説得も通じない。わき目もふらずに進んだ結果、平原はなにごともなく通り抜けた。
このパーティは本当の仲間となることもなく、第二層へ突入する。
少し汗をかいた程度。しかし体力は十分あるうちに休憩しないと後が続かないということにも思い至らずに。素人がやるように、自分を過信して深入りする。
人の世界は終わり、真なる異世界が彼女たちを待ち受ける。




